第20話 辦道話その九 「自分」から脱せよ

 「この単伝正直の仏法は、最上のなかに最上なり、参見知識のはじめより、さらに焼香・礼拝・念仏・修懺・看経しょうこう・らいはい・ねんぶつ・しゅさん・かんきんをもちゐず、ただし打坐たざして身心脱落しんじんだつらくすることをえよ」

 ただひたすらに坐禅して身心脱落することをえよ。

 身心脱落とは何か。

 人間は「自分というもの」を頭の中で作り上げてそれに固執している。「自分」ってなんだ?地位?名誉?財産?

 そんなものは、自分の周辺を飾っている装飾品に過ぎない。地位や名誉や財産が無くなったら自分も消えるのか?そんなことはない。まっさらな自分というものが残るだけだ。本来の姿に戻るだけのことだ。

 頭の中の妄想、社会的な評価などに引きずられて人間はおろおろうろうろしている。本来の自分と無関係なものに引っ張り回されて、本来の自分、真実・真理を見失い、うろたえ転げまわっている。

 それを捨てよ。捨てるといたって、頭の中で「捨てよう、捨てよう」としたって捨てることなどできない。

 坐禅をすること、坐禅の姿勢を取ることによってのみ、本来の自分、真実・真理を体得できる。本来の自分に戻る、真実・真理を体得すること、それが身心脱落だ。

 余計なものがすべて剥がれ落ち、削ぎ落されて、真実・真理のみが残る。本来の自分が現れる。

 坐禅の姿というのは、究極的な最高最上のものなのだ。

 坐禅をただひたすらに信じて坐禅する。そのことによってのみ本来の自分、真実・真理に至ることができる。

 

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