ハイドロゲンボム

モグラ研二

ハイドロゲンボム

道路に転がっていた空き缶にて重水素が核熱反応、爆発。


半径2キロメートルが消し飛んだ。


静かな日曜日の午前中。

明るい路上で、両腕、両脚の吹き飛んだ青年カルロスが呻いていた。

もぞもぞと動き。

血まみれ。血溜まりのなか。

赤黒い肉片が、あたりには飛び散り。


かつては相当な美男子だったカルロス。

スラっとした体躯。

締まった筋肉。

ケツもキュッと、小さく締まっていて。

短い髪の毛は栗色。

エメラルドグリーンの瞳は生まれつき。

白いタンクトップにジーンズ姿で良くスーパーに行ったものだ。

そうして街を歩く。黄色い声。


やば!やば!やば!


多くの女性が美しいカルロスに声を掛けた。

「ごめんなさい。急いでますから。愛する家族が待っていますので」

食料の沢山入ったスーパーの袋を示す。

「今日はカレーを僕が作るのです。小さな弟たちが待っていますので」

礼儀正しいカルロスは深くお辞儀をして去っていく。


カルロスの残り香はほんのり甘いシトラス。


やば!やば!やば!


瞳孔の開いた女子たちが叫ぶ。


やば!やば!やば!


女子たちは興奮してジャンプする。


目的不明だが異様に短い彼女らのスカートが捲れて、股間部分に濡れ染みの出来ているシルクのパンティが丸見えとなる。


「うぐ!ひぐ!うぐぐー!」

血溜まりのなか、手脚のないカルロスは藻搔いている。

その顔は右半分が抉れ、赤黒い肉が見えている。

右の眼球が、ボロンと垂れて来ている。

「うぐ!ひぐ!あぐお!」

かつての美声はもはやない。

醜い。野太いケダモノの鳴き声。


そう。夏になると裏山の方から知らないケダモノの鳴き声が良く聞こえた。


多分、小学校低学年くらいの記憶。


あれは、なんだったろうか。犬ではない。猫でもない。


いつも、何にもないのに笑っている祖母はその鳴き声について、アジラ-ボゼカウザスの鳴き声だと主張していた。


だが、あの臆病なアジラが、陰気な感じのみなぎる裏山にいるとは考えにくい。


アジラっていうのはケダモノだけど人間っぽくて、徒然草を全文暗唱できるくらいには知的なやつのこと。

(アジラの当時の身長は120センチくらい。髪は黒くて長い。色黒。目つきが悪くて

三白眼だった。いつも同じボロ布を身体に巻いていた。)


神話によれば700回目の 白の夜 に、アジラはボゼカウザスという暗黒騎士の剣によりハラワタを抉られて死ぬのだという。


(神話の本は田舎にある実家、古い民家の倉庫に保存されていた。

藁半紙に汚い字、細いペン字で延々と書かれていた。

あるページにおいては延々と

「キヨシはテツオにケツを犯されて泣いていた。

キヨシはテツオにケツを犯されて泣いていた。

キヨシはテツオにケツを犯されて泣いていた。

キヨシはテツオにケツを犯されて泣いていた。

キヨシはテツオにケツを犯されて泣いていた。」

という文章が続いていた。

祖母はその神話の本、ホッチキスだけで留められた藁半紙の集積について、

「この世界でもっとも尊い」

と目を細めて言っていた。)


