15.表現力のつけ方
彼女は興奮した様子で口を開いた。
「やったじゃない。
指が動いていないとかの初歩的な指摘ではないということは、
素質があるということ。
楽譜の読み方に入るというのは上級者に言うことなのよ」
「へ~そうかい。俺には凄さとか分からないんだが」
そう話しているうちに教師が帰ってきた。
「お待たせ致しました。
これがさっきの作曲家の経歴について書いた本です。お読みなさい」
教師が差し出したのは分厚い本三冊。全てこの作曲家に関するものなのだという。流石にこれ全て読み切るのは難儀だ。
「では本日はこれまでに。お嬢様も鍛錬をおこたりませぬよう」
「はい。分かっておりますわ」
帰り道
バックに重たい三冊の本を詰め込んで、若干よたよたした歩き方の彼は言う。
「こんなに膨大な知識どうやって覚えたんだよ?」
夕食時に両親に叩き込まれる情景を伝えては、
がんばる気持ちをなくしてしまうかもしれないという危惧から
正確な事実を話すことはためらわれた。
だから美咲は自分で行っている方法を語った。
「私の場合、覚えるとは少し違うかな。
まず記録の残っている肖像画とか顔写真なんかを年齢順に並べるの。
子供のころ、若い時、おじ様になってく様子を想像するの」
その人がどんな人生を送ったのか。人生の契機は何なのか。
「顔ってそんなに重要なのか?」
「私にとってはとても重要よ」
その後年表を作るのだ。
彼の思想を変えた時代背景、家庭環境、大人になってからの思想、
結婚、離婚死別。
その人物を形成するのに必要だったすべての事柄を分かる範囲で書いていく。
「そんなことしていたのか。どれくらいの作曲家を分析したんだ?」
彼女は指折り数えていく。両手で足りなくなって、また広げて、足りなくなってまた折った。
「二十二人かな。あ、これ外国人も日本人も入れて
だからそんなにすごくはないかな」
「流石才女」
彼はじっと考えていたのだと前置きして、はなしだした。
「俺って頑張って練習したらあのセンセイ、認めてくれるカナ?」
「う~ん。寝食を忘れるくらいに没頭すればね」
「そっか」
彼には音を気にせずに出せる空間がないのだ。
もともと住宅街であるから音を出せないはずなのだが、
昼間ならば迷惑だと言ってくる人がいないのと、
それなりにうまいので周りの人も許容出来ているのだ。
熱中していた中学時代さえ、
近所の人から「うまいね」と賞賛されることはあってもやめろと苦情を言われることはなかった。
しかし眠ることも食べることも忘れて練習することが必要ならば今の条件を変えなくてはならない。
さすがに真夜中に演奏していたら近所迷惑だろう。
もう親をあてにして何かするものでもない気がして、
無気力な間はバイトをしていた。手元には十六万ほど自分でためたものがある。
彼女に行って練習できる環境を整えてもらうことも出来たが、
それは先生に認めてもらってからにしようと思う。
彼そう決意し、彼女に言った。
「じゃ、レッスンの予定はメールでしらせてくれ。
おれはこれから数週間自主練してるから。
見てろよ。二週間後にはもっといい評価貰ってやるからな」
「へ?」
彼はそういって走って行ってしまった。
「何か考えているみたいね。やっぱり私、好奇心旺盛みたい。気になる」
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