第126話 現成公安その二十五 「わかった」というおっちょこちょい

 「得処とくしょかならず自己の知見ちけんとなりて、慮知りょちにしられんずるとならふことなかれ。証究しょうきゅうすみやかに現成げんじょうすといへども、密有みつうかならずしも現成げんじょうにあらず、見成げんじょうこれ何必かひつなり。」

 真実・真理が実現・実証されたからといって、それが必ず自分の知見となって自分が考え知ることができるなどというように学んではいけない。真実・真理は実現・実証され究めることはその瞬間に現れるのではあるけれども、大宇宙のすべてが必ずしも現れ知覚できるものではない。真実・真理の現成は何必、つまり必ずしも知覚、認識できるものではないのだ。

 仏教は極めて現実的なものだと思っている。抽象的、観念的なものではない。ここもまさに現実、ありのままの事実が説かれている。

 坐禅すれば、坐禅した身心で行動すれば真実・真理は実現・実証される。しかし人間が真実・真理すべてをわかるなどということはあり得ない。当たり前だ。人間の脳味噌は確かに優れているけれども、大宇宙の真実・真理に対してはちっぽけ過ぎる。

 謙虚にしかし必死に真実・真理を体得しようとするのが人間の一生なのだと思う。真実・真理は必ず実現・実証できる。しかしすべてを理解するなどということは不可能だ。宇宙は、世界はそんな小さな単純なものではない。

 今の世の中、何だか自分は大変よく理解していると思っていると思ってるんだろうなあという人間が溢れている。

 はっきり言っておっちょこちょいです。当人は得意で幸せなんだろうけどね。

 坐禅して大宇宙を身心で体感してみればいかに自分がちっぽけかよーくわかる。とともに、大宇宙の真実・真理と一体となって生きていけるという実感も得られる。そうなった身心で日常生活の瞬間瞬間を一生懸命生きていくだけだ。

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