アジラは、いつも怯えていた。


何回、白の夜 を迎えたかもう覚えてないからメチャクチャ怖いと、真顔で言っていた。


私とアジラは近所の雑木林で走り回っていた。何か意味があってそういうことをしていたのだろうか。


私はアジラが持っているアイスキャンディを奪った。


頭を殴るとアジラは泣いた。


「あんたも泣くんだ」

私は言った。

「ケダモノだから泣かないかと思ってた。何かきもいかも」


「暗黒騎士の剣によってハラワタを抉られるという凄まじいほど可哀想な運命を抱えているこのあたしに向かって良くそんなことができるね!」

アジラは怒りの形相。ダッシュしてきて思い切り殴り返して来た。


「ふざけんな!死ね!死ね!」

私も殴り返した。


「あんたこそ死ね!生きてる価値ない!あんたみたいな酷い奴!死んじまえ!」


「ふざけんな!私の死は私のものだ!あんたに言われる筋合いない!」


「何よ!あんたこそあたしの死を勝手に宣言するな!」


「はあ?あんたなんてどうでもいい!だから死ねって言うの!私があんたを死ねっていう表現の自由はあんたには奪えない!だから、あんたは!死ね!この!この野郎!」


私もアジラも憎しみを剥き出しにした顔。

つまり歯茎を剥き出しにして、眉間に皺を寄せ、眉を吊り上げ、顔を真っ赤にして。


鼻息は荒くて。髪の毛を掴み合って、引っ張り合って。


最終的には言葉ではない、

「キエー」とか「ヴォー」とかいう悲鳴をお互いにあげていたように思う。


日が暮れて、周囲では紫色の樹々が風に揺れていた。葉と葉、枝と枝が擦れる音が激しく鳴る。


「いや!」

アジラの叫び声。


目を開けると、アジラは消えていた。


私は一人、雑木林から出て行く。奪ったアイスキャンディはメロン味だった。


「悪い男に引っかかってはいけないよ……」


何にもないのに笑いながら、祖母は言っていた。


「変な男に引っかかってはいけないよ……室内でサングラス掛けてる奴とかね……」


祖母は路上の犬とか猫とか鳩の死骸が腐っていくのを、にやにやしながら見ていることもあった。


雨の日、外で。ずぶ濡れになりながら。


ぞっとした。

私は傘もささずに庭先に飛び出した。すぐびしょ濡れになったが、気にしない。

気にしてなどいられない。


「お婆ちゃん!お婆ちゃん!」

そして肩を激しく揺さぶる。


「お婆ちゃん!お婆ちゃん!」

力の限り、私は叫んだ。


「やかましい!殺すぞ!」

お婆ちゃんは顔を真っ赤にし眉を吊り上げた物凄い怒りの形相で怒鳴った。


そうして私の胸を突いた。

私は尻餅をついた。尾骶骨強打。めちゃくちゃ痛い。


「クソ野郎が!あたしの自由を侵害するんじゃない!殺すぞ!」

お婆ちゃんは仁王立ちし、拳を突き出した。

その拳には使い古されたメリケンサックが装着されていた。


静かな日曜日の午前中。

小洒落たフレンチトーストを食べたカップル。

可愛らしいハート模様のマグカップが二つ並ぶ。

そこから湯気と、馨しいコーヒーのにおい。


窓の外を確認。

「どんな感じ?」

晴れているし、平和っぽい感じがする。


ミナコとゴンタのデートがスタートした。


ミナコはキュート。

ピンクの髪色。ブルーのカラコン。スケスケのワンピースで乳首が見えていて。

知的水準の高い大学に通う21歳。


ゴンタはワイルド。

後ろと両サイドを刈り上げたツーブロック。眼光鋭く。スケスケのタンクトップで乳首が見えていて。

知的水準の高い大学に通う22歳。


愛を語り合う二人は路上でキス。


舌を絡め。


クチュクチュ。


ネチョ。


そんな感じの音。


二人の性欲は高まる。

二人きり。

とろけるようなセックスがしたい。

ここで全裸になり、やりまくりたいがそれは犯罪である。

二人の知的水準は高い。

だから、犯罪をすることはない。


クチュクチュ。


ネチョ。


血まみれのカルロスがそれを見ていた。

左目で凝視していた。


「え?なにこいつ、きも」


「確かにきめえ。なんでここにいんだよ。くせえし」


「うぐ。うぐぐ。あー、うぐあ!あー!うぐあ!うご!うぐあー!」

苦しむカルロス。口から大量のクリムゾンレッドの液体。ドバ!ドバ!という感じで。


「うわ!汚い!きもい!」

ミナコが甲高い声で叫び、ゴンタの太い腕に抱きつく。

ゴンタは怒りの形相で倒れている手脚のないカルロスを見た。

「迷惑な奴!警察呼ぶからな!お前は逮捕されてしまえ!バカ!」


カルロスは二人を凝視している。

左目で。

右目はすでに眼球がボロンと垂れている。


私は電車に毎日乗ります。


銀色みたいな電車です。


それで、沢山の人がすでに乗っています。


沢山の人には目がついていて、こちらを見ることがあります。


そういう時に、ああ、この沢山の人たち全てが、私のことをゴミ野郎だと思っているに違いない、と確信するのです。


吊り革に掴まると、事実、背後から巨大なリュックサックを故意的にぶつけるエージェントがいます。


指令を受けているのだと、マルコム岡下は言いました。


マルコム岡下は男性。丸坊主で色が黒くレイバンのサングラスをしている。

