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   第二章



 朝の時間帯。電車内は通勤、通学ラッシュと重なり、かなりの満員具合だ。周りの乗客に押されて倒れそうになる。手すりを握る力を強めた。

 天見と出会ってから一週間は経っただろうか。

 嗜好部の部員集め。天見には一ヶ月の猶予を与えた。

 都倉が嗜好部に入部したので、残すは三名。この調子だと、本当に五人揃ってもおかしくはない。

(しばらく、天見にコキ使われそうだな)

 それにしてもかなり窮屈だ。恨みがましく周りに目を遣る。

 乗客には崎野森学園の生徒をよく見かける。

 そのなかに見覚えのある地味で影の薄い女子生徒――加鳥が座敷童子然として佇んでいた。

 が、様子がおかしかった。加鳥は顔を俯かせて、必死に何かに堪えていた。

 加鳥の後ろにはスーツを着た三十代の男がいた。満員とはいえ、加鳥に異常なほど密着している。視線を足下に向けると、男の手は加鳥の臀部に触れていた。スカートの上から感触を確かめるように弄っていた。

 痴漢だ。

 助けにいこうとしたが、体が竦んでいた。動けず、その場で固まってしまう。

 数秒経過して、ようやく体の自由が利いた。

 すいません、と体を加鳥と男の間にねじ込ませる。男はおれが邪魔していることに気づいておらず、加鳥の臀部に向けて手を伸ばす。

 男はやっと気づく。それでも、諦めなかった。体をどかそうと必死に力を入れてきた。おれも力を入れて堪えた。

 と、アナウンスとともに電車のドアが開く。

 降りる駅はまだ先だが、仕方ない。

 加鳥の手を引っ張って駅のホームへ抜け出す。

 痴漢した男を捕まえることも考えた。だが、目立つことで加鳥を余計に傷つけてしまう可能性があったのでやめた。

「大丈夫か?」人集りから離れる。お互い走ったので、息は切れていた。

 はい、と加鳥は答える。

「ごめんな。勝手に降ろして」

「いえ。助かりました」

「警察に行くか? 被害届だけでも――」

 大丈夫です、と加鳥は答えた。

 本来なら警察への手続きをすべきなのだが、本人が望んでいないので、これ以上の口出しはやめた。

「次の電車まで少しあるな」おれは時刻表を確認した。

「……痴漢する人ってどういうことを考えているんでしょうか?」触れて欲しくない話題だと思っていたが、加鳥から切り出してきた。

「一種の興奮状態にあるんじゃないのか。性的衝動に駆られて、抑えが利いていない状態だと思うけど」

「気になりますね」

「……気持ち悪いじゃなくて?」思いのほか、痴漢によるショックを受けていないようだ。

(加鳥も変わった奴だな)

