第133話 摩訶般若波羅蜜その二 空とは何か
「
観自在菩薩(観世音菩薩、観音様)が深く智慧の完成の修行を行っている時(坐禅している時)は全身で五蘊が空であると身心全体で受け止めている時である。五蘊とは何かというと色(地水火風、物質)、受(外界からの刺激を受けとめる)、想(受けた刺激から想念が発生する)、行(想念をもとに行動すること)、識(その結果様々な考えが意識される)ということであり、5つの智慧である。この色受想行識を身心で照らし受け止めることも智慧である。これはどういうことかと説くならば(開演現成)、色は即ち空であり、空は即ち色であり、色は即ち色であり、空はこれ(是)空であるということである。現実に茂っているたくさんの草であり、現実世界の森羅万象あらゆる存在である。
般若とは智慧。この智慧というのは坐禅した身心が瞬間的に正しく判断することをいうと思っている。直観といってもいい。人間が生きるということは瞬間瞬間正しく行動できなければいけない。その時に働くのが智慧だ。知識をたくさん持っている。情報をたくさん持っている。それはそれで大事だけれど、持っていてもその瞬間にそれらを活かして行動できなければ持っている意味がない。
色(物質)は空であるとはどういうことか。私は空を観念的に「何もない」とか「存在しない」とかのようには思っていない。物質は実は存在しないのだなどと言われても「なんじゃそりゃ?」としか思えない。
現実の世界で瞬間瞬間行動するとき「この物質はどういうものであるか」などと考えている暇はない。その瞬間には物質という概念を弄んでいる暇はない。だから「空」なのだと思う。
一方で「空」ではあるけれど物質は存在しているのも事実だ。だから空即是色なのだ。
ということになれば、色即是空、空即是色などと持って回った言い方をする必要もない。色は即ち色つまり物質は物質であり、その瞬間に物質というような概念は必要ないのだから空は即ち空なのだ。色即色。空是空。現実に生きるということは言葉遊びではない。現実はありのままに存在している。つまり草は生え、森羅万象様々なものが存在している。
現実を現実として正しく照らし見る(照見)ことができなければ正しく生きられない。そのために坐禅が必要なのだ。
智慧が働くならば、破壊や殺戮をしてまで手に入れなければならないものなどありはしない。しかし、人類は往々にしてそれがわからなくなる。今で言えばロシアとウクライナの戦争だ。
智慧を発揮できなければ人類の未来は無い。そのためには坐禅する以外の方法はないのだ。
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