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   第三章



「疲れが溜まってるんじゃない? 目の下に隈ができてるよ」

「本当か?」おれは瞼の下をさすった。

 昨日、展示会が終わってすぐに片づけをした。そんなものは明日にでもすればよい、と富久田に伝えたが拒否された。高価なフィギュアがあるので早く家に持って帰りたかったらしい。

 段ボール箱への梱包作業、用意した装飾品の片づけ、やることはたくさんあり、関係者全員で片づけた。が、フィギュアの量があまりにも多く、想定した時間よりもかかってしまった。

 結局、帰れたのは午後十時。後片付けの疲労は今でも残っている。コーヒーを飲んで疲れをごまかそうとしたが、一向に効果はない。体はだるく、眠気もあった。

 これからの会議に支障がでないようにしなければ。

「今日はもう帰った方がいいんじゃない?」

「いや。この程度なら大丈夫だ」

「荷物はここに置かせてもらいますぞ」

 生徒会室の入口から富久田が段ボール箱を抱えて持ってきた。まだ、荷物があるらしく、取りに戻ろうとしているところを都倉が呼び戻した。

「ちょっと富久田、何やってんの?」

「見ての通り、それがしの私物を運んでいるのですよ」箱のなかはケースに収まったフィギュアが詰め込まれていた。

「ここは嗜好部の部室兼生徒会室と聞きましたが?」

 どこかで聞いたことのあるフレーズだった。どうやら天見が適当なことを吹き込んだようだ。

「富久田の荷物はそこに置いていいから今日はここまでにしてくれ。これから会議の準備があるんだ」

「何の会議ですかな?」

「風紀委員との定例会だ」



 定例会は高等部校舎の一階にある会議室で行われる。生徒会室が同じ校舎の二階にあるので、歩いてすぐだ。

「遅いですわ。いったい、何時だと思ってるの?」

 会議室に入って早々に不満をぶつけられた。

 顔をこちらに向けることなく、ふたりの女子生徒が席に座っている。

「会議ってたしか、四時三十分からだよね?」都倉が答えた。

 手元の腕時計をみると、午後四時二十五分。

 おれと都倉は慌てず、彼女らと対となるように座った。

「三十分前集合は当たり前でしょう」背の小さな女子生徒は頬を膨らませている。彼女の腕には『風紀委員』と金糸で縫い付けられた腕章をひっさげてあった。

 本日は生徒会と風紀委員による月に一度の定例会。

 しかし、背の小さい女子生徒はこれまで見たことがなかった。

(風紀委員の新顔か?)