 大抵の場合、ショックで塞ぎ込んでしまうと思うが、加鳥は違った。

 痴漢を目の当たりにした人間ですら体が竦んでしまったのに、当の本人はけろっとしている。

 と、学校へ向かう電車はホームに来ていた。

「早く乗りましょう。遅刻しちゃいますよ」加鳥はすでに電車に乗り、呼びかける。

 おれは急いで電車に乗り込んだ。



 放課後。開け放たれた窓から外を覗くと灰色の雲が広がっている。

 風が吹くたびに黒々とした雲が空を流れる。雨を予感して、窓を閉めた。

「今日は午後から雨か」

「うん、降水確率は午後から七十パーセントみたいだね」都倉の声には喜びめいたものが込められていた。

 あの日以来、都倉の機嫌が良い。

 今週の日曜日にひと悶着があって以来、都倉と話す時間が増して、彼女が微笑む姿もよく見かける。

 嗜好部と関わったことで、いい影響があったのかもしれない。

 いい影響の一つとして、都倉と一緒に下校するようになった。下校中はぎこちない会話だが、都倉はそれでも満足らしい。

「会長、その、今日も一緒に帰らない?」

「そうだな――」

「やっほー、みんな元気かい?」生徒会室のドアが勢いよく開け放たれた。

「……って後上君と都倉さんしかいないか」部屋を見回した天見はやれやれといった表情で肩をそびやかした。

 都倉は眉根を痙攣させて、

「生徒会を訪れるときはアポイントを取って、って言ってるよね?」

「そう固いことはいいっこなしだよ。それに、今回は生徒会に用事があるんじゃなくて、嗜好部の活動としてここに来たの……それに!」天見は指を突き出した。

「この部屋は生徒会室兼嗜好部部室って考えなんだけど」

「……いったい誰がいつ決めたのですか」

「今、私が決めたことだからね」

「前々から思ってたけど、身勝手すぎるんじゃない?」都倉の目が鋭くなり、怒りを露わにした。

「そうかな? 都倉さんが神経質すぎるだけだと思うけど」

「ここで喧嘩はやめてくれ」反目する二人の間に割って入った。

「で、嗜好部の活動ってのは?」おれは天見に尋ねた。

「そう、これをみて欲しかったんだ」天見はスカートのポケットから紙を取りだした。

「来月の部の承認リストだけどさ、この部が気になってるんだよね」

 紙面には六月に申請される部をリスト化したものが載っていた。リストにしるしをつけた部分を指し示した。

「……どうして天見が来月分のリストを持ってるんだ? そのリストの管理は都倉に任せていたはずだ」

「ちょっと待ってて!」

 都倉は慌てて手持ちのファイルを漁った。しかし、一向に探しものは見つからない様子だ。

「ん? 六月分のリストを探してるの? それなら私が預かってるよ。このリストは以前、生徒会室にお邪魔したときに持ってきたから」

「…………天見千晴!」

 都倉は半狂乱になり、天見の首をへし折ろうと掴みかかった。が、天見は相手の動きを予測して躱した。

 おれは都倉を羽交い締めにして抑えた。

「落ち着くんだ! そのリストを天見が持っている理由がわかったからもういい。天見、今後資料を持ち出すときは一声かけてくれ」

「はーい」天見はやる気のない声で返事をした。

 改めて、おれたちは紙のリストをみた。

 しるしのついた部は〝フィギュア部〟と書かれていた。

「この部と嗜好部がなにか関係があるのか?」

「勧誘するんだよ」天見の目がきらりと光る。

「今日の活動内容は部員集め! ただ単にクラスメイトに呼び掛けたって嗜好部には入ってくれないでしょ? そこで、承認に来る人たちを取り込もうってわけ。申請が通りそうにない部を嗜好部が吸収するの」

