十. 幕末最大のミステリーを追え

 妹が言っていた「ヒント」。

 それについてずっと考えていた。


 最初は、どうにもわからなかった俺だったが。

(推理小説か。歴史と関係なんかあるか?)

 恐らくそれが「ヒント」だろうという予測がついてきた。


 だが、「歴史」と「推理」は全くの別物、と「思っていた」。


 その日、帰宅してからずっと考えていたのだが、深夜になって、ようやく光明を見出した。それは「賭け」でもあったが。


(日本史には、解かれていないミステリーがある)

 ということに、気づいたからだ。


 同時に、

(彼女が好きな幕末の最大のミステリー)

 について考えた。


 それは、「坂本龍馬暗殺事件」についてだった。


 日本史で言えば、古くは「邪馬台国やまたいこくの場所」、中世では「本能寺の変の原因」などが有名な物として挙げられるが、幕末ではやはりこの問題に終始する。


 未だに真犯人がわかっていない「坂本龍馬の暗殺犯人」について。


 つまり、歴史は歴史でも、いわゆる「お堅い論文」ではなく、「推理」を交えた「推理論文」を彼女に書いてもらい、それを彼女の父に見せたらどうか、と。


 恐らくは、彼女の父は、彼女に似て「頑固」だろう。

 話を聞いてくれるか、読んでくれるか、もわからない。


 だが、やってみる価値はありそうだ。


 そう思った俺は、翌日の放課後、早速、部室に行って、彼女にその話を持ち掛けた。ちなみに、その日、妹は「友達と遊びに行く」と言って、さっさとカラオケに行ってしまっており、むしろ好都合だった。


 部室に着くと、昨日と変わらず、彼女は机に突っ伏したまま、蛸のように髪を散乱させた状態で「寝て」いた。普段はダラしないのかもしれない。


「優里亜さん。いい案を思いついたよ」

 そう声を上げる俺に対しても、


「うーん。だから、無駄だって」

 どうにも煮え切らなかった彼女だったが。


 俺が、持ってきた「案」を披露すると、ようやく目を見開いて、

「面白そう」

 と言ってくれた。


 彼女曰く。

「坂本龍馬ほど有名で、人気がある日本史の歴史上の人物は、織田信長くらいしかいない」

 とのこと。


 もっとも、この坂本龍馬自体が、小説によって、「脚色」されているから、実際には当時は、そんなに有名でも、すごい人物とも思われていなかったというのが、彼女の見解だった。