 おれの視線に気づいた背の小さな女子生徒はいった。

「……なんですの?」

「どうして、中等部の生徒がこんなところにいるんだ?」

「なっ……!」

 背の小さい女子生徒の顔がみるみる赤く染まり、声をはり上げた。

「今月から風紀委員長に努めることになった良水千寿です! 会ってそうそう、中学生呼ばわりとは失礼じゃありませんか?」良水は口調を早めた。

「それに、わたくしは高等部の制服を着ているではありませんか。あなたはいったいどこを見ていらっしゃるのですか!」ツインテールの髪が怒りで逆立ちそうな勢いだ。

 よく見てみると、目鼻はくっきりと影を残すような顔立ちをしていた。それでも、女性の平均的な身長よりもかなり小さく、可愛らしい印象を受ける。

「これは申し訳ない。なにぶん、疲れが溜まっていて」

「言い訳は無用です。だいたいあなたは生徒会長としての自覚が足りないのではなくて?」

「千寿、話はそれくらいにして定例会を始めましょう」良水の隣に座っている女はいった。

 こちらの女には見覚えがある。前回、風紀委員長だった襟白薫だ。黒の眼鏡をかけ、細身ながらも体のラインはモデルのようにくっきりしている。

 襟白は定例会の進行を進めるべく、机に積まれていたファイルを各々に配りはじめた。

「この定例会はあくまで生徒会主催のものですから、私たち風紀委員が早く来るのは当たり前のことです。しっかり覚えておくように」

「不公平ですわ」良水は唇を尖らせていた。

「ちっこいのに態度はデカいんだから」都倉は呟いた。

「都倉、静かに。聞こえたら大変なことになる」

「聞こえてます」

「あ、聞こえてた」

「悪口を言われても気にしません。なんてったって、わたくしは選ばれたエリートですから!」

 生徒会役員ならびに風紀委員は生徒間からは選出されず、現役の役員からの推薦をうけて任命される。一応、良水も数ある候補のなかから選ばれた人間であることは確かだ。

「どうせコネクションでしょ」都倉はいった。

 実力ですわ、と良水は反論した。

「……いいから、早く定例会を始めよう」おれは襟白に先を促した。

「では、これより今期二回目となる定例会を開催します」

「朝のあいさつ運動の件ですが――」襟白は学校側の行事について話し始めた。

 風紀委員は生徒のモラル向上を図るために設置された組織だ。しかし、それは名目にすぎなかった。

「――運動部の一部でお金の賭け事が流行っているとの報告を受けました」

 風紀委員は各部活動の活動内容を独自に調べ上げ、生徒会に報告することが本来の姿である。違反した部活動の処罰を生徒会と風紀委員が検討して、学園側に提示している。

 定例会は滞りなく進んだ。

 襟白が資料の内容を説明していたので、良水は隣で頷くだけであった。

「最近、校内で噂になってる話題ですが――」

 襟白が見ているのはネットのまとめサイト。掲示板の書き込みをサイトの管理人がまとめたもので、メディアが取り上げない記事が多く、信憑性に欠ける情報も多い。

「噂?」

「ウチの学園の最寄り駅で痴漢が多発しているらしい」

 痴漢。あの出来事を思い出す。

「どうかした?」襟白はおれが反応を示したことを見逃さなかった。

「いや……加鳥も被害にあっていたから」

「そうか。それは……辛かっただろうな」

「それで、その痴漢の話がどうかしたのか? 犯人でも捕まったのか?」

「私が気になったのは被害者が決まって女子高生だった点だ」

「女子高生好きの犯人じゃないのか?」

「捕まった犯人はそれぞれ別の男性だ」

「たまたまだろ。学生の利用が多い駅だから。被害者も学生の比率が高かっただけだ」

「崎野森学園のニュースだったから報告したまでだ。……一応、この件に関しては、私が調べを進めておく」

 そんなことよりも、と良水は大きな声で主張した。

「最近話題の偽造申請の件はどうなったのですか?」

 おれは加鳥が作成したファイルのことを話した。つい先日、富久田の一件で実用性の高さを証明した。

「犯人はまだ捕まっていない。だが、すでに対策済みだ」

「ま、生徒会もそれなりに仕事ができるということですね」

「トゲのある言い方だな……」

「どこまで調査が進んでいますか?」

「まだ、犯行の手口しか分かっていない」

 犯行には実行犯と教唆犯がいる。

 人数不足が理由で同好会を立ち上げられなかった人物が実行犯になることが多い。教唆犯と実行犯となった人物には面識はなく、実行犯の下駄箱に偽の学生証と創部の申請をする手順が書かれた手紙が入れられている。どの実行犯もこのやり方で偽の学生証を手にしていた。