「通りそうにないって……中々、辛辣だな」

「実際、通す気はないでしょ?」

「すべての部が通るほど楽な審査じゃないさ」

「やっぱりそうじゃない。……話は変わるけど、後上君には今からフィギュア部を審査してもらいます」

「どうして嗜好部に誘う相手を審査しなくちゃならないんだ?」

「事前にフィギュア部の人と話してみたんだけど、一度、部の活動をみて欲しいって頼まれてさ。審査が合格ならそのまま創部にすればいいし、ダメなら嗜好部に誘います」

「……天見としてはフィギュア部を不合格にした方がいいんじゃないか?」

「私も鬼じゃないからさ。結果は受け入れるよ。……だから、審査はちゃんとやってね」

「勝手に話を進めないで」都倉が異議を唱えた。

「生徒会はこれまで厳粛に審査をしてきました。わざわざ、生徒会の信用を落とすような真似をするわけには――」

「いや、その程度のことなら別にいいんじゃないか」

「会長!」

「審査の一つや二つするぐらいお安い御用さ。……フィギュア部へのアポは済んでいるのか?」

「もちろん! 申請室に待機させてあるよ。後上君はいつも通りの感じでお願いね」

 天見は勢いよく握りこぶしを天に掲げた。

「ではでは、申請室へレッツゴー!」

「ちょっと待ってくれ」おれはロッカーから名簿を取り出す。

「どうしたの?」

「最近、偽の学生証を持って申請する輩が多くてな。審査するときは持ち歩くようにしている」

「ちょっと、私のこと信用してないってこと?」

「審査に信頼関係は必要ない」

「ひっどーい」

 名簿の中身を確認する。問題ない。

「よし。もう大丈夫だ。行こうか」



 時刻は午後四時五十五分。

 申請室の窓は黒いカーテンで覆われ、廊下からはなかの様子は窺えない。

 一つの部屋がまるで黒い箱のような不気味さを醸しだしていた。

「とっても嫌な予感がするんだけど」都倉は警戒を強めた。

 対照的に天見は興奮した面持ちになっていた。そのまま、我先にとドアを元気よく三回ノックした。

「富久田さーん、生徒会がやってきましたよ。いるなら返事してくださーい」

 突然、カーテンが捲られると、丸く太った男の顔が窓から現れた。

 おれたちは思わず一歩後ろに身を引いた。

「よくぞ参った。ささ、なかへ入られよ」

 男は自己紹介もせずに申請室へ招き入れた。

 照明の消された申請室のなかは暗い。

 申請室にはもともとカーテンが備えられていたが、今は黒いカーテンに付け替えられて、陽光は完全に遮られていた。一寸先も見えないまま奥へと進んだ。

 これはすまない、と男は一声かけてから照明のスイッチを入れる。

 蛍光灯の閃光によって目が眩む。目が馴染んできて、辺りを見回すと、壁一面には無数のコレクションケースが置かれていた。

 そのなかには大小さまざまなフィギュア――漫画、アニメーションに登場するキャラクターのフィギュアが陳列されていた。

「へえー、すごいねこれ」天見が側にあるガラスケースに飛びついた。子供のように無垢な笑顔が、ガラスに反射した。

「審査の前に自己紹介をしよう。おれは生徒会長の後上衛だ。君の名前は――」

「それがしは富久田健蔵と申します」

 声を発するたびに富久田の布袋腹がゆれた。

 もじゃもじゃな髪は顔の中央できれいに分けられていた。風船のように張った肌は汗ばんで光沢としている。

 彼は二年六組の出席番号十七番の男子生徒で、現在はどの部活動にも所属していない。入学してから帰宅部のままだ。部屋の隅にフィギュア部の部員となる学生が四名いたが、誰かは分からなかった。

「申請室にこれだけのものをよく運んできたな。全部、君の私物なのか?」

「これだけで全部と?」富久田は顔をこわばらせた。

「目の前にあるフィギュアはそれがしが所有するコレクションのほんの一部に過ぎません。我が家に来ていただければここには入りきらなかったものもお見せすることができますが」

「いや、それは遠慮しておこう。……さっそくだが、審査にうつりたいと思う。審査の内容は知っているかな?」

「事前に説明は受けております」

「それなら話は早い。……質問するが、このフィギュア部はなにをする部なんだ?」

「部費でフィギュアを買って鑑賞する。それだけでございます」

「は?」

「少々、話す時間をもらってよろしいかな?」

「……どうぞ」

 富久田は空咳をした。

「フィギュアの造形の素晴らしさを楽しむのは当然ですが、それ以上に重要な事があります。それは、造形の元になったキャラクターが生きた物語に想像を巡らせるのです」

「想像を巡らせる?」

 富久田はたるんだ顎を撫でた。

「さよう、ひとつひとつのフィギュアには物語がつまっているのです。……ひとつ、という言い方は正しくありませんね。彼、彼女と呼んでもいいのかもしれません。有機的であって、無機的ではない。分かりますか? ポーズによって表現される彼らの人格、美しく彩色された肌、生ける世界観を体現した服飾!」富久田は発する声の大きさに気づき、声の声量を抑えた。

「話を戻しましょう。フィギュアは単に見るだけだはなく、感傷に浸るための道具ということなのですよ」

「おおっ、後上君! これ見て! お尻の食い込みがすごいよ、ほら」

 離れてケースを見て回っていた天見がはしゃぎながら近づいてきた。フィギュアを逆さにさせて、スカートのなかを見せてくる。

 おれは天見を無視して、

「フィギュア部の目的はなんとなくわかった。しかし、ただ鑑賞するというのは部活動としては困る。なにか成果が残るものが好ましいな。……例えば文化祭にフィギュアの展覧会をするとか」

「御冗談を! そんなことはしません。だれかの評価を得るために活動しているわけではありませんからな」

「勘違いしてるなら言っておくが、部活動の存在意義とは第一として、生徒の心身の健康のため。第二として社会に貢献する活動が求められている。そのどちらかが欠けていてはだめだ」

