第21話 辦道話その十 オウム真理教・サリン事件

 今日3月20日は27年前にオウム真理教が通勤時間帯に地下鉄内でサリン事件を起こした日。

 私も地下鉄で通勤中だったが、被害にあうことはなかった。車内放送で「霞が関駅周辺でガス爆発があったということですので次の駅は停車せず通過します」という車内放送があったのを覚えている。ガス爆発があったから次の駅を通過するというのは今思えばよくわからない内容だけれど、相当混乱していたんだろう。

 夕方、帰宅しようとしたら地下鉄の自動改札が突然すべて通行できなくなり、駅員が「液体が撒かれたという情報がり、地下鉄は全線運航を停止してます」と叫んでいた。

 この事件は辨道話の一節「いたづらに邪師にまどはされて、みだりに正解しょうげをおほひ、むなしく自狂にゑうて、ひさしく迷郷めいきょうにしづまん」という言葉がぴったりと当てはまる。

 よく知らないけれど、オウム真理教では修行を積めば神秘的な、超人的な能力が備わるとしていたらしい。

 はっきりさせておかなければいけないのは、人間は本来真実・真理そのものであり、大宇宙の真理そのものであるということだ。

 しかし人間は名誉とか地位とか利益だとかに憑りつかれて本来の真実・真理を見失ってしまう。自分の外側に何か素晴らしいものがあるんじゃないかとおろおろ探し回って混乱の渦の中に沈んで行ってしまう。だから坐禅して本来の姿に戻らなければいけない。大宇宙と一体とならなければいけない。

 そして本来の姿、本来の面目というのは、「普通の人間」になるということだ。普通の人間になって普通の日常生活を一生懸命に生きることだ。

 特別なものになることではない。神秘的でも超人的でもない。そんなことができるようになって何がしたいんですか?

 宗教が神秘性とか超人的な装いを纏うことは極めて危険だ。そういうものを纏わせたがるのは金儲けがしたい詐欺師だ。

 本来の人間、普通の人間は真実・真理そのもの。しかし、本来の人間、普通の人間でいることは非常に難しい。ロシアのウクライナ侵攻など非常に大きなものだが大なり小なり今の世の中は「普通ではないこと」に満ち溢れている。

 最高の価値は本来の姿、真実・真理に立ち還ること、普通の姿に立ち還ることだ。そのためには坐禅するしかない。


 

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