第44話 辦道話その三十三 神も坐禅しなければ真理に到達することはできない
「とうていはく、なんぞひとり
しめしていはく、
大師釈尊、まさしく得道の妙術を正伝し、
第二問答。
質問して言うには、何故坐禅のみが仏法の正しい入り口というのか。
答えて言うには、釈尊はまさしく坐禅によって大宇宙の真実・真理を得、それを伝えた。また過去・現在・未来の真実・真理を得られた方々もみな坐禅によって大宇宙の真実・真理を得たのである。であるから正しい入り口、正門であると伝えてこられたのだ。それだけではない。インド、中国の仏と言われた方々もみな坐禅によって大宇宙の真実・真理を得たのである。故に今、人間世界にも天上世界にも正しい入り口としての坐禅を示すものである。
坐禅以外に大宇宙の真実・真理を得る方法は無い。そして大宇宙の真実・真理というのは本来の人間の姿であり、人間は本来大宇宙の真実・真理そのものなのだ。その本来の姿に立ち戻るために坐禅をする。坐禅以外に方法は無い。
これが最大唯一のことだ。ここは議論の余地はない。絶対的な事実であり、それを信ずることが信仰なのだ。そして私の経験からこのことは間違いのないことだ。
大宇宙の真実・真理は空間、時間を超越している絶対的な真実・真理であるから過去・現在・未来に亘って常に正しい。そして大宇宙の全存在にとっての真実・真理であるから、人間に限るものではない。天上界というものが存在するとしてもそれも含めて全存在にとって真実・真理なのだ。
たとえ神というものがあったとしても坐禅しない限り真実・真理に到達することはできない。
坐禅は絶対的なものなのだ。
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