第116話 現成公安その十五 悟りとは普通になること

 「人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も弥天みてんも、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる。さとりの人をやぶらざる事、月の水をうがたざるがごとし。」

 人が悟りを得る(真実・真理を実現・実証する)ということは水に月が映るようなものである。その時月は濡れることはないし、水が乱れるということもない。月の光は広く大きく照らす光であるけれども、一尺・一寸ばかりの水に映り、月全体天全体も草の露に映り、一滴の水に映る。悟ったことが人を変えてしまうことはないことは、月が水に穴をあけるように乱すことがないことと同じである。

 私は「悟る」という言葉が嫌いだ。怪しげな連中が邪な考えで金儲けの道具につかってしまってきていて、嫌な雰囲気を纏ってしまっているからだ。

 これらの連中は「悟り」によって人間が変化する、超人的な神秘的な能力を獲得するようなことを言う。人間を超越するかのようなことを言う。

 しかしそれは全くのでたらめだ。「さとりの人をやぶらざる」なのだ。人は人である。ただ普通の人、本来の人の状態になるだけのことだ。

 今の世の中、他人と違うことを言ったりやったりすることがもてはやされているように見えるけれど、それはただ幼稚なだけだ。

 人間は大宇宙の真実・真理そのものとなり、真実・真理を実現・実証するために生きるのだ。そしてそれは普通の人間となることだ。大宇宙そのものとなるのだから、ごく普通に存在し行動するだけだ。

 真実・真理とはごく当たり前の普通のことに決まっている。ところが人間は利得、名利、欲望、見栄、地位などに憑りつかれ「ごく当たり前の状態」からどんどん遠ざかってしまう。

 だから坐禅して大宇宙の真実・真理と一体となる必要がある。普通の人間にならなければいけない。それが人間が生きる唯一の目的なのだ。

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