第32話 辦道話その二十一 恐怖の拮抗の上の平和

 「このとき、十方法界じっぽうほっかい土地草木どじそうもく牆壁瓦礫しょうへきがりゃくみな仏事をなすをもて、そのおこすところの風水ふうすい利益りやくにあづかるともがら、みな甚妙不可思議じんみょうふかしぎ仏化ぶっけ冥資みょうしせられて、ちかきさとりをあらはす。」

 坐禅をして身心が真実・真理の状態になった時、大宇宙の真実・真理の状態となった時には、全宇宙の大地も草も木も、垣根も壁も瓦も小石も神羅万象すべてが真実・真理の状態=仏となり、真実・真理を現すのだから、風とか水だとかこの宇宙のあらゆる現象が真実・真理をもたらし、その利益を受けるものはすべて頭で考えることなど不可能な真実・真理の眼に見えない力によってこの心身そのもので直接(ちかしく)真実・真理を現す。

 坐禅をした瞬間、この心身は大宇宙そのものなのだ。だから大宇宙と自分の継ぎ目は無い。従って自分を含めた全存在が真実・真理に従って活動し真実・真理を現すのだ。

 この状態は絶対的に存在するのだけれど、しかし「甚妙不可思議」なのだ。言葉では言い表せない、脳味噌で考えることは不可能なことなのだ。

 ここに坐禅が普及するために難しいところだ。現代人は頭で考えれば不可能なことは無いと信じ込んでいる。確かに科学技術の進展は素晴らしい。これは人類の施行する能力、それを実現する能力そのものだ。

 しかし果たして人類はその技術を適正に使えているだろうか?ロシアはウクライナを武力で破壊し殺戮している。核攻撃も辞さないという。北朝鮮もせっせと核兵器を作りミサイルを作っている。中国も戦力増強に余念がない。世界各国軍事力の増強に励んでいる。

 人類というのは軍事力の恐怖の拮抗の上にしか平和を築けないレベルにあるというのは明らかな事実だ。恐怖の拮抗の極みが核兵器だ。

 人類は考えることはできる。しかし正しく考え、行動することはできていない。これは事実が証明している。

 考えることができない=不可思議であることを否定、軽視している限り人類の幸福は無い。

 坐禅して今の状態・考えを振り捨てつまり身心脱落して、真実・真理の状態になること、大宇宙の真実・真理の状態と一体となること以外に人類が救われることはない。

 考えや言葉に憑りつかれている限り救いは無い。未来は無い。そろそろそのことに気付いても良いのではないか。

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