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   第五章



「ここでよろしいですかな?」

「そうだ。ゆっくり下ろすぞ」

 天見の指示のもと、ロッカーを申請室の中央に下ろす。

 加鳥に自白させるために使うロッカー。鉄製で、どこの学校にも置いてある代物だ。

 一人では運べないので、富久田に手伝ってもらった。

「これだけのために呼び出してすまないな」

「後上どのの頼みなら断れませんからな!」

 手伝いを請う連絡をしたら、喜んで応じてくれた。フィギュア部の一件以来、富久田には慕われている気がする。悪い気はしなかった。

「それで、天見どのは?」富久田はいった。

「加鳥を呼びにいってる。もうそろそろ、来てもいい頃なんだが」

 と、申請室のドアが開く。

 天見ではなく、都倉だった。目の下には大きな隈ができていて、虚ろな目をしていた。

「大丈夫か? すごい隈だぞ」

 声をかけたが、都倉の耳には届いてないようだった。

「昨日、天見と会えたの?」

「ああ、申請室にいたよ」

「話はうまくいったの?」

 昨日のことを執拗に聞いてくる。単に気になるだけなのか。それとも、おれと天見が話したことが気に入らないのか。

 どちらにせよ、話の内容については伏せておく。

「うまくいったよ」

 元気のない都倉はさらに落ち込んだ。この世の終わりを迎えたような顔。目元も潤み、くちびるも震え始めた。

「……それじゃ、二人は付き合ってるの?」

「どうしてそうなる!」

「え? 昨日、天見に告白したんじゃないの?」

「してない!」

 昨日から都倉の様子がおかしい理由がわかった。彼女は思い違いをしている。それも、あらぬ方向に。

 天見との会話の内容をひた隠ししていたので、変な勘ぐりされていてもおかしくはない。が、これほどとは。

 抱えていた不安が解消されたおかげで、都倉の陰鬱としていた気分は明るくなった。

「そうだよね。あんな女と付き合うわけがないよね!」

「そこまで言わなくてもいいじゃん」

 天見が申請室に着いた。後ろには加鳥がついている。

 申請室を見渡した天見は、

「準備は整ってるみたいだね」と満足げに頷く。

「今日は加鳥さんに何させようってのよ?」

 今回の計画目的は嘘の申請をした加鳥に自白させること。だが、おれと天見以外は目的を知らない。加鳥に警戒されるのを避けるためだ。

 都倉たちには加鳥が嗜好部に耐えられるかのテストだと伝えてある。

「やることはすでに後上君へ伝えてあります」

 都倉と加鳥の視線が突き刺さる。

「大丈夫。やましいことはしない」おれはいった。

 ほんとかなぁ、と都倉は憂う。

 天見はロッカーを叩きながら、

「今からこのなかに加鳥さんと後上君に入ってもらいます」

 異議あり、と手を挙げる都倉。

「私と会長じゃダメかな?」

「都倉……、今回の目的を忘れたのか?」

「言ってみただけだから!」

 これから加鳥とロッカーのなかに入る。

 機会は一度だけ。失敗は許されない。改めて、おれは昨日の天見とのやりとりを思い返した。

『制限時間は十五分。それまでに加鳥さんから真実を聞き出すんだよ』

『……どうしてロッカーで聞く必要があるんだ?』

『二人の距離が近い分、心の距離も近く近くなるんだよ』

『……もう、深くは聞かないことにする』

 普通に問い詰めたところで口を閉ざされる可能性は高い。だが、ロッカーに閉じ込めるのはどうなのだろうか。

 嗜好部の活動を理屈で理解しない方がよさそうだ。加鳥の動機が知れればよい。

『で、その役は誰がやるんだ?』

『後上君』

『また、おれなのか! ……富久田でもいいんじゃないのか』

『富久田君じゃ、ロッカーに入らないでしょ』

『それはそうだが……。それじゃ、都倉は? 天見はどうなんだ』

『今回の自白するかどうかは後上君次第なんだよ』

『おれじゃなきゃダメだと?』

『そう。後上君じゃないとね』

 結局、おれである理由は教えてくれなかった。嘘の申請をされて困るのは学園、及び対処を迫られる生徒会。もしかしたらおれに個人的な恨みがあって犯行に及んだのかもしれない。