「なんなら私たちが調べ上げた情報を教えてあげてもよろしいのですけど?」

「本当か!」

「まだ、調査中の段階だ。ある程度、情報がまとまったら伝える」襟白はいった。

 それでも、風紀委員からの協力を得られるのはありがたい。

 と、良水はじっとおれを見つめていた。

 どうかしたのか、とおれは良水に尋ねると、

「これは定例会の内容とは関係ありませんが……。あなた、嗜好部なんていかがわしい部のお手伝いをしているとか。……本当なのですか?」

「よくごぞんじで。襟白から聞いたのか?」

「そうです」

 おれは襟白を見据えた。

 彼女は視線に気づくと、わざとらしく顔を逸らした。

「良水の言うとおり、嗜好部の手伝いをしてるのは本当だ。……どうだ、嗜好部に入部してみないか?」

「わたくしに殿方の下着を嗅げですって? そんなはしたないことできませんわ!」良水は動揺している。

「……そこまで知っていたのか」

「学園の情報はどんなことでも知ってます。なんといったってわたくしは風紀委員長ですから」

「で、結局のところどうなんだ。嗜好部に入部してくれるのか?」

「先程申したとおり、はしたないことはできないと――」

「容姿端麗、頭脳明晰の良水がいてくれたら助かるのになー」

「……わたくしの力が必要ですの?」

 良水は深く考え込んだ。どうやら真剣に考えこんでくれているらしく、口元に手を当てて、あーでもない、こーでもないと唸る。

 しばらく思案したあと、上目遣いにおれをみつめた。

「どうしてもっていうのでしたら、わたくしが――」

 危険を察知した襟白は良水の腕を強くつかんだ。

「定例会はすでに終わりました。これにて、風紀委員は失礼させてもらいます」二人は席を立った。

「確かに頭の堅い風紀委員では理解できることじゃないか」おれはいった。

「……頭が堅いですって?」襟白は良水の腕を離した。眉根の皺が深くなっていく。

「得られた情報だけで物事を判断する――視野の狭い人のことをそう呼んだって間違いじゃない。……それと、おれは良水と話をしていたんだ。関係のない人は先に退席して結構だよ」

「……安い挑発には乗りませんよ」襟白と良水は部屋を出た。

 定例会も終わり、おれたちも荷物をまとめる。

 と、都倉は心配して、

「別に挑発しなくてもよかったでしょ」

「挑発に乗じて嗜好部に興味を持ってくれないかなと」

「良水さんはともかく、襟白さんには通用しないと思うけど……」

 おれたちも荷物をまとめて、生徒会室へ引き上げた。



 生徒会室に着くと、

「おっ帰りー。定例会はどうだった?」天見はソファに座っていた。

「問題なく終わったよ」おれはいった。

「また、勝手に生徒会室に入ってきて……」

「そう怒らないでよ。遊びに来たわけじゃないんだからさ」

「とすると、嗜好部関係か?」

「正解。次は風紀委員をターゲットにしようかなと」

「襟白と良水を誘うのか? やめとけ。良水はともかく襟白は強敵だ」

「そんなことしないよ。今回は嗜好部の素晴らしさを教えてあげようかなと」

 天見の作戦を聞いた。風紀委員の仕事は部の抜き打ち調査をすること。それを逆手にとって、おれたちが調査される部になりすまして、嗜好部の体験をさせるようだ。

「なんだか騙しているみたいで気が引けるな」

「大丈夫。何かあったら私が責任とるから」

「責任とらされるのはおれなんだけどな……」

 天見に与えた期限まであと二週間。それまでにあと二名、嗜好部に入部させる必要がある。四の五の言ってはいられないか。

「よし。やってみよう。……それで、まず何からやればいいんだ?」

「風紀委員の予定を調べる必要があるね」

「たしか、部の査察をするときは抜き打ちだったはず。……そう易々と教えてくれるのか?」

「何言ってんの? 風紀委員室に忍び込んで調べるに決まってんじゃない」

「……すまないがこの話はなかったことに」

「どうしてさ!」

「生徒会は犯罪集団じゃないんだぞ。そんなことに手を貸せるか!」

「確かに不法侵入は悪いことだけど、物を盗むわけじゃないじゃん! 嗜好部の活動を知ってもらうことを考えれば多少のことは目を瞑ろうよ!」

 本来なら断る相談だ。だが、天見のやろうとしていることの悪質性は低く、動機も分からなくもない。なにより、おれ自身に風紀委員の鼻を明かしてやりたい気分があった。

「……今回だけだぞ」

 やった、と天見ははしゃぐ。

「それで、決行日は?」

「今日だよ」



 時刻は午後六時。いつもなら、風紀委員の二人は帰宅した時間帯だ。風紀委員室には誰もいないはず。都倉の協力は得られなかったので、おれと天見の二人で潜入することになった。