そして、紺色のタイトなスーツを着ていた。


そのマルコム岡下が言う。


「リュックサックの軍勢だ。あいつらは背中で攻撃することで弱い腹を抉られるリスクを回避している。頭の良い奴らだ」


私はマルコム岡下の言いなりで従属しているので、あなたの言う通りだと思う、としか言わない。


マルコム岡下とは5年前に渋谷の交差点で声を掛けられて、たまに会うようになった。


マルコム岡下はずっと宇宙から現れたという侵略者エージェントのことを話した。


人間に擬態し世界を秘密裏に攻略するというのだ。


熱心だった。


私は肯定して受け入れて頷くばかりだった。


友人は、あんな男は怪しいから、あんまり会わない方がいいよ、あんたはフワフワしてるから、洗脳されないか心配、と言っていた。


私はフワフワしてない。

何かムカついた。

電車に乗ると沢山の人が確かに敵意を持っているし、事実、攻撃してくるわけで、マルコム岡下の言うことは正しいと思う。


それは事実からそう思うのであり、私がフワフワしていて洗脳されているからでは全くないのだ。


酔っぱらってしまって、ふらつきながら通りを歩いていた。

夜も遅い。2時過ぎくらいだった。

「キヨシ!逃げてんじゃねえぞ!」

後ろから声がした。

グレーのスーツを着た長身。

爽やかなスポーツ刈り。少し釣り目。鼻筋が通っている。

テツオだ。あいつ、なんでここに?

テツオは先月幼馴染のアジラと結婚したばかりだった。


披露宴にも行った。

おれが「おめでとう」と言うと、テツオは複雑な表情。

嬉しそうには見えなかった。


酔いが凄まじい。

なぜこんなに飲んだのだろうか。

ゴミ捨て場に倒れこんでしまった。立つのが難しい状態。

「おらっ!キヨシ!この野郎!」

テツオがおれの胸倉を掴んで立たせる。

テツオはキスしてきた。

ハアハア言いながら舌を入れてきた。

クチュ、クチュ、ニュプ……そんな感じの20秒間があり。

顔を離してテツオはおれの顔面をぶん殴る。


おれは積んであるゴミ袋の山に背中から突っ込む。

「いてえよ!なんだよ!どういう理屈なんだよ!」


「うっせえ!諸行無常だから良いんだよ!ボゲ!」


テツオは顔を真っ赤にして、少し泣いていたようだった。

そのまま駆け去った。


クリムゾンレッド。

血溜まり。

「うぐ、ぐぐ!ぐおー!」

カルロス。かつての美男子。

手脚を吹き飛ばされぐちゃぐちゃの状態。出血が酷い。

さっきから発声を行っているが、もはや自我を保ってはいない。

ほとんど野生の状態。

理性ではなく、自身に襲い掛かる凄まじい苦痛を本能的に発露させているのだ。


「ねえ、もう行こ?こいつきもいし」


「そうだな。こんな奴に構っている暇はないよな。俺たちは愛し合う若い二人なんだから。少子化問題についても話さないといけないし」


ミナコとゴンタはくっついて歩き出す。


(彼らがスマートホンでカルロスを撮影しネットに晒さなかったことは、

彼らの人格が良識によって確立されたものであることを、

証明しているのではないか。)


(彼らは現代の若者には珍しく自身の湧き上がる承認欲求について

極めて上手く抑制する手立てを知っているのである。)


ゴンタがミナコの腰を抱く。

「ミナコ……すげえエチだ。ミナコ……」

ミナコは上目遣い。

「ゴンタ……マイダーリン……」

うるうるした瞳。恋する女って感じ。


楽しいデート、

最後はホテルで熱いセックス。

ミナコの濡れたマンコに、ゴンタの硬くなった赤黒いチンポコを入れる。

ゴンタが激しく腰を振る。

ゴンタの割合大き目な黒ずんだキンタマがブランブラン激しく揺れる。

ジュププ……ジュプ……といやらしい音がする。

チンポ、気持ちいい。

マンコ、気持ちいい。

エロいこと好き。

エロいことこそ人生における至宝。

(あらゆる迂回の道は愛し合うエロスの世界に終着する。)

珠玉の時間。


二人の目はトロンとしてきた。愛の高まり。


静かな日曜日。


爽やかな日差し。


だが、空き缶というものはどこにでも転がっているものだ。


現代社会においては、所持しているゴミをその辺に放り投げることについて多くの人が是認し、実行している。


もちろんミナコとゴンタほど知的水準の高い若者であっても。


(ミナコは式亭三馬の作品を常日頃愛読していたし、ゴンタも雨月物語を全て暗唱することができた。)


なかなかのインテリである。


彼らの足下に転がっているのは、清涼飲料水の空き缶か。


予想はついただろう。


そうだ。その空き缶にて重水素が核熱反応、爆発。再び半径2キロメートルが消し飛んだ。


もちろん肉体を持つミナコとゴンタも地上から消滅した。


一瞬で、跡形もなく。


消える瞬間、彼らは多分セックスのことを考えていたのではないか。

目が、トロンとしてきていたわけだし。


それが自然というものだ。


路上には風が吹いていた。

細かい砂の粒子が空間を一筋流れていた。どこへ行くのだろうか。


諸行無常。


日曜日の午前中で、日の光は依然として爽やかだった。


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