第114話 現成公安その十三 仏教には転生などない

 「かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり。このゆゑに不生といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。このゆゑに不滅といふ。」

 この薪が灰となった後にさらに薪となることなどないように、人が死んだ後にさらに生の状態になることはない。このように生が死となると言わないのは仏法が決まってずっと言い続けてきたことである。この故に「不生」(生という必要もない)というのである。死から生となることはない、仏法が決まってずっと説いてきたところである。この故に「不滅」(死という必要もない)というのである。

 生と死を相対するものと捉えない。そして生きている時はただひたすらに生きているだけ。死の時はただひたすらに死んでいるだけ。

 この瞬間瞬間を必死に生きている時、「生」であるなどと言っている暇はない。ただこの瞬間があるのみだ。だから生死がどうのこうの言う必要はない。だから生とわざわざ言わなくてよい。だから「不生」。

 同じように死の時はただ死であるだけだ。わざわざ死という必要もない。だから「不滅」なのだ。

 生きていれば必ず死ぬ。生きている時は生きているだけ。死ぬときは死んでいるだけ。ただそれだけだ。

 輪廻転生とかいうけれど、道元禅師はそのようなことは一切言っておられない。転生するなどという考えは仏教の考え方ではない。そして転生なんてことを考えたところで何にもならない。物語としては面白いだろうけどね。でも物語でしかない。

 坐禅して今この瞬間を生きましょう。

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