 風紀委員室前。予想通り、ドアは施錠されていた。

「やっぱり鍵かかってるか。ここは私のピッキングで――」

「どいてくれ」

 おれはマスターキーを取りだした。天見は口笛を吹いた。

 職務上、風紀委員長と生徒会長にしか与えられていない鍵。これがあれば、教員が管理する部屋を除いて入れない場所はない。

 スケジュールの管理は生徒会と同様、パソコンで管理しているはず。部屋の奥にあるデスクトップPCを起動させた。

 ログイン画面が表示される。

「パスワードはわかるか?」おれは天見に尋ねた。

「多分、これじゃない?」

 パソコンのディスプレイに付箋が貼ってあった。付箋には数字と英文字が規則性なく羅列している。

「嗜好部の活動を教える前に、セキュリティについて説教してやりたいな……」

 付箋に書いてある文字を入力すると、デスクトップが表示された。スケジュールを管理しているファイルを探す。

 と、『偽造申請についての調書』とタイトルがついたファイルが目についた。

 (たしか風紀委員も独自で調査していたはず……)

 もしかしたら新しい情報を掴めるかもしれない。おれはスケジュールの調査を後回しにして、そのファイルを開いた。

 気づいた天見は、

「余計なことしてると誰か来ちゃうよ」

「わかってる。少しだけだ」

 ファイルにはこれまでの起きた事例を一つ一つまとめてあった。この辺りは生徒会でも入手している情報だ。

 と、ある情報が目についた。

 四月二十六日 目撃情報を入手。

 聞き込みを続けていたところ、同時刻に昇降口に居合わせていた生徒の証言を手にいれた。生徒Aの証言によると犯行のあった前日に他人の下駄箱を開ける生徒会書記の加鳥の姿があったとのこと。加鳥の同級生であるAはいつもと違う下駄箱を開ける加鳥を不審に思っていたようだ。