 富久田は呆れ顔を浮かべた。

「噂通り生徒会長さんは頭の固い人のようだ。社会への貢献を優先するあまりに、本来の活動が疎かになったらどうするつもりか――」

 富久田はおれの手元に視線を向けて、

「おや、そのファイルは?」

「最近、本校の生徒になりすます輩がいてな。それをあぶり出すための名簿だ。……先に本人確認から始めようか。それじゃ、一人ずつ学生証を出して」

 富久田を含めた五名の学生証を確認する。

 富久田の学生証は本物。しかし、他四名の学生証と持っていた者の顔は一致しなかった。

 偽造申請だ。

「都倉! 富久田を拘束しろ!」

「アイアイサー!」

 都倉は富久田を捕まえると、椅子に縛りつけた。縄できつく締め付けられ、富久田は情けない悲鳴を上げる。

 他四名については本名と連絡先、通っている学校名を聞いた。詳しい話はあとにして、ひとまず帰した。もっとも、金目当てのサクラなので事情を知らないに違いない。

「生徒会がこんなことしてPTAが黙っておりませんぞ!」富久田は叫んだ。

「罪人を逃がさないように縛っているだけだ。……それで、一体誰から協力してもらったんだ?」

「……知りませんな」

 おれは富久田の体をくすぐった。悲鳴に近い笑い声を上げる富久田はすぐに降参した。

「下駄箱に手紙があったんです」

「手紙?」

 話によると、下駄箱のなかに偽の学生証と申請する手順が記されていた手紙があったそうだ。もちろん、匿名で。

 原始的な方法。だが、一番確実で正体がばれにくい。

「これまでの犯人と同じやり口だね」都倉はいった。

「進展はなしか」

「あのファイルを使えば、嘘の申請は通用しなくなったことがわかったからいいんじゃない」

 そうだな、とおれは相づちをうった。

 と、ようやく呼吸が整ってきた富久田は悪態をついた。

「喋ったのですから早く解放してくれませんかな?」

「……いいだろう」おれは富久田の縄を解いた。

「私に対する罰則はあるのですか?」

「初犯だから口頭注意で終わりだ。……それにしても、惜しいことをしたな。創部の機会を自ら手放すなんて」

「……もとから部員は私一名でしたから。無理な話でしたよ」

「……部屋の片づけはしておくように」

 わかりました、と富久田は答えた。

 フィギュア部の審査を打ち切った。申請室をあとにしようとしたとき、

「ちょっと、審査は途中じゃない――」

「部外者は黙ってるように」都倉は天見の口を塞いで、申請室から連れ出した。



 申請室を出て、生徒会室に戻る。

 都倉は生徒会の仕事に取りかかった。おれも自分の席に座る。

「どうして審査やめちゃったの!」天見はさっそく、おれに絡んできた。

「しつこいぞ。……虚偽の申請があった以上、審査は続けられないな」

「確かに嘘の申請をしたことは悪いことだけど……だからといって、審査をやめていい決まりなんてないでしょ?」

「それはそうだが……」

 天見の言っていることは事実だ。そのようなルールは存在しない。

 それに、と天見は付け加える。

「これは嗜好部の部員集めに必要なことだよ。協力してくれるんでしょ?」

「くっ……!」痛いところを突かれた。

「きょーりょく、きょーりょくっ!」天見は子供のように歌い出した。

「……わかった。そこまで言うならな」

 会長、と都倉は止める。

 だが、

「いいんだ。おれも少しは気になっていたからな」

「……ああいうフィギュアが好みなの?」

