第115話 現成公安その十四 生きる時は生だけ死ぬ時は死だけ

 「生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば、冬と春のごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。」

 生というのもその瞬間にいる位(状態)であり、死もその瞬間にいる位(状態)である。例えて言うなら冬と春のようなものである。(冬は冬であるだけだから)冬が春に変化するなどとは思わないし、春が夏になるとは言わないのである。

 正法眼蔵を読んできて特に好きな一節の一つがこの「生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり」だ。

 生きている時はただひたすら生きればいい。死んだらどうなるなどと考えたところで何の意味があるのか。極楽に行く、天国に行く、地獄に落ちるとかいうことに何の意味があるのか。死んだときはただ死ねばいい。ひたすら死ねばいいだけのことだ。それを極楽、天国、地獄などと訳のわからぬものを持ちだすから変なことになる。「こうすれば天国に行ける」「こうしないと地獄に落ちる」などと脅して金儲けを企む奴が出てくる。実際そういう集団は一杯ある。

 「生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり」なのだ。何をおろおろ心配する必要があるのか。ただこの瞬間に生き、死ぬ。それだけのことだ。それが真実・真理だ。他に何を思うことがあるか。

 瞬間瞬間を一生懸命に生きればいい。死ぬときはその瞬間一生懸命死ねばいい。そもそも死がどういうものかなんてあらかじめ分かるものではない。わからぬものにあれこれ惑わされるなんて時間の無駄としか言いようがない。そんな暇はない。今この瞬間を生きましょう。

 坐禅すれば真実・真理を実現・実証しながらこの瞬間を生きることができる。坐禅しましょう。

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