 風紀委員は加鳥を重要参考人として扱う。

「嘘だろ……!」

「風紀委員は加鳥さんに目をつけてるのか」

「たかだか、目撃情報の一つで重要参考人だと? 馬鹿げてるな」

「でも、これが事実なら犯人は決まりじゃない?」

「……とにかく、このことは口外禁止だぞ」不用な混乱は避けたかった。

 はいはい、と天見は軽く返事をした。

 気を取り直して、お目当てのファイルを探す。ファイルは十分ほどで見つかった。今月の予定を確認する。

「来週に家庭部の調査があるらしいな」

「直近じゃ、それだけだね」

 家庭部の査察の日に合わせて、おれたちも準備を進めることになった。

 目的は果たした。おれと天見はできる限り、進入した痕跡が残らないよう配慮して、風紀委員室をあとにした。



 風紀委員室に侵入してから一週間。家庭部員に話をつけて、部の査察がある今日は休みにしてもらった。代わりにおれと天見は家庭室で待機することになった。

「ついにこの日がやってきたな。……準備はバッチリか?」

 任せておいて、と天見は自信満々の様子だ。

「それじゃ、これを」

 渡されたのはマスクとサングラス。おれたちは家庭部員として振る舞うので、変装は必須だ。見るからに怪しいが、ひどい花粉症だと説明すればなんとかなるだろう。

 おりから、家庭室のドアが開いた。

「風紀委員です。今から部の抜き打ち調査を行います――」良水は辺りを見回した。

「他の部員の姿が見当たりませんが」

「皆さん、用事があるとかで今日はいません」

 そうですか、と良水は特に怪しがることはしなかった。

「私たちは家庭室の検査から始めますので、あなたたちは普段通り活動をなさってください。何かあれば呼びますので」

「そこで提案なのですが」天見はいった。

「今日は見学だけではなく、風紀委員のお二人にも家庭部を体験していただこうと特別に準備してきました」

 体験、とお互い顔を見合わせる風紀委員の二人。

 と、

「それは楽しそうですわ!」良水はいった。

「良水、遊びに来たのではありませんよ」襟白はいった。

「たまにはいいではありませんか。部を体験することで学べることもあるでしょうし」

「それでは、用意した服装に着替えていただきます」天見は持っていた袋のなかから衣装を二人に渡した。

「着替える必要があるのですか?」

「だから言ったでしょう。特別だと」

 襟白は袋のなかを確認する。

「これは……!」

 天見が渡したのはスクール水着だった。

 崎野森学園の選択科目には水泳があり、指定されたスクール水着もある。渡された水着は紺色の布地の端には白のパイビングが施されている一般的なものだ。

「今から水泳を始めろというつもりでしょうか?」襟白は天見に尋ねた。

「ちがうよ!」天見は指をつきつけた。

「家庭部員だって水着を着ます。理由は後で教えるから……とりあえず、着てみてよ」

 襟白は得心していない。スクール水着を抱えたまま動こうとしない。

「楽しそうじゃありませんか。私は構いませんよ」良水はいった。

 いいでしょう、と襟白は渋々納得した。

「ちょっと! どこに行くの?」会議室を出ようとする二人を天見は呼び止めた。

「どこって……更衣室にきまってるじゃありませんか」

「その必要はないよ」

「どういうことですの?」

「ここで着替えてもらいましょう。こいつを使ってね」

 天見は家庭室の隅にあったキャスターの付いた更衣室を二つ転がしてきた。紅白の垂れ幕が円形に囲まれている。

「このなかで着替えてください」天見は手招く。

 良水らは足を止めて、固まったまま動こうとはしない。相手の真意を探るような視線を天見に注いだ。着替え中にのぞかれるかもしれないという疑惑があったし、だれもがその雰囲気を感じとっていた。

