第35話 辦道話その二十四 考えても平和は生み出せない 

 「しかあれども、このもろもろの当人の知覚に昏ぜざらしむることは、静中の無造作にして直証なるをもてなり。」

 坐禅した瞬間、身心は本来の真実・真理そのものになり、大宇宙そのものとなり、森羅万象が真実・真理の姿を現す。

 けれどもこのことは坐禅している当人がわかるとかわからないとかいう知覚の中には入ってこない。自分でわかったとか意識されることではない。何故ならば、坐禅(静中の無造作)すること=真実・真理であることを直接そのまま経験することだからなのだ。頭で考えて理解するというようなことではない。頭で考えて理解することは絶対にできない。

 ここのところが現在の人間に理解されない最たるところだろう。「本を読めばわかる」「知識を蓄えればわかる」「話を聞けばわかる」「考えればわかる」と信じているからだ。

 しかし、今の世界は真実・真理の世界か?とんでもない。ウクライナでは殺戮と破壊が繰り広げられている。世界各地に紛争がある。各国は軍事力の増強に余念がない。核兵器の使用をほのめかす国があり、核兵器を持とうとする国がある。人類は未だ軍事力無しには国の独立を維持できないという低レベルにとどまっているではないか。

 人間の考える力は軍事力の高度化、破壊力の増強、核兵器の進化は生み出したが、平和は生み出していない。

 つまり真実・真理には思考では到達できない、少なくとも現時点では到達できていないのは明々白々である。

 脳味噌をいくら捻ったところで真実・真理には到達できない。

 坐禅する以外に方法は無い。

 坐禅して真実・真理の状態になった時、そのことに気付くことはないが、真実・真理に従って静かにただ純粋に行動して行くことができる。

 

 

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