第2章 正法眼蔵 辦道話

第11話 辦道話その一 人間の脳味噌を信じるな

 ここから、正法眼蔵に入っていきたい。思いついたことがあったら脱線するかもしれないけど。

 さて辨道話べんどうわから。

 辨道話べんどうわは道元禅師が宋の国で真の仏教を体得され帰国された4年後寛喜3年、1231年に書かれている。

 日本に真の仏教を伝えなければならない。そのことは当時の既存の宗派を厳しく批判することになり、道元禅師は京都を離れ備前の国に行かねばならないことになる。しかし真の仏教は譲ることはできない。そのため、道元禅師はこの辨道話、正法眼蔵などの著作をお書きになっている。

 真実・真理だからといって世の中が受け入れるとは限らないのは歴史が証明している。人間が頭の中で考えることというのは基本的に不完全なものだと思っているし、今現在一般に通用しているものであったとしても「単なる流行」の可能性をいつも疑っている必要がある。人間の脳味噌を信じ込んではいけない。

 「辨道」とは岩波文庫水野弥穂子氏の脚注に「成辨道行。真実に生きる修行に力をつくすこと」とある。

 これまでにも書いたけど、修行というと、「修行して悟る」という意味と思っている人が多いのではないか。真実を悟るまでが修行だと。

 そうじゃない。「真実に生きる」ために生涯修行し続けるのだ。修行とは坐禅である。坐禅し続けねばならない。

 真実は「こういうものです」などと示すことなどできない。できないが、真実は存在する。その真実に従って生き続けるために修行、つまり坐禅が不可避なのだ。

 こう書いても何のことやらおわかりにならないと思う。

 が、曰く言い難しとか以心伝心とか訳のわからない言葉で誤魔化してはいけない。

 道元禅師はそのために苦心惨憺され必死で正法眼蔵を書かれたと思っている。

 私なりに正法眼蔵を辿っていこうと思う。

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