「安心して。着替え中は覗いたりしませんので」

「殿方の前で着替えるのはちょっと……」良水はおれに視線を向ける。

「大丈夫! 私が見張っておきますので」

 風紀委員の二人は重い足取りで更衣室に入った。

 彼女らが着替えている間、会議室は静かだった。衣擦れが聞こえ、更衣室の垂れ幕がなびく。更衣室を注視したが、これといった細工はない。

 足元に視線を向けると、スカートが落ちたのがわかった。更衣室は床下まで覆われてなく、数センチだけなかの様子が覗える。

 更衣室のなかにいる彼女らは見られていることを意識していない。しかし、外にいるおれたちにとってはまるで着替えを覗いている感覚に陥りそうになる。

「気づいたかな」天見はおれの耳元で囁いた。

「そこがポイントだよ」

「足の動きを見ているだけで、なかの様子がある程度分かってしまうな」

 そのとおり、と天見は口角をあげた。

 カーテンによって姿は隠されている。しかし、服を脱いでいるのか、水着を着ているのかは足下をみていれば、容易に想像することができた。

「もしかして、これが風紀委員に紹介する内容なのか?」

「これはほんのあいさつ代わりだよ。本番は後に残してあるから」

「そうか。……いや、それにしても――」無意識に視線が更衣室の足元に流れてしまう。

「綺麗な足してるよね」天見は囁いた。視線が足下にいっていることはバレバレだったようだ。

「私は着替えが終わるまでに、次の準備しておくから」

 天見は机を部屋のすみに移動させた。部屋の中央にスペースを空けると、そこに椅子を二つ置いた。

 しばらくして、良水が更衣室の隙間から顔を出して外の様子を窺った。安全を確認したら、更衣室からひょこひょこと出てきた。襟白も後に続いた。

「これでよろしいのでしょうか?」

 スクール水着は体のラインをくっきりと浮き上がらせた。

 良水は子供が水着を着ているみたいで可愛らしい。しかし、襟白になると勝手が違った。胸が大きく、腰回りが細い。お尻も大きな彼女はなんとも艶かしい。

 襟白はおれの表情から何かを感じとったようで、

「なにかおかしなところがありますか?」

「いや、なんでもない」

「ささ、風紀委員のお二人はこちらの椅子に座ってください」天見は椅子に座るよう二人を促した。

 座ったことを確認するやいなや、タオルで視界を覆う。

「ちょっと、何をするのですか!」良水が騒ぎだした。

「動かないで。もう家庭部の活動は始まってますから」

「……まず先に説明してもらえません?」

「わかりました。……では、手を後ろに回してください。今から手首を縛ります。痕は残らないように弱く結びますので、ご心配なく」天見は二人の手首にタオルを結ぶ。

「この行為が家庭部に関わっているとは思えませんが。いつになったら理由とやらを教えてくれるのですか?」襟白は尋ねた。

「……襟白さんにとって家庭とは?」

「裁縫、料理、掃除……家の雑務に纏わること全てでしょう」

「足りないね」

 何がですか、と襟白は天見に尋ねた。

「パートナーと夜を過ごすことも家庭の一つだよ。こういうプレイにも慣れておく必要があると思うけど?」

「まるで嗜好部みたいな活動ですね」

「……そうだね。似ているところはあるかな」

 おれと天見は肝を冷やした。まだ、おれたちの素性は誤魔化せている。

「私、頑張ってみます……続けてください」

「それじゃ、次のステップにいこうか」

 天見は紙袋のなかから、スポイトとペットボトルを二つ取りだした。

 スポイトは赤いピペット球に白く曇ったガラス管がついており、理科室に置いてある一般的なものだ。ペットボトルには少量の透明な液体が入っていた。

 天見はそれぞれ一つずつおれに渡した。

「使い方を教えあげる」

 天見は良水の座っている席に近づき、ペットボトルのふたを開けスポイトを差し込んだ。

 慣れた手つきでスポイトの水を吸いあげ、良水の首すじに水滴をひとしずく垂らした。

「あっ……」

 良水の甘い吐息が漏れる。彼女の小さく隆起した胸の溝に水が流れ、体は小刻みに痙攣した。落ちたしずくは線となり、肌をつたって降りていく。

 天見は二滴、三滴と水滴を垂らした。それにあわせて良水の体がぴくっ、ぴくっと過敏な反応を示した。

「いったいなにを垂らしているのですか……!」良水はいった。

「神経が敏感になってしまう薬だよ」

「なんですって!」

「安心して。規定された量の範囲で使用するから」

「そういう問題ではありません! 敏感になる薬を使うなんて聞いていませんわ」

