第8話 正法眼蔵に入る前に 私の考え方 坐禅

 前に難行苦行なんて無駄、不要と書いた。

 坐禅は難行苦行ではないのか?と言われるかもしれない。

 難行苦行じゃありません。

 道元禅師は坐禅を「安楽の法門」とおっしゃっておられる。

 坐禅が厳しいものだと誤解される一因に、姿勢が乱れたりすると警策きょうさくという先が平たくなっている木の棒で肩を叩かれたりすることがあるんじゃなかろうか。

 私は坊さんを信用していいのかわからないので坐禅会に参加したことはない。訳のわからん坊さんに棒で引っ叩かれるなんて冗談じゃない。そんなことされたら棒を奪い取って殴り返してやる!

 これじゃ社会不適合者ですかね?

 ただ、道元禅師がお書きになった普勧坐禅儀ふかんざぜんぎや正法眼蔵の「坐禅儀」「坐禅箴ざぜんしん」などの中に警策という文字が出てこないのだ。

 道元禅師は坐禅をする場所や、足の組み方など非常に細かく書いておられるのに警策は出てこない。警策は必要じゃないから書かれなかったんじゃなかろうか。

 だから警策を使うようなところには行きたくない。行かない。

 さて、坐禅については、これから色々と書いていくことになるけど、まず、坐禅してすぐに感じられること(少なくとも私には)を書いてみる。

1 姿勢が整う

  毎日坐禅していると、身体の状態が毎日違うことがよくわかる。骨格の状態も含めて違う。

 私は8年前軽い脳梗塞をやって左半身に若干の動かしづらさ、重怠さがある。それも影響しているかもしれないが、毎日身体の状態は違う。

 坐禅の姿勢が取りづらい時がある。姿勢を整えようとすると身体がぼきぼき音をたてたりする。そして、坐禅の姿勢が整うと身体がすっきりして心地よくなる。坐禅をすると身体が正常な形になる。

2 内臓が正常になる

  姿勢が整うと、内臓も正常な位置に戻る気がする。そうすると内臓が動き出す。端的には便通がつく。

3 自分は宇宙の中の存在だと感じる

  坐禅していると自分が宇宙の中にぽつねんと坐っていると感じる。自分は宇宙の一部と感じる。そして自分の肉体が生命活動をしていると感じる。冬など自分の周りの空気が陽炎のように揺らいで立ち上っていることがある。

 坐禅とは何かはこの後もずっと書き続けることになる。

 

 

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