 だが、

「俺も調べるし、協力するから、一緒にやろう」

 と俺が思いきって口にすると、彼女はようやく、


「うん。わかった。やるだけやってみる」

 口元をわずかに緩めて、微笑んでくれるのだった。


 そこからは、2人の共同作業になった。

 学校の図書室、区内の図書館に行って、幕末の、特に坂本龍馬関連の史料を漁った。それは気の遠くなるような大変な作業だった。


 何しろ、「坂本龍馬」について書かれた本なんて、それこそ「吐いて捨てる」ほどあるのだ。


 その中から特に「坂本龍馬暗殺」に関する本をピックアップする。

 ちなみに、インターネットは極力使わなかった。理由は、インターネットは不特定多数の人が情報をアップロードできるという特性上、「嘘」情報が多いからだ。


 参考程度にはするが、結局のところ、当時の一次史料がある「書物」に頼る方が確実なのだ。


 そして、調べていくうちに、わかってきたことがあった。


 坂本龍馬が暗殺されたのは、慶応三年(1867年)11月15日。奇しくも、その日は龍馬の33歳の誕生日だった。


 暗殺された場所は、京都の「近江おうみ屋」という醤油屋。

 龍馬はその日、陸援隊の隊長で盟友でもある、中岡慎太郎と一緒に、近江屋の二階に滞在していた。


 夜の8時頃。龍馬と慎太郎が話していた時に、十津川とつがわ(現在の奈良県)の郷士ごうしと名乗る男たち、数人が面会に来たという。


 下の階にいた、近江屋の藤吉という男が取りついだところ、来訪者たちはその藤吉を斬り、龍馬たちのいる部屋に押し入った。


 龍馬も慎太郎も帯刀しておらず、龍馬は額を深く斬られ、その他数か所を斬られて、ほとんど即死に近い形で殺害された。


 慎太郎はしばらく生きていたが、その後絶命している。


 この「十津川郷士」が問題の暗殺犯だが、これが相当「怪しい」ことがわかってきた。


 俺たちは、調べた史料を元に、ファミレスに寄り、推論することにした。すでに時刻は夜の9時を回っていた。


 賑やかなファミレスの中で、不思議な「推論」が展開される。


 大まかな説は、以下の四つに分けられた。


①新撰組

見廻みまわり

③薩摩藩

④その他


 このうち、現在では②の見廻組説が濃厚とされている。


 まずは、①の新撰組説を紐解く。

 新撰組は、歴史上、有名な幕末の幕府側の「剣客集団」で京都の治安維持に務めていた。つまり、「反幕府」の立場の龍馬をつけ狙うには、一番疑われやすい。


 当初は、この「新撰組」が一番怪しいと言われていたらしい。

 だが、この説を主張したのが、龍馬と同郷の土佐藩出身の谷干城たにかんじょうだったのが、そもそも「私怨」に近かった、とわかった。


 つまり、簡単に言うと「どうせお前らがやったんだろ」という憶測に近く、実際に谷干城は新撰組を極端に恨み、局長の近藤勇を一方的に龍馬暗殺に関与した、と私怨に近い形で、「斬首」している。

 その上、同じく新撰組の大石鍬次郎くわじろうを捕らえ、拷問の末に、龍馬暗殺を自白させているが、これは後で「嘘」だとわかったという。


 また、襲撃犯が「こなくそ(この野郎)」という四国訛りを話していたため、伊予松山藩出身の新撰組隊士、原田左之助も疑われたが、関与を否定している。


 以上によって、

「新撰組はないと思うわ」

 彼女の意見には、俺も賛同した。


 ②見廻組説。

 これが現在、一番有力とされているのだが。


 実はここにも「落とし穴」があった。

 見廻組は、新撰組と共に、京都の治安維持を担った幕臣の組織だったが。

 そのうちの今井信郎のぶおという男が、箱館戦争後に新政府の捕虜になり、明治二年(1869年)11月9日に、戦犯として捕らえられている。


 翌明治三年(1870年)3月。龍馬暗殺の「刑事犯」として、刑部ぎょうぶ省(裁判や刑罰の執行を行う部署)伝馬てんま町の牢に移送され、裁判にかけられて、同年9月に「禁固刑」になっている。


 その時、彼は見廻組の隊長である「佐々木只三郎たださぶろう」と、その部下六人(今井信郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂早之助、土肥伴蔵、桜井大三郎)が坂本龍馬暗殺を実施したと供述している。


 ところが。

「怪しいわ」

 彼女は、これに独自の「異論」を挟んだ。


 優里亜さん曰く。

「刑が軽すぎる。龍馬暗殺に、さらに戦犯扱いなら、死刑でもおかしくないのに、この今井信郎は明治五年に特赦放免されてるの」


「つまり、どこかから圧力がかかったと?」


「多分ね。それに、当時の法務大臣に当たる役職には土佐藩の佐々木高行たかゆきが就いていたのに、谷干城をはじめ、外部には一切漏らさずに極秘扱い。しかも中岡慎太郎に関しては一切話に上がってない」

 さすがに彼女は鋭かった。


 さらに彼女は、西郷隆盛の「家伝」まで取り寄せていた。それによると、

「西郷は裁判中、今井の助命に奔走した」という。


「と、すると、薩摩藩が真犯人で、冤罪えんざいになった見廻組をかばったと?」

 俺の推論に、彼女は、深く考え込んでから、絞り出すように持論を展開し始めた。


 ③薩摩藩説だ。

「うーん。昔から薩摩藩説はあったわ。そもそも薩長同盟によって、確かに倒幕には向かったけど、大政奉還によって、倒幕の大義名分を失ったのは、薩摩藩だった。つまり、薩摩にとって、龍馬は『邪魔な存在』だった」


「なら、やっぱり薩摩藩が?」


「そう簡単には行かないのよ」

 彼女曰く。


 西郷隆盛は、幕末の頃は確かに「目的のためには手段を選ばない、マキャベリスト的な一面があった」が、己の保身や栄達のために、策を講じるようなところはなく、むしろ維新後は政治的な策略をしていない、という。

 それがために、西郷は盟友の大久保利通に追い込まれ、西南戦争で自害している。


「怪しいのは、西郷の側近の桐野利秋きりのとしあき。幕末では『中村半次郎』と呼ばれた『人斬り』ね。彼は、西郷の信奉者だったから、西郷の邪魔になる人物なら平気で斬ったはずよ」