 良水はじたばたと椅子の上でもがく。

 天見は良水の肩を力づくで押さえ、耳元で囁いた。

「落ち着いてください。今していることは部活動の一環であって危険なことじゃないから。……あまり騒いでいると、風紀委員の品格を落としかねませんよ」

 良水は動きを止めた。それでも、動悸、呼吸ともに不安定だ。

 襟白は周囲の異常な雰囲気を感じとった。

「良水を危ない目にあわせたら許しません!」

「襟白さんも落ち着いて。次はあなたの番です。……それじゃ、後は任せたよ」天見はおれに目配せをした。

「任せたって……どうしろというんだ」

「私がさっきしてたことと同じことをすればいいから」

「いやいやいや、無理だよ!」

「部員集め手伝ってくれるんでしょ。ほら、さっさとやる!」

 おれは襟白の背後に立った。

 長くきれいな黒髪はヘアゴムで束ねられ、白くて華奢な首すじが顕わになっている。

 襟白の息遣いさえも聞こえてきそうな距離まで近寄る。意を決して、スポイトで液体を吸い上げ、肩に垂らした。

「なにを……くっ!」襟白は苦悩の表情を浮かべる。

「もしかして襟白さんも敏感だったりする?」天見は嬉しそうにいった。

「……知りません。そんなこと」

「もう少し確かめてみよっか」

 天見がおれの背中を軽く押して合図を出した。

 促されるまま水滴を垂らす。液体を垂らすだけでなく、耳、指などの体の部位もつついたりしてみる。

 そうしていると、襟白は腿の内側をこするようにして身をよじらせた。

 悶え声をひたすら押し殺し、吐く息は熱を帯びている。額にはうっすらと汗が滲む。

「どうかな、感じやすいところが分かってきたでしょ」天見は襟白に尋ねた。

「知りません……!」

「ちなみに、やってるのは私じゃなくて男の部員の方だから」

「なっ……」

「指示に従っているだけだ!」

「……その割にはけっこうノリノリな気がするけどね」

「この程度のことなんともありません。耐えきってみせます」

 虚勢を張る襟白に天見はいった。

「……あー、襟白さん。もしかして趣旨を履き違えてるんじゃない?」

「趣旨?」

「二人ともどうして声を出すことを我慢するの?」

 それは、と良水は一考してから、

「人前ではしたない声をあげるわけにはいきませんから」

「どうして? せっかく、機会を与えているのに」

「……どういう意味ですか?」

「家庭部の活動の一環としてこういうプレイをしてますけど、今回の目的は自分の気持ちを正直に曝けだすことでもあるんだよ。ほら、嘘でもいいから思いきり喘いでみてよ」

 襟白は俯く。

「……それでも、できないものはできません」

「あっそ。じゃあ強硬手段をとるから」

 天見は襟白の体をくすぐりだした。脇の下を中心に責め続けると、襟白の上品な笑い声が部屋中に響く。

 くすぐりは三分間続けられた。

 襟白の声はだんだんと擦れて、息も乱れてきた。

 限界に達するのは時間の問題だった。

「やりますから、もうやめて!」

「わかればよろしい」天見は手を止めた。

「今から水滴を垂らすから気持ちのいいリアクションを期待してるよ」

「……わかってます」

「リアクションが物足りなかったら、またくすぐるからね」

「いいから早くやりなさい!」

 天見はまた、おれの背中を押した。

 これまでと同様に襟白の首すじに水を垂らした。

「とってもいい気持ち! たまりません!」襟白は歓喜の声で叫んだ。

 襟白とは面識はあったが、これまでに聞いたことのない声だった。やはり恥ずかしかったのか襟白の顔がみるみる赤くなっていく。

「襟白……」良水の顔はひきつっていた。

「良水、あなたはやらなくてよろしい。私がやりますから」

「そんなわけにはいかないよ。良水さんにもがんばってもらうから」

「ええ、構いませんよ。……やるならやりなさい。腹はくくりましたわ」

「……それじゃいくぞ」

 良水の首すじに液体を垂らした。

「昇天しちゃいそうですわ!」良水は声を張り上げた。声の調子は変に間延びしてぎこちなかった。

「なんかリアクションがわざとらしくないか?」

「……そんなことはありませんわ」

「どうする? このまま、続けるか?」

「最後まで続けなさい。一度引き受けたことは簡単にはやめたりしません!」

「そうこなくっちゃ!」

 天見とともに二人の様々な体の部位を刺激して三十分。責め苦を続けられた二人はすっかり憔悴しきっていた。悶えるさまを眺めてきたが、罪悪感のようなものが胸のなかで渦巻くのを感じた。

