第54話 辦道話その四十三 言葉の巧みさと真実・真理は関係ない

 「いはむや広大の文字もんじ万象ばんぞうにあまりてなほゆたかなり、転大法輪又一塵てんだいほうりんまたいちじんにをさまれり。しかあればすなはち、即心即仏そくしんそくぶつのことば、なほこれ水中の月なり、即坐成仏そくざじょうぶつのむね、さらに又かがみのうちのかげなり。ことばのたくみにかかはるべからず。いま直証菩提じきしょうぼだいの修行をすすむるに、仏祖単伝の妙道をしめして、真実の道人どうにんとならしめんとなり。」

 ましてや大宇宙の真実・真理を表す広大な文字は大宇宙の全存在、森羅万象に満ち溢れていてさらに豊かなものである。大宇宙の真実・真理を展開する説法は極々微小な塵の中に納まっている(すべての存在が大宇宙の真実・真理を説いている)。そういうことであるから即ち、「即心即仏」という言葉は真実・真理そのものではなく水に映った月であり、「即坐成仏」と言葉で言ってみたところでやはり真実・真理そのものではなく鏡に映った影にすぎない。言葉の技巧に引きずられてはいけない。今、この身心で直接真実・真理を体得する方法、修行を教えようとするために釈尊以来真っ直ぐに伝えられてきた方法(妙道)を示し、真の仏道に入る人間となれるようにするものである。

 今の世の中、言葉による表現が上手い、弁舌が鮮やか、議論に強い(論破なんて言ってますな)ことが評価されている。そういうことができることが優れていると思われている。

 しかし道元禅師はおっしゃっている「ことばのたくみにかかはるべからず」。言葉は真実・真理の影に過ぎない。真実・真理そのものではない。今の世の中、影をありがたがって誉めそやしている。影をありがたく拝んでいる。影に引きずり回されてあーだこーだ騒いでいる。そんなことをしていては駄目だ。

 言葉をどうこうしようなんて考えていないで、坐禅して自分自身の身心を大宇宙の真実・真理そのものとしなければいけない。坐禅して大宇宙の真実・真理と一体となった時、森羅万象が真実・真理を説いていることを身体全体で感じることができる。自身が大宇宙の中の真実・真理そのものだとはっきりわかる。そしてそれが本来の姿なのだ。言葉に引きずり回されて本来の姿を見失ってしまっている。そのことに気付かない限り人類は救われない。

 坐禅しましょう。

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