十一. 二人の「障害」解決法
俺は、目の前に建っている、思いの他小さな建造物に、少し面食らっていた。
「綾小路製造」
と、書かれた社名の横に「家紋」のような
そして、そこが彼女の父の「会社」だった。場所は、東京都大田区。羽田空港にほど近い「下町」で、町工場が多い場所だ。
夏休みを間近に控えた七月の下旬。
この建物の前に、「彼女」と一緒に向かったのだ。
もちろん、それは彼女の「父」に書いた「推理論文」を見せるのが目的だった。
優里亜さんは、「1人で行くから大丈夫」と、妙に強気だったが、俺は心配になったので、彼女に頼んで同行していた。
もっとも、彼女の「父」がどんな人か、見てみたい、という好奇心もあったが。
受付には、質素で事務的な電話が置かれてあり、そこで優里亜さんが、
「娘が来たって、社長に伝えて」
とだけ、短く言い放っていたのが、少しだけカッコよく見えるのだった。
やがて、事務員らしき、中年の女性が現れ、俺たちを応接室に通した。
その応接室は、来客用の十畳ほどの小さな部屋で、俺たちは、会社によくあるような事務的なデスクチェアのような、椅子に座ることになった。向かい側にテーブルがあり、同じようにデスクチェアが二つ並んでいる。
優里亜さんに聞くと、
「父は『仕事の虫』だから、あえて社長室を設けずに、自分も最前線で働いてるから」
だそうだ。
見たところ、従業員数は、100人にも満たないと思われた。もっとも、営業などで外部に出ている人間も多いため、優里亜さんによると、従業員数はおよそ150人ほどだという。
小さいが、零細ではなく、中小企業くらいの規模の会社だった。
そわそわしながらも、待っていると、先程の事務員が、お茶を運んできてくれた。
「社長はまもなく参ります。少々お待ち下さい」
事務的な挨拶をして、彼女は去って行った。
残された俺と優里亜さん。彼女の手元には、論文があった。
タイトルは、「坂本龍馬暗殺の真相」。名前だけだと、まるで歴史論文的ではない。むしろ、歴史好きが読む、大衆的な「読み物」に近い代物に見えるだろう。
だが、その内実は違った。
優里亜さんは、「歴史好き」を公言するだけのことはあり、徹底的に「一次史料」、つまり幕末当時の史料を漁って、当時の文献から古文書のような漢文をわざわざ引用して、注釈をつけ、これをただの「推理」ではない、本格的な「論文」に仕上げてしまった。
調べることについては、俺も手伝ったが、執筆に関しては、彼女が1人で仕上げていた。
しかも、物の数日でこれを書き上げていた。400字詰めの原稿用紙で、およそ50枚。
大学の卒業論文では、場所によっては「200枚」くらい書かないといけなかったりするが、高校生でこの出来は、相当な物に入るだろう。
「大丈夫、優里亜さん?」
心配になって、ついて来た俺が声をかけると、彼女は、眼鏡の弦を抑えて、
「心配いらないわ。私に考えがあるから」
とだけ、言っていた。
そして、ついに、ドアが開き、男が現れた。
だが、その姿を見て、仰天していたのは、俺だった。
「頑固な」父親と聞いていたから、どうせ40代か50代くらいの、いかにも頑固そうな眼鏡をかけた、サラリーマン風の男と思っていたのだ。
だが、現れた男は、若かった。恐らくまだ30代だろう。しかも、キッチリと真新しい黒のスーツをビシっと着こなした、エリートサラリーマンのように見え、おまけにやたらと「イケメン」だった。
「女の子は父親に似る」と聞いたことがあるが、切れ長の目、サラサラの髪、そして口元まで優里亜さんに似ていた。
「何の用だ、優里亜。俺は忙しい」
しかし、その口から漏れたセリフと、散見する態度は、明らかに「高圧的」に見えた。
優里亜さんは、さすがに慣れているのだろう。顔色一つ変えずに、
「父さん。前にも言ったけど、私は会社は継がないし、史学部のある大学に行くわ」
とだけ告げた。
「バカなことを言うな。歴史など学んで何になる? そもそも歴史で食って行くのは、至難の業だぞ」
「そんなことわかってるわ」
早くも一触即発の険悪なムードが2人の間には漂っていた。
そして、
「私が書いた論文よ。とりあえず、これを読んでから判断して」
優里亜さんが、プリンターで印刷された分厚い論文を差し出した。
だが、テーブルの向こう側の椅子に座っていた彼女の父は、それに対し、見向きもせずに、
「くだらん」
とだけ告げて、
「俺は忙しい。話がそれだけなら帰れ」
早くも腰を上げていた。
「待って下さい。せめて彼女の話を聞いて下さい」
意を決した俺は、いても立ってもいられず、彼女の父を呼び止めていた。
腰を上げかけていた彼女の父は、今度は俺の方を見た。というよりも、むしろ睨んでいた。同時に再び腰を下ろした。
「何だ、君は?」
その鋭い視線に、ひるみそうになりながらも、発言しようとした、俺に対し、まるで予想外の言葉が隣から飛び出ていた。
「私の彼氏よ。将来も約束してる仲よ」
「えっ」
さすがにびっくりして、俺が優里亜さんを見ていると。彼女は、まるで何でもないことのように、父親を睨みつけるように視線を送っていた。
「彼氏だと?」
「そうよ」
「将来を約束してるのか?」
「そうよ」
マズい。さすがにこれは「嘘」だと、彼女の父親が勘ぐっている様子が、ありありと見られた。