「もういいだろう。襟白も良水も家庭部について十分わかってくれただろう」

 風紀委員の二人はすっかり憔悴しきっていた。

「えー、まだいけるよ」天見はいった。

「二人を見てみろ」

 風紀委員の二人は力なく頭を垂らし、ぐったりとしていた。

 どうみても、気を失う寸前で、虫の息だった。

「……しょうがないな。そこまで言うなら」

 天見は目隠しと手首の拘束を解除した。

 束縛から解放された二人は呼吸を整えるように深呼吸を繰り返した。張り詰められた緊張の糸はたわみ、全身の力が抜け落ちていた。

「……十分理解させていただきました家庭部はなにかと理由をこじつけて、いやらしいことをする部活だったということを」襟白は歯を噛みしめて、天見を睨みつける。

「そこまで怒らなくていいでしょ。十分気持ちよさそうだったじゃない」

「私はすべて演技でした。そもそも、なぜスクール水着を着る必要があったのでしょうか?」

「制服のままだと汚れちゃうから。スクール水着なのは私の趣味です」

「変わった趣味」

「どうとでも言ってちょうだい。……それにしても、演技って言うわりには、かなりいやらしい声で喘いでいたね」

「いやらしくなんて――」襟白は声を荒げた。

 先ほどの仕打ちのことを思い返したのか気を取り乱した。

「……これ以上、辱めを受けるわけにはいきません。良水! 行きましょう」

 と、

「天見どの捜しましたぞ!」富久田は家庭室に入ってきた。おれたちの服装に目がついてようで、

「おや、何ですか? そんな変な格好などして」

 凍てつく空気。

 風紀委員の二人はおれたちを見つめてすべてを察した。だが、理解が追いついていない。

 二人とも水着を着ている。さすがに校内を走り回るわけにはいかないだろう。

 天見にアイコンタクトする。天見は頷いた。どうやら、おれと同じ考えのようだ。

「逃げるぞ!」おれたちは一目散に走った。

 後ろは振り返らなかった。

 ただ、前だけを見つめて。

 


 生徒会室に逃げ込んだおれたちは一息ついた。

「それで、おれに何のようだったんだ?」まだ、息を切らしている富久田に尋ねた。

「部費の使い道について今のうちに話しておこうと思いまして」

「別に今じゃなくていいだろ……」

「大切なことですぞ!」

「それで、何に使おうって言うんだ?」

「フィギュアを大量に買いこむのです!」

「検討しておくよ」天見はいった。

「天見は部費をどう使うつもりなんだ?」

 うーん、と天見はしっくりきていない様子で、

「それよりも先に、部員をどう集めるかを議論したいね」

 それもそうか、とおれは答えた。

「襟白どのと良水どのにあんな格好をさせたのもそのためですかな?」

「いや、それはまた別の理由なんだけどね……」

 ところで、とおれは天見に尋ねる。

「本当に敏感になる薬ってあるのか? まさかとは思うが、法律に触れるようなものじゃないよな?」

 あれはねぇ、と嬉しそうに天見は語り出した。

「ただの水だよ。冷蔵庫に入れてあったから冷たくなってるけど」

「じゃあなんで彼女たちはただの水であんなにも喘いでたんだ?」

「偽薬効果みたいなものだよ。目隠ししてまず視界からの情報を奪う。そのあとに、手足を縛り、水着を着せて異常な状況下におかせる。あとは言葉責めで常識的な判断を鈍らせればこっちのもの。まあ、彼女たちが一般人よりも敏感だったことも相乗して効果を得ることができたと思うけどね」

「まんまと彼女達を欺いた……ってことか」

「後上君が以外とノリノリで驚いたよ」

「……最善を尽くしたまでだ」

 と、生徒会室に加鳥がやってきた。

 おれたちを見つめて、キョトンとしている。

「あれ? 今日は予定があるとかで休みじゃありませんでした?」

 加鳥は生徒会室のドアを開けて、

「二人ともー。会長と天見さんはここにいましたよー!」

「呼んじゃダメだあああ!」

「え?」

 その後、小一時間ほど襟白の説教を受けた。あの出来事を口外しない代わりに無罪放免となった。むしろ、彼女たちの弱みを握る結果となった。

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