第125話 現成公安その二十四 浅はかな理解

 「しかあるがごとく、人もし仏道を修証しゅしょうするに、得一法とくいっぽう通一法つういっぽうなり、遇一行ぐういちぎょう修一行しゅいちぎょうなり。これにところあり、みち通達つうだつせるによりて、しらるるきはのしるからざるは、このしることの、仏法の究尽きゅうじん同生どうしょうし、同参どうさんするゆゑにしかあるなり。」

 そのように、人がもし仏道を修行(坐禅)し真実・真理を実現したときには、その場面において一つの真実・真理を得たということであり、一つの真実・真理を体得したということであり、その場面において一つの行動を起こしたのなら、その行動によって真実・真理を体得したということなのである。このようなことはどこでも可能であり、それは宇宙の隅々にまで通じていることから、自分がどこまで仏道を体得できたかということがはっきり知ることがないのは、この知るということが仏法を突き詰めることと一体となって生き、一体となって存在しているのだからはっきり知ることがないのである。

 瞬間瞬間その場所で行動することによって真実・真理が実現・実証される。しかし真実・真理を実証したかどうかなどと言う感覚ははっきしない。はっきりしようがしまいが真実・真理は実現・実証されているのだ。

 「自分は色んなことを知っている。色んなことを思いつく。そして自分は正しい」なんて思っているのはただひたすら浅はかなだけだ。そんなことを思っている限り真実・真理からは程遠い。

 今この瞬間を坐禅した身心で一生懸命行動する。それ以外に人間がやるべきとはない。坐禅している限り誤ることはないのだ。

 そして他人に認めてもらう必要などない。ごく普通にひたすら生きていればいいのだ。そこにしか真実・真理はない。

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