第129話 現成公安その二十八 統一教会に思う

 現成公安の巻は前回で終了。

 今、統一教会について世間で騒いでいる。

 現成公安の中の言葉により、私なりに統一教会の問題について書いてみたい。

 統一教会の勧誘というのは実に巧妙らしい。相手の不安や心配事につけ込み、煽りそしてそれを解決する方法を献金だとか、教会のために活動することとかだと言うらしい。

 人間安心、心の平安、安定した生活がしたいというのはそりゃそうだろう。しかし安心、平安、安定をおろおろ追い求めたら不幸の渦に巻き込まれるだけだ。

 現成公安の中の言葉。

 「自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。」「諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちゐず。しかあれども証仏なり、仏を証しもてゆく」

 おろおろうろうろ探し回る限り真実・真理に到達することはできない。「万法すすみて自己を修証する」ときに初めて真実・真理に到達する。そして真実・真理に到達しても「自己は諸仏なりと覚知することをもちゐず」つまり自覚できなくて良いのだ。

 人間は本来真実・真理なのだ。自己の外に真実・真理があるのではない。真実・真理は自分の中にある、自己が真実・真理なのだ。しかし、そのことを見失ってしまう。そしてどこかに真実・真理があるのではないかとおろおろうろうろ探し回り、混迷の度を酷くしてしまうのだ。

 ではどうすればいいか。簡単だ。坐禅すればいい。

 坐禅した瞬間に仏となる。大宇宙の真実・真理と一体となる。本来自らの内にあった真実・真理が大宇宙の真実・真理とつながるのだ。自覚できていなくても真実・真理の状態となっているのだ。

 真実・真理を実現・実証すること、「悟り」というものは他人から「こうしろああしろ」と言われて得られるものではない。絶対にない。

 繰り返すが、自分自身のうちに真実・真理はある。それを坐禅によって体得するしか方法はない。

 他人や組織に依存しなければ真実・真理に到達できない等ということは絶対にない。そのようなことを言う人間や団体はまやかしである。

 まず大前提としてこのことをしっかりつかむ必要があると思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る