「そういうことじゃない!」

 申請室を出てからまだ一時間も経っていない。あのフィギュアの量だ。富久田は片づけの途中だろう。

 予想通り、富久田はまだ申請室にいた。百はあろうフィギュアを一つ一つ丁寧にケースへ入れていた。

 呼びかけに応じた富久田は、

「なにか忘れ物ですかな?」声音は低く、落ち込んでいるようだった。

「審査の続きをしよう」おれはいった。

「何を言っているんです? 先ほど終わったばかりじゃないですか」

「まだ途中だったからさ。私がお願いしたの」天見はいった。

 天見どの、と富久田は落ち込んだままだ。

「ですが、先ほど言ったとおり私の主張は変わりません――」

「展示して自分だけ楽しむだけじゃダメでしょ。部活動の成果が形になるものじゃないと……」

 都倉の指摘はもっともだ。

「フィギュアの展示会をやってみてはどうだろうか?」

「……展示会、ですか?」都倉は呆気にとられていた。

「おれたちだけではここにあるフィギュアの価値は判らないからな。学園の生徒のなかには価値が判る人もいるかもしれない。そういった人達の意見も聞いてみたい」

「それって今すぐ?」

「明日にでもやればいい。場所はここを使えばいいだろう」

「ちょっと待ってくだされ!」

 おれたちが乗り気でいるところに富久田は水をさした。興奮して鼻息が荒くなっている。

「話を勝手に進めんでもらいたい。もう諦めはついておるのです。第一、それがしのフィギュアで展示会を催すなんてとんでもない」

 おれは富久田の肩を掴んだ。

「展示会をやって、入部希望者が四人集まったら部として認めてやる! 安心しろ! 生徒会一同も手を貸す」

「どうしてそこまで手を貸してくださるのです?」

「協力すると約束してしまったからだ!」

「誰とです……?」

 事情を知らない富久田は困惑している。「こっちの話だ」と話を逸らした。

「でも、このままじゃ展示会はできないよね。準備しなくちゃ」天見は辺りを見回した。

 部屋一面にはフィギュアが整列して置かれている。

 まるで、倉庫のなかに無造作に並べている製品のようだ。

「フィギュアの量が多すぎで何がなんなのかわかりづらい。それに、フィギュアの周りに装飾を施す必要があるかな。どうにもフィギュアが安っぽく見えちゃう。そしてなにより――美少女ものが多い」

「そればかりはどうしようもないですな。昨今は女性キャラクターばかり取り上げておりますから」

「そもそも、なんで勝手にカーテンを付け替えてるの?」

 天見の問いに富久田は空咳をしてから、誇らしげに答えた。

「それはですな、いかにフィギュアを美しく見てもらおうか考えた結果、周りを暗くすることにしたのですよ。私なりの演出なのです」

「すぐに元に戻して。不気味だから」

「むふん!」ショックを受けたらしく、富久田は肩を落とした。

「さあ時間がないよ、時間が。展示会は明日にするんでしょ? 役割分担でもして効率よくいこうか」

「それなら、二手に分かれよう。都倉と富久田は今回使わないフィギュアは片づけてくれ。おれと天見で装飾品をさがしてくる」

「その組み合わせに反対です。私と会長のチームと天見と富久田のチームに分けるべきです!」都倉はすぐさま手を挙げて異議を唱えた。

「それだと、これまでの生徒会のやり方と変わらない。都倉には富久田と一緒に仕分けを任せたい。……フィギュアについて知るいい機会じゃないか。富久田と話して勉強してみてはどうだ」