 天見に促されて、ロッカーに入る。かなり狭い。

 掃除用具を入れるためのロッカーなので、人が入れるような設計になっていない。

「失礼します」加鳥もおれに続いた。

 できる限り隅に寄ってスペースを作る。接触を避けるよう努力はしたが、限界がある。足は交差し、加鳥の柔らかい太腿が当たる。

「それじゃ、二十分後またくるから。それまで、ごゆっくり」

 天見はゆっくりとロッカーを閉め、都倉と富久田を引き連れて部屋をあとにした。

 静まりかえった申請室。人の気配はなくなった。

 暗い視界。不自由な空間。お互いの存在を意識してしまう。

「やっぱり、狭いな」

「そうですね」

 制限時間は二十分。もう、本題に入ったほうがいいのか。

 と、

「まるで満員電車にいるみたいですね」

 電車内で起きた痴漢のことが頭によぎる。運良く気づくことができて、痴漢を止めさせることができた。

「電車みたいに揺れないから楽だけどな」

「こう、狭い空間だと変な気分になるのも分かる気がします」

 こうして思い返せるのは、もう気にしていないってことなのか。

 徐々にロッカー内の温度も湿度も高くなっている。蒸し暑く、汗が滲んできた。お互いの匂い、フェロモンが入り混じる。

「脱ぎますね」加鳥はブレザーのボタンを外し、脱ぎ捨てた。暗闇に目も慣れてきて、加鳥を視認できるようになってきた。

「おれも脱ぐよ」

 汗でカッターシャツがしっとりと濡れている。

 同じ姿勢でいるのも辛くなってきた。

「少し、動くぞ」

「はい」

 手を加鳥側の壁につけて、体を支える。ちょうど、加鳥に覆い被さるような姿勢だ。お互いが抱き合う姿勢が一番楽だが、おれも加鳥も必死に堪え続けていた。

「これから何が始まるんですか?」

「それは……」

 残り十分。

 躊躇う必要はない。おれは意を決した。

「四月二十六日、内履きを返すために下駄箱を開けた……そうだったな」

「そうですけど……。下駄箱を開けたことがそんなに気になります?」

「下駄箱に入れた物が問題なんだ」

「靴を返すことがそんなにおかしいですか?」

「昇降口に設置されている監視カメラの解析は済んでいる。靴は返していない。手紙を入れているんだ」

 加鳥は視線を下に向ける。

「……だったらなんだって言うんですか。友達と手紙のやりとりくらいするでしょう?」嘘を見抜かれて、戸惑っているのか。機嫌が悪くなった。

「……偽の学生証を渡すことがか?」

 おれはポケットから嘘の申請に使われた学生証と申請の手筈について書かれた紙を見せる。加鳥は横目で確認すると、また視線を逸らした。

「これまで、偽の部員を用意してきたのは加鳥だよな?」おれは加鳥に尋ねる。

 加鳥から長いため息が漏れる。不機嫌さを態度に表したかのような行い。すごく感じが悪い。

 加鳥は顔を上げた。

「うん。私で間違いないよ」普段の礼儀正しさは感じられない。開き直った言い方だった。

「……どうして、こんなことをしたんだ」

「子供ってどうして悪戯好きか知ってる?」

 話を逸らしているのか。だが、おれは返事をせずに先を促した。

「理由は簡単。好きな人に構って欲しいからです」

「何が言いたい?」

 わからないかなぁ、と加鳥。冷たく言い放つ彼女ははもう優しさを持ち合わせておらず、冷酷な人間と思えた。

「書記の仕事って地味だからさ、全然ありがたみがないんだよ」

「自分の努力を認めてほしかったのか?」

「日頃から感謝されるのは都倉さんで私じゃない。……だったら、私が必要とされればいい。それで今回のことを思いついたの。

 事件が起こっても、会長と副会長は忙しいから、どうしても私の出番になるわけ」

 名簿の作成に乗り出したのも加鳥だった。

「自作自演だった訳か」

「ターゲット選びは簡単だったよ。生徒会にいれば、嫌でも情報が入ってくる」

 部員が足りなくて困っている同好会の人間に偽の学生証を渡して、上手くいけば大金が手に入る。人間の弱い心をつけ狙った行動。

 承認欲を満たされたいがための犯行。なんとも自分勝手だ。

「それで、私のことはどうするの? お仕置きでもする?」

 生徒会と風紀委員には罰則を生徒に与えることもできる。もちろん、正当な理由および教員の許可が必要だが。

 今回の事件は迷惑行為に違いないが、悪質性は高くはない。

「今ここで決めることじゃない」

「だよねー」

 加鳥も罰則の基準については知っている。処分の内容が重くないことも知っているのだろう。罪の意識は薄い。

「それはそうと、話し方変わってないか?」

「暑くて猫被るのもしんどくなったからさ」

「もしかして、ロッカーに二人きりになったのは――」

「加鳥に事件の話を聞くためだ」

 加鳥はため息をつく。

