第13話 辦道話その三 なぜ人を殺せるのか ロシアのウクライナ侵攻

 連日ロシアのウクライナ侵攻のニュースが溢れている。

 暗澹とする。なぜ人を殺せるのか?

 この根本的というか根源的なところがはっきりしなければ永遠に人類は救われないだろう。

 私が正法眼蔵を読み、坐禅してきた中で言えることはただ一つだ。

 本来人間は人を殺すことはできないものだということ。

 理屈ではない。理屈なんてものは如何様にでも作れる。

 ロシアにはロシアの理屈があり、ウクライナにはウクライナの理屈がある。理屈だけを推し進めていけば、核兵器を使う理屈だって成立する。理屈というのはそういうものだ。

 「人を殺していけません」と言っても、「いや、この場合は殺すべき正当な理由がある」と主張する人間は必ず出てくる。世界の歴史を見ても「殺すことの正当性」の主張は山のように見つけることができる。

 理屈では解決しない。

 ではどうするか。人間本来の姿に立ち戻るしかない。そのための方法は坐禅しかない。

 坐禅した身心は真実・真理に従ってのみ行動する。自らを正しく受け入れ正しく使うことができる。これを「自受用三昧じじゅようざんまい」という。

 ここに至らない限り、人類が救われることは絶対にない。

 国際法だの、国連だの、人道だのいろいろ言ってみたところで(価値が無いとは言わないが)、いざ軍事力が行使されてしまえば、そんなものは脆く儚い無力なものだということがウクライナ侵攻で証明されているではないか。

 当面人類は、軍事力を前提とした危ういバランスの上で生存を図るしかない。しかし。そんなことを永遠に続けられるはずがない。

 本来の姿を取り戻すことしか人類を救う道はない。だから坐禅が必要なのだ。 

「諸仏如来、ともに妙法を単伝して、阿耨菩提あのくぼだいを証するに、最上無為さいじょうむいの妙術あり。これただ、ほとけ仏にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧じじゅようざんまい、その標準なり」

 

 

 

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