「……わかったよ」

「フィギュアのことなら何でも聞いてくだされ」

「あまり近寄らないでくれる?」

「……ここまではっきり避けられると、逆に清々しいですな」

 フィギュアの整理を始める二人。

 都倉は美少女フィギュアを持ち上げて、

「これなんかいらないでしょ」

「ちょっと! 扱いが雑すぎますぞ。手袋を貸しますから、これを使いなさい」

 富久田は制服のポケットから手袋をとりだした。

 あとは頼んだぞ、と言い残して天見と部屋をあとにした。



 装飾といっても何を使えばいいか分からなかった。「とりあえず、雑貨屋でもみてみよっか」と天見の助言もあり、フィギュアにふさわしい装飾品を求めて雑貨屋へ向かった。

 崎野森学園は学内販売の一種として、生活雑貨をとり扱った専門店が学校の敷地内にある。生徒だけでなく一般の利用者も多い店だ。

 店のなかはランタンの灯りに照らされ香々としている。雑貨屋というだけあって商品の陳列に規則性はない。小汚いが、不愉快ではなかった。

 壁面には風景の絵を納めた額縁が掛けられていたし、大きな招き猫や狸の置物もある。ついつい、関係ない商品まで見ていると、「ねぇ」と天見は体を近づけてきた。

「私を選んだのは深い意味があったりする?」

「さっき話したとおりだ。……別におれと富久田が残ってもよかったんだぞ。天見と都倉を一緒にするわけにはいかないだろ」

「どうして?」

「……喧嘩するだろ、二人とも」

 あー、と納得する天見。

「天見はフィギュア部に入部希望者がでると思うか?」

「いるなら、全員嗜好部に入部させるつもりだけど」

「富久田が泣くぞ……」ため息がこぼれる。

「あっ、これみてよ」

 商品を陳列しているスペースの隅に箪笥があった。なかには、あらゆる柄、あらゆる生地の布が並べられている。

「これなんかどうかな。机の上に敷けば、多少は見栄えが良くなるでしょ」天見は綺麗に折りたたまれた赤紫色のビロードを一つ手にとった。

「それでいこう」

 だが、陳列されている布だけでは量が足りない。

 在庫がないか店員に尋ねると、確かめてきます、と店の奥へと消えていった。

 待っている間、特にすることもなかったので、二人して布の手触りを確かめていた。

「ちょっと失礼」おれと天見のあいだへと割り込むようにして客が体をいれてきた。

 割りこんできた相手は都倉だった。

「都倉、なぜこっちにいるんだ」おれはいった。

「フィギュアの分別は富久田に任せてきました。……話聞いてたら頭が痛くなってきちゃった」

「たとえそうだとしても――」

 都倉は不機嫌そうだった。話を聞く耳を持たず、なにを言われようとひきません、といった目つきをしている。

「……まあ、富久田なら勝手知ってるからひとりでもなんとかなるかな」おれは説得するのを諦めた。

「そうです!」

「……ストーカー女」天見はいった。

「ストーカーって言うな」と都倉は否定して、

「どこか遊びに行ってしまわないか心配してたんです」

「おれたちは信用されてないのか?」

「私が信用していないのは天見だけです」

「えー、今回はちゃんとやってるでしょ」

「どうだか……それより装飾品探しはどうなったの?」

 おれは現状を簡単に説明した。

「下にビロードを敷くことによってフィギュアに品を持たせるというわけか……でも、それだけじゃ何か物足りないね」

「なにかいいアイディアはないかな?」

「そうですね」都倉は髪をかきあげて、

「展示会をするのならば誰でも理解できるようなつくりにしなきゃ。アニメやゲームのキャラクターのフィギュアにどんなキャラクターかわかるような説明文を添えるのが無難だと思うけど」