「それだけのためにこんな狭い場所に閉じこめたのー」

「天見の案だ。一応、上手くいった」

「それにしても監視カメラは気づかなかったなー。変装でもすればよかった」

「ここで騒ぐな……!」

 狭いというのに、お構いなしに体をゆする。狭い分、逃げ場がない。肉体的にも精神的にも。加鳥のあらゆる部位の感触が伝わってくる。

 制限時間は残りわずか。目的は果たした。

 ロッカーに鍵はかかっていない。おれは外に出ようとした。が、加鳥に腕を掴まれた。

「逃げんな」

「目的は果たした。もう、これ以上ここにいる意味はない」

「うるさい。その口を黙らせてやる」

 加鳥はおれの首に手を回した。加鳥は顎を上げて、目を瞑る。

 そのまま、顔が近づき――。

「はーい。終了ー!」

 天見はロッカーを開ける。

 室内の新鮮な空気がロッカーのなかの淀んだ空気を循環した。

「二人とも、すごい格好だね」

「暑かったんだよ!」

「それで、目的は達成したの?」

「うまくいったよ」

「……ってことは後上君が入部してくれるってこと?」

「……そういうことだ」

「これで、五人揃ったね!」天見はおれの手をとり、ぶんぶんと振る。

「あのー、どういうことか説明してもらえる?」都倉は笑顔で尋ねた。おれと天見との握手を振りほどく。

 今回の本当の目的について都倉と富久田に説明する。

「なるほど、私と富久田だけが知らなかったわけね」

「すまない。その方が都合がよかったんだ」

「別にいいけど……まさか嗜好部に五人揃うとは思わなかったな」

「おれもだ」

「ひどいよ、二人とも!」

 これから加鳥に対する処分を考える必要がある。だが、ひとまず、偽造申請の件については解決となった。



 これまでの調査結果の情報を共有するべく風紀委員室に訪れた。

「結局、嗜好部に入部したんですか?」良水は呆れた様子だ。

「天見との約束だからな」

 おれの入部が決まると、すぐさま入部届にサインを迫られた。なんたる、用意周到ぶり。

 サインを済ませて、入ってみたものの違和感しかない。そもそも、生徒会長の人間が嗜好部という訳の分からない部活をしていいのか疑問が残る。

「少しいいか?」襟白は神妙な面持ちだった。

「どうした」

「これを見てくれ」

 A4の用紙を手渡される。

 どうやら、報告書のようだ。タイトルは崎野森学園の痴漢被害の実態。定例会の際に襟白が調べることになっていた案件。すっかり忘れていた。

「痴漢の調査結果をまとめたものだ」

「どうせ、進展はなかったんだろ」おれは報告書の中身を確かめなかった。

「被害者は加鳥だった」

「それは知ってる。おれの目の前で被害に遭ってたから」

「言い方を変えるぞ。……被害者は加鳥だけだった」

「なんだって?」

 おれは報告書の中身を確認した。

 学園内の聞き取り調査の結果、痴漢現場を目撃した者は多く、被害の詳細を語ってくれた。が、どの証言も被害者はきまって加鳥に似通った女性の特徴、若しくは加鳥の名前を挙げた。

 痴漢の対応をしていた駅員の話によると、同じ女子生徒が毎回被害に遭うので不審に思っていたとのこと。

「決定的な証拠はないが、可能性は高そうだな」

「加鳥さんがわざと痴漢の被害に遭っているってこと?」良水は尋ねた。

「動機はわからないが……」

「偽造申請の件といい、加鳥は相当ヤバい奴じゃないのか」

 ロッカー内の話し方を思い出した。否定できなかった。

「……ちょっと、加鳥と話してみるよ」

「私も同行するか?」

「いや、一人でいいよ」



 話すといってもどこにいるのか検討つかなかった。

 とりあえず、生徒会室へ寄ってみる。いなかったら明日にしよう。

 生徒会室のドアを開ける。鍵はかかっていなかった。無人のときは鍵を閉める決まりになっているので、都倉か加鳥がいるはず。

 だが、誰もいなかった。

 踵を返そうとしたが、異臭に気づく。

 黒煙。机の上で何かが燃えていた。煙は部屋の上空に滞留し始めていた。

 生徒会室に備えつけの消火器なんてものはない。

(探しにいくか?)

 が、これ以上の延焼を避けるのが先だ。上着を脱いで、燃焼物に何回も押し付けた。火の勢いは弱まり、なんとか鎮火することができた。

一息ついて、何が燃えていたのか確認した。

加鳥が作ったファイルだった。

 と、後頭部に強い衝撃を受ける。

 視界は黒に染まり、立っていられず、その場に倒れた。

 薄れる意識。顔を上げると、不敵な笑みを浮かべる加鳥の姿があった。声を上げようとしたが、力が出ない。

 視界が真っ暗闇に落ちた。

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