3.彼 回想

 彼女は今でも思い出す。初めて話しかけてきた彼の姿を。


「取材させて下さい」なんてね。本気で言っているのかしら。

 

作家なんて才能がモノを言う世界。

 

いくらすごいと評判の人に取材したってそれを生かせる人は本の一握り。

「そんな夢物語本気で言っているなんて、今考えると笑えるわね」

「取材」されていくうちに彼は少しずつ自分のことも語っていくようになった。彼は


小さな賞を受賞したらしい。

学校の表彰台に一度だけ上がった事があるから。

 そう。ただ一度だけ。そ

れ以来彼は詩も小説も書いていないそうだ。


 本当に彼の実力がなかったわけではない。

あったけれど、ある日書けなくなってしまったのだろう。


 そしてそれは同情すべきことでもない。

プロを目指している私たちにとって出来なくなることは当たり前の現象なのだ。

いかにその期間を短くするのか、それこそが意識すべきこと。


 彼にプロ意識を教えてどうにかなるとは思えない。


ただ言葉で言っただけでは真意は伝わらないだろう。

彼女とて直感で知っているに過ぎないのだから

他人にはっきり伝える自信がないのだ。


「可愛らしい悩みだこと。ライバルがひしめく中での泣き言は足元をすくうだけよ。あの子とかにはいえないわね」

 きちんと姿勢を正して彼女は鞄に眠っている楽譜を思う。

そこに楽器はないけれど、音楽ある程度こなしているものならば、

移動中だって練習できる。彼女はカラオケブース内のテーブルに両指をつけた。

他人から見たら、ピアノなどどこにもない。


しかし彼女の脳裏には指の下には健盤があり、

少し指に力をいれれば音が感じられる。そ

れくらい想像力と集中力を彼女は持っている。


 細くて白い指を動かす。

現実に音は付いてこないけれど彼女には聞こえる。

 それは日々の鍛錬のたまものだ。3分ほどの曲が終わる。


「いっそ私が小説でも書いてやろうかしら」


 そんなことを思い立った彼女はスマホを取り出して、

メモ機能を使いなにごとか記録しているようだ。


「そういえば。あの人、大学進学したみたいだけど、どこに行ったのかしら」


 高校を卒業してから3か月経とうとしている今になって、

その疑問が浮かんできた。

彼女は本当に周りの人について興味がなかった。




 

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