「たしかにそれなら、初めて見る人も楽しめるな」こんなところか、漠然とした気持ちを抱きつつあった。

「……そろそろ申請室に戻ろう。富久田が心配になってきた」

「もう帰っちゃうの?」都倉はいった。あっけにとられた様子だ。

「そのつもりだが……まだなにかあるのか?」

 おれの問いかけに都倉は答えづらそうにした。

 都倉は頬を赤く染めて、

「このあと、天見さんと一緒に下着を買ったり、体をいやに密着させて歩いたり、ひとつのパフェを食べさせあったりするつもりだったんじゃないの?」

「そんなことはしない!」

 最近、すごく不安を感じることがある。都倉がこんなにも妄想――ではなくて想像力が豊かなことについて。

「下着を買うくだりはともかく、残りのふたつはけっこうまともな気がするけどね」

「まともか?」

「せっかくなので、他の商品も見て回りましょう」都倉はさりげなく腕を組んできた。

「……腕は組まなくていいんじゃないか?」

「必要なことだと思います!」

「私も!」

 都倉は右腕に、天見は左腕に抱きつく。とても歩きづらい。

「……遊びに来たんじゃないんだぞ」

 おりから、店の奥から店員がロール状の布を抱えてもってきた。店員の視線が突き刺さる。二人には腕を組むのは遠慮してもらった。



 申請室に戻ると、富久田が段ボールにフィギュアを詰めこんでいた。

 フィギュアの数は減り、厳選されたものが机に並べらていた。

 その代わりに、山積みされた段ボールが部屋全体に置かれていて、足の踏み場がどこにもなかった。

「おー、減ってる」天見は足元に注意しながら、周りを見渡す。

「どこをほっつき歩いていたのですか」富久田はおれたちが帰ってきたことに気づいた。

「頭脳派のそれがしに労働を強いるとは何たる横暴! おや、それはなにかな?」抱えていたビロードの束を指差した。

「これはな――」

 これまでの経緯を富久田に説明した。

「なるほどそれはいいですな。さっそく試してみましょう」富久田は乗り気だった。

 ビロードを床に広げて、机の大きさに合わせ切りとり、敷いていく。

 四人がかりの作業は思いのほか早く進み、申請室にあるすべての机にビロードを敷くことができた。ビロードが敷かれた机から高級感が漂う。

「いやー見違えたね。フィギュアも置くにふさわしいステージだ。あとは、フィギュアに添える説明文なんだけど……」天見はいった。

「任せてくだされ。残りはなんとかしますぞ」

「その作業は富久田にやってもらいたいが……」

 時刻は午後七時を過ぎていた。

 外も暗くなり、赤い夕日は次第に紫色の夜空に馴染んでいく。ほかに人がいないと思ってしまうほど、校内は静かだった。

「もう、夜も遅い。作業は家に帰ってからやろう」

「いえ、すぐに終わりますから。皆さんは帰られて結構ですぞ」

「富久田もそう言ってるし、私たちは帰ろうか」都倉はいった。

「……いや、おれも少し残るよ。……富久田に用事があることだし」

「用事?」

「べつに大したことはないよ。都倉と天見は先に帰っていてくれて構わない」

「だったら、私も残る――」

 前のめりになっていた都倉の腕を天見がひっぱった。

「なんだかよくわかんないけど、私たちはこれで失礼しますよ」

「ちょっと!」

「……これでいいんだよね?」天見はおれに尋ねた。

「ああ、今日は楽しかったよ。お疲れさま」

「うん。それじゃ」天見と都倉は部屋を出た。

 足音の反響がだんだんと小さくなっていき、やがて聞こえなくなった。

「……それがしに用事とはなんですかな?」富久田はこの部屋にいる人間にしか聞こえない小さな声でいった。

「そのことについて今から話す。作業は進めたままで、耳だけ貸してくれ」

「では、お言葉に甘えて」

 富久田は画用紙に文字を書きはじめた。

「……どうしてこれほどまでのフィギュアを集める気になったんだ?」

「これも審査の一環ですかな?」

「そう捉えてもらっても構わない」

 おれは話を続けた。

「よく聞く話をしよう。世の中にはまっとうじゃない趣味――今はそう仮定しておく。趣味が災いして悪いレッテルを張られることはよくある話だ。そこまでして、夢中になることに何の意味がある? フィギュアを集めたところで社会貢献にはならないし、誰も幸せにはなりはしないじゃないか」

 休まず、動かしていた富久田の手が止まる。

「後上どの、趣味はお持ちですか?」富久田は口を開いた。

「特にないな」

「……それならそれがしの答えに何の意味も持たないでしょう。それでも聞きますか?」

「言ってくれ」

 富久田は空咳して、

「誰かの幸せ? 社会貢献? 考えたこともありません。このフィギュアは誰かに集めてくれといわれて集めたものではありません。それがしが欲しいと思ったものを集めただけです」

「周りの意見は関係ない?」

「愚問ですな!」富久田はげらげらと笑いだした。笑い続けて、かけていた眼鏡がずれる。

 失敬、と富久田は眼鏡をかけなおしてから、

「質問は以上ですかな?」

「ありがとう。参考になったよ」

「後上どのは先に帰られよ。私はこの作業が終わりしだい帰りますゆえ」

「……あまり、根を詰めすぎないように」

 申請室を後にした。自分の荷物を生徒会室から持ってきて、そのまま校舎を出る。グラウンド脇の舗装された道を歩く途中、校舎を振り返る。申請室の照明と月の光だけがひときわ輝いていた。

