第118話 現成公安その十七 わかっていない奴ほど威張る

 「身心しんじんに法いまだ参飽さんぽうせざるには、法すでにたれりとおぼゆ。法もし身心に充足すれば、ひとかたはたらずとおぼゆるなり。たとへば、船にのりて山なき海中にいでて四方よもをみるに、ただまろにのみみゆ、さらにことなる相みゆることなし。」

 身心に大宇宙の真実・真理が行き渡らない(一体となっていない)とき、自分自身というものがつかめていないときは、自分は真実・真理を十分にわかっていると思うものだ。もし大宇宙の真実・真理と一体となり自分自身ををしっかりとつかめたのならどこか足らない所があると思うのである。例えば船に乗って陸地の無い大海にでて四方を見れば水平線はただ丸く見え、それ以外には見えないのと同じである。(海の見え方についてはこの後さらに道元禅師が説いておられるが一応ここで切る)

 坐禅してこれまでしがみついてきた自分という殻を振り捨て、大宇宙の真実・真理と一体となったとき、大宇宙のあらゆる存在、森羅万象がありのままに現れてくる。そのとき初めてこの現実の世界において自分がどう行動すべきかがわかって来る。自分に何ができて何ができないのか。自分は何がわかっていて何がわかっていないのか。真の姿が実感できる。それは落ち着いた自信に満ちた謙虚さとでもいうようなものである。人間が万能であるはずがない。その時に置かれている環境、状況によって可能なもの、不可能なものは変わってくる。そういう現実がしっかりとわかるようになる。

 今の世の中、政治家とかネット上で意見を公開している人たちを見ていると「身心に法いまだ参飽せざるには、法すでにたれりとおぼゆ」という人たちに見えて仕方がない。自分が選挙で政治家に選ばられたとか、何かで成功して財産を持っている、フォロワーがたくさんいるというようなたったそれだけの貧弱な理由で、よく自信満々に意見を開陳できるものだと感心してしまう。

 狭い知識、立場だけでものを言うのは簡単だ。たったそれだけしか持ってないのだから。しかし本人は「たったそれだけ」とは思っていないだろう。自分は世の中に精通し、自分は正義だと思っているだろう。しかしそう思っていることこそが、真実・真理と程遠いということなのだ。

 わかっていない奴ほど威張るのだ。そして「自分は自分は」という幼稚な自己主張がまかり通る世の中になってしまっている。

 いやはや。坐禅しませんか。

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