14.レッスン風景

 次の週のレッスン日、彼が来た。

「失礼します」


「ようこそおいで下さいました。美咲の講師をしております石垣と申します」


 丁寧に会釈をされて彼は顔をひきつらせた。


「よ、よろしくおねがいします」


 先生は彼の挨拶を聞くなり、身を翻してしまった。


「あなた自体に興味はありません。

 どんな経歴の方でもかまいませんわ。

 まず、彼女と並びたてる可能性のある人がいないのですもの。

 その可能性があるというのなら稽古をつけるくらい構いません」


「は?」


「だから準備して来てって言ったじゃない」

「これだけはいっときますけれど」

 彼には何のことだかさっぱりわからないようだったが、

 女性たちは話をすすめていく。


「次の発表期限まで後一カ月。お二人には同じ曲目を弾いていただきますわ」


「できるわけないだろ?」


 彼の否定の言葉というよりはあきれの意味合いが強くなっている。

 ほんの少しだけ、やる気が満ちているように感じたから。


「あなただって出来るじゃない。ピアノじゃないけど、ヴァイオリン」


 教師はパンと手のひらを鳴らす。それは彼女流のレッスン開始の合図だ。


「まず――から弾いてみてください。いつものとおりにお願いしますわ」


「はい」


 曲目は‘‘‘‘‘‘‘‘。三分ほどの短いものだが指の配置が難しい部分が多く、

 楽譜道理完璧に弾きこなせる走者はいないといわれている難曲だ。


 彼女はいつもそうしてきたように鍵盤に指を乗せる。

 ゆったりと滑らかに曲を奏でる。


 彼女の指は難易度が高いといわれている箇所を難なくこなしていく。

 長いようで短い3分間がおわる。


「どうです? これがあのこの実力です。

 あなたはこれに追いついてもらいます」


「出来るか。そんなもの」

 彼女の先生は厳かに言い放つ。険しい顔なのはそれだけ真剣なのだろう。


「出来る、出来ないではありません。

 彼女の推薦ならば、これくらいは出来てもらわないと」


 彼女に対する信頼を感じるとともに、初心者への侮蔑も感じた。


「まずはどんなにひどくても黙って聞いて差し上げます。お弾きなさい」


 彼は緊張した面持ちでヴァイオリンを手に取った。


 彼女に比べたらはるかにぎこちなく本当に奏でることができるのかと不安になるほどどこか弱弱しい立ち姿であった。

 しかし彼女の先生は期待ともとれる好機の視線を彼の指先に送った。




「なるほど。悪くはない。しかし楽譜を読み取る力が圧倒的に不足しています。この作曲家の経歴はご存じ?」


「いや……知らない」


 教師の言葉を聞いてた美咲は、ぱぁっと明るい表情になった。

「それならば調べれば良いわけですね。作曲家の生い立ち、

 どのような考え方をする人だったのか、

 この曲はいつ作られたのか作曲家自身になりきることが求められますもの」


「その通りです。調べた上でどうしてこの曲になったのかと想像していただきたい。これは知識の問題でもありますから。少々お待ちなさい」


 そう言うと教師は部屋の奥へと消えて行った。

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