 校舎が見えなくなるまで、その灯りが消えることはなかった。



 翌日の放課後。

 生徒会室にはすでに都倉がいた。

 こちらに気づくと近寄ってきて、声を潜めて話しかけてきた。

「会長は男に気が合ったりするの?」

「そんなわけないだろう! おれはノーマルだ」おれは反射的にこたえた。

 安心した、と都倉は胸をなでおろす。

「天見の言っていたことはやっぱり嘘だった」

「どうしてそんな話になってるんだ?」

「昨日、私と天見さんは先に帰ったのは覚えてるよね?」

 ああ、とおれは答えた。

「そのとき、〝あの二人は怪しい。きっとお互いが友達以上の関係になってる〟と言ってたから。私もそう思い込みかけてたんだ」

「……天見と改めて話をする必要があるな」

「それはそうと、先ほど申請室、もとい展示会を見てきたけど――」

「いや言わなくていい。自分の目でたしかめさせてくれ」

「――わかったよ」

 昨日から今日にかけて準備はした。

 始業開始前には校内放送で生徒に呼びかけ、掲示板にもビラを貼っておいた。展示会についてできるかぎりの周知はした。

 あとは生徒たちが見たいと思うかどうかだ。

 申請室へ向かう。申請室の入り口の横には机が置かれ、富久田が座っていた。彼の大きすぎる体は椅子に収まり切らず、なんとも窮屈そうだ。

「やあ、生徒会のみなさま。よくぞいらした」富久田はこちらに気づくと起立した。

 富久田の目の下には隈ができていた。が、不思議と疲労がたまっている感じはしなかった。

「調子はどうだ?」

「一見に如かずですよ後上どの。なかを覗いてみたらいかがですか」

 富久田に促されるようにして展示室に入った。

 部屋のなかには本校の生徒が複数人いた。興味がなさそうに歩く人もいれば、珍しそうに写真を撮る人もいた。やはり、男子生徒がほとんどだ。

 盛況とはいえない。それでも、まったくの無人ではない。

「私の予想じゃ誰もいないと思ってたけどな。フィギュアに嫌悪感を抱く人は少なからずいるから」都倉はいった。

「案外、物好きは周りに結構いるものさ」

「そうでしょうなあ!」富久田は大声でいった。視線は都倉に向けられている。

「なに?」都倉は視線に気づく。

「いや、前日のあなたには冷ややかな視線を浴びせられましたからな。それがしもお返ししようかなと」

 七福神のえびすのように富久田はにんまりと口角を上げた。

 端から見る分には嫌味な感じがせず、どちらかといえば微笑ましい。が、都倉は気分を害したらしく、

「すっごく不愉快なんだけど」

「ほほう! お遊びはここまでにしておきますかな」危険を察知したのか富久田は表情をもとに戻した。

「フィギュア部に入ってくれそうな人はいたのか?」

「興味を持ってくれる人はいましたが、さすがに入部までしてくれる人は一人もいませんでしたな。ですが、思いのほか、この学園にはフィギュアが好きな人は少なくなからずいるようです」

「なあ、富久田」おれはかねてからの言葉を口にした。

「嗜好部に入ってみないか?」

「やることも決まっていない部で何をしろと?」

「確かに、まだ具体的な活動内容は決まっていない。だが、富久田にうってつけの部だと思う」

「フィギュアを見つめてにやにやするだけの男ですぞ」

「そこがいいんだよ」

 富久田はかけていた眼鏡をはずし、眼鏡ふきで拭いた。

 目を閉じ、沈思黙考する。何を考えているのだろうか。入部したら得られるお金のことか、入部しなかったら後悔するのか……。

 眼鏡をじっとみつめて、かけ直した。

「……それがしで良ければ」

「ほんとに!」

 申請室のドアが開く。おれの代わりに返事をした天見がこちらへ急接近してくる。

「富久田君、入部してくれてありがとう!」富久田に挨拶を終えると、こちらに向きをかえた。

「ご協力感謝するよ、後上君!」

「……約束だからな」

「この調子でいけば、すぐに五人揃っちゃうよ」天見は黒い瞳を輝かせている。

「そんなに簡単にいくか。今回は審査に付き合ったが、しばらくは無理だぞ。そう毎回、審査できるほど生徒会は暇じゃない。仕事が山積みになってるからな」

 そうだそうだと都倉は音頭をとった。

「大袈裟だなー。どうせ、大したことないんでしょ?」

「天見には一度、生徒会の仕事を手伝ってもらったほうがいいみたいだな……」

「嗜好部も部員がたりないのですか?」富久田はいった。

「いまのところ、私と都倉さんと富久田君だけだね」

「二人くらいなら幽霊部員でも構わんでしょう!」

「よくそんなことを生徒会長の前で言えるな。幽霊部員は何人たりとも認めんぞ!」

「か、会長……」

「ん?」

 周りにいた生徒から奇異の目で見られている。大声を上げてしまったばっかりに注目を浴びてしまった。

「場所を考えて話さなきゃね」

「天見に注意されてしまうとは……!」

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