いくらなんでも、無謀すぎるだろう、と思っていると。
「今すぐ、ここで読んで。じゃないと、私は彼と『駆け落ち』するから」
またも、とんでもないことを口走っていたのは、もちろん優里亜さんだった。
同時に、俺は気が気でなかったし、内心、「嘘」とわかりながらも、胸がドキドキしていた。
だが、優里亜さんの瞳は、ものすごく真剣だった。恐らく彼女は勇気を振り絞って、この思いきった「策」を披露したのだろうし、「嘘」とバレないように、あえて堂々と、「見栄を張って」いるのだろう。
彼女にそんなことまでさせてしまった、と思うと、申し訳ない気持ちがあったが、同時に「女は強い」とも思った。
一説によると、「駆け落ち」を主導するのは、男ではなく女の場合が多いという。つまり、男は「社会的」な目、世間体を気にするから、「駆け落ち」には否定的になり、親から反対されたら諦めることが多いという。
一方で、女はいざとなったら、「親」よりも「愛する人」を選ぶらしい。本当に「度胸」があるのは、実は女なのかもしれない。
彼女の若い父親は、俺と優里亜さんの顔を交互に見ていたが、ややあってから、
「まあ、いい。読んでやるから、お前らは外で待ってろ。見られると集中できないからな」
相変わらず「上から目線」な言い方だったが、観念したようで、読んでくれることになった。
その間、俺と優里亜さんは、応接室を出て、「会社」の中の散策に出かけることにした。
父親は、読み終わったら、LINEで呼ぶ、と言っていた。
優里亜さんは、さすがに勝手を知っているようで、俺に社内を案内しながら、見知った従業員と時折、挨拶を交わしていた。
彼女は、案内しながらも、会社の説明もしてくれた。ここは、オフィス兼工場も兼ねているそうだった。
やがて、中庭に出た。
そこには、社員の昼食休憩用だろうか。
大きな松の木に挟まれた空間に、
彼女はそこに座り、俺に隣に座ることを促した。
「びっくりしたよ。いきなり『駆け落ち』とか言うから」
開口一番、まずそれが俺の口から出た言葉。
だが、彼女は、
「ああでも言わないと、父は動かないからね」
悪びれもせずに、そんなことを言っては、空を見上げていた。
「でも、もし本当にそうなったら、どうする?」
「えっ」
さすがに驚いて、彼女の横顔を見ると。
まだ空を見上げたままだった彼女の視線の先には、羽田空港に降りる大型旅客機が雲間に漂っていた。
「ごめん。冗談。忘れて」
彼女は空を見上げていた顔を降ろし、俺から視線を逸らして、今度は松の木を見ていた。
先程から全然視線を合わせてくれないのが、気になっていたが。
その時、優里亜さんの携帯から、短い音が鳴り響いた。
携帯の画面を見た彼女は、
「父からよ。戻ってきてって」
またも視線を合わさずにそう告げると、先頭に立って、てくてくと歩き出した。
着いて行き、再び舞台は、応接室に。
だが、俺にとっては、「予想外」の展開が待っていた。
「これは、全部お前が書いたのか、優里亜?」
「そうよ」
短いやり取りの後、彼女の父は、難しい顔をして、論文を見つめていたが。
「坂本龍馬か。悔しいが、なかなか面白かった」
彼女の「頑固そうな」父が、それでも言葉通り悔しそうに呟いていたのが、印象に残った。
「龍馬は、我々経営者にとっても、見習うべき人材だからな」
そう言って、彼女の父は、独自の「龍馬論」を語り始めた。
もっとも、それは「歴史」から見た観点というよりも、「経営者」、「ビジネスマン」としての目線だったが。
それでも、なんだかんだで「親子」だから、似ている部分があるのかもしれない、と俺は思うのだった。
同時に、もっとお互いが「話し合えば」きっと2人はわかりあえるだろう、と。
黙って、父の話を聞いていた優里亜さんは、
「で、どうするの?」
今度は、問い詰めるような鋭い視線を、父親に向けた。
逆に、若い父親の方が、
「その言い方。お前の母さんにそっくりだな」
と苦笑していた。初めて、彼の「笑った」顔を見た気がしたが、口元が優里亜さんにそっくりだった。
「わかった。お前の好きにしろ」
ようやくその一言を、実の父から聞くことが出来た優里亜さんは、今度こそ安堵の瞳を、ようやく俺に対して、向けて、薄っすらと照れ臭そうに微笑んでくれたのだった。
「だがな。『駆け落ち』はするな。お前らはまだ若いんだ。人生を棒に振ることはない」
その真剣な眼差しを見ていた、優里亜さんが不意に、珍しく口角を上げて、「笑って」いた。
「冗談よ、父さん」
「冗談?」
「ええ。彼は鳳条圭介くん。ただの友達よ」
それを聞いた父親は、心底安堵したかのような、落ち着いた表情を見せ、同時に「一杯食わされた」ような苦笑を浮かべていた。
一方で、「ただの友達」と言われていた俺の心は、さざ波のように「泡だって」いた。
(ただの友達か。改めて言われると、ショックだな)
彼女は、父に対し、「誤解を解く」ためにそう言っただけだろうが、俺にとっては、それは衝撃が大きく、同時に今後のことを考えさせられるのだった。
とにかく、彼女の父はようやく「認めて」くれたらしい。
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