13.練習と防犯意識

 滑らかに、たおやかに止まることなく動き続けるその指に、彼は感嘆する。

 

 視線を少しずらして彼はかすかに違和感を覚える。

 

 明るい部分になっても暗いメロディーになっても、彼女の表情はかわらず、

 淋しさを称えている。

 きっと彼女が自らの意思で楽譜を覚えたのではないからだろう。


 課せられたノルマを楽しんでこなすというのはなかなか難しいことだ。

 

 彼女なりに楽しさを見出す間苦痛で仕方なかったのだろう。


 しかし次の瞬間にはそのかすかな違和感すら彼女は表現力で消していく。

 

 クライマックスの部分でがらりと彼女の雰囲気が変わる。

 

 観客に残るのはただ作曲家たちのイメージを見れたという満足感だけなのだ。


「どう?」

 彼女は屈託のない笑顔を見せる。


「まだまだ実力のなさを見せつけられてるだけみたいだった」


「そんなこと……」


「だからまだ一観客として感動した。あんた、もの凄く巧いな」


「ありがとう」


『夢を追うのは自由』だと彼女は言った。彼女は輝かしい才能がある。それは凡人には目指そうと思って持てるものではない。


 だから彼女の先生もエコひいきにしか見えない言動をとるのではないだろうかとすこし理解できた気がする。


「送って行こうか?」

「何時もの公園までお願いしたいですわ」


「家までは?」


「変質者としておつかまりになりたいのであればどうぞご自由に」

「え?」


 スカートをひらひらさせてお穣様は答える。

「私、両親に男の人とあっているとは言っていません」


「ま、まさか出かけるとも言ってないとは言わないよな。

 友達と居るくらいは言っているんだろ」


「親にはなにも」


 彼女の答えは簡潔で聞いているこちらが驚いてしまう。


 時刻は九時半。こんな時刻にカミングアウトされてしまったら送るしかない。


「とりあえず、問題にならないとこまで送るよ」


「ありがとう」


 彼女はやけに嬉しそうだった。


 二人が外に出た瞬間、いきおいよく前に飛び出してきた影があった。


「あ、白山田。忘れてた。移動するなら言っておくんだった。ごめん」


「今何時だと思っているんです? 周りの人に外出するといっていないんでしょう。もっと気をつけてください。あまりに無頓着ですと、奥様に言ってしまいますから」


 執事の白山田の攻撃はなおも続く。

 辺りを気にして、小声になってもまだお説教だ。


「有名人だという自覚を持って下さい。

 ちかごろの男はへんなことを考える人も多いんですから」


「落ち着いてよ。判りました。反省しています。

 ごめんなさい。――紹介するわ。こちら金山進さん。おなじ高校出身なの」


「こんばんは。お嬢様に指導していただいているなんて羨ましい。

 さてお嬢様、近頃は変な男もいるといいましたよね?」


「ええ。いったわよね」


「彼がよこしまなことを考えていたらどうしますか?」


「そのために白山田がいるんでしょ?」


「頼りにしてくださるのは嬉しいですが、もっと対策を考えて下さい。

 それに、お穣様、この男に特別な感情は一切ないですよね」


「当り前でしょ」


「それを聞いて安心いたしました。

 お穣様にはそれ相応の身分と容姿の方であってほしいと思っておりますので」


「悪かったな。パッとしない容姿で。

 じゃ送りは此処まででいいな。気をつけて帰れよ」


「ありがとう。またね」

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