「けど、証拠がないよね?」


「まあ、そこは、したたかな薩摩藩だから、証拠は隠滅したんでしょうね」


「じゃあ、薩摩藩で決まり?」


「待って」

 彼女が止めたのには理由があった。


 ④その他説。

 これについては、諸説あり、ひどいのになると、フリーメイソン陰謀説まであるらしいが、明らかに眉唾物だった。


 調べていくと、この④説が面白いことがわかってきた。


 まず、事件の10日前の11月5日。

 坂本龍馬は、岩倉具視ともみに会っている。公卿であり、倒幕に深く関わったとされる人物だ。


 しかも、その頃、西郷隆盛は京都にはいなかった。

 実質的な薩摩藩の指導者だった西郷がいないのに、薩摩藩が動くだろうか、という推測が立つ。


 一方で、龍馬が出したとされる「船中八策」の建白書。これには「徳川慶喜よしのぶを副総裁とする」、という龍馬案が書かれてあり、西郷隆盛、大久保利通、そして岩倉具視が強硬に反対していた、という。


 さらに、読み込んでいくと、優里亜さんは面白い記事を見つけたようだった。

「海援隊の中島信行のぶゆきが、暗殺の現場に駆けつけ、近江屋の女中に話を聞いたそうよ」

 海援隊は、もちろん龍馬が作った組織で、中島信行はその中枢にいた人物だ。


「それで?」

「暗殺犯は、逃げる途中に、を話していたそうよ」


 だが、そうなると、謎はますます深まる。

 一方で、俺は別の記事として、


「事件の前々日に、元・新撰組の伊東甲子太郎かしたろうが同じく元・新撰組の藤堂平助とうどうへいすけを連れて、龍馬と面会し、『新撰組が龍馬を狙っている』と忠告したって書かれてあったけど」

 そう提案に近い形で、挙げたが。


「それはないわ。むしろ、その一言がカムフラージュしてるようにすら見える」

「と、言うと?」


 いよいよ、核心に迫るのか、と俺は内心、ドキドキしていた。


 彼女の「持論」はこうだった。

「私は全ての黒幕は、岩倉具視だと思ってる」

「どうして?」


「岩倉という男は、目的のためには手段を選ばない男で、汚いことは何でもやってた、と言われているわ」

「まあ、確かにダークなイメージあるね」


「私は、岩倉が薩摩藩士になりきった、御陵衛士ごりょうえじあたりにやらせたんじゃないか、って思う」

「御陵衛士って?」


「さっき話に出た伊東甲子太郎が作った、新撰組を離脱した連中よ。そいつらのバックには、薩摩藩がいたっていう話なの」

「なるほど」


「で、怪しいのが富山とみやま弥兵衛やへえという男よ」

「どういう男?」


 俺と彼女は、独自の理論を展開し、独自の答えを導きだそうとしていた。

「薩摩藩士の子弟、と言われてるそうよ」

「つまり、どういうこと?」


 いよいよ、この推理の「核心」が近づいてきた。彼女は、珍しく、腕組みをして、図書館で借りて来た書物を睨みながら、ファミレスで持論を展開した。


 時刻はすでに夜の10時を回っていた。


 傍から見ると、非常に奇妙な2人だろう。何しろ夜のファミレスで、「坂本龍馬暗殺」を真剣に語っているのだから。


「岩倉は、したたかな男だから、自分に『足がつかない』ように、薩摩藩を利用しようとした。でも、薩摩藩も利用されるだけじゃしゃくだから、例え犯人の面が割れても、薩摩藩じゃないと主張できる、御陵衛士を使った、ってところね」


「じゃあ、犯人は富山弥兵衛って男?」


「いいえ。1人じゃ無理ね。富山の他に、同じく御陵衛士の阿部十郎という男も怪しいし、他にも御陵衛士がいたのかもしれないわ」


 確かに、彼女の「説」は面白い、とは思った。

 思ったが。


「でも、結局、決定的な証拠は見つからず、か」

 俺が溜め息を突いて、ドリンクバーから持ってきた、何度目かのジュースを口にしていると、彼女は、ようやく「微笑んだ」。


「それでいいのよ、鳳条くん」

「なんで?」


「それが『歴史』の面白いところ、だからよ。推論することに楽しさがあるの。本当のところは、それこそタイムマシーンでもないとわからない」

 彼女に、「歴史」の面白さを教えてもらう、と同時に、「坂本龍馬暗殺犯」の謎を追いかける、2人の「共同作業」は一旦、終了した。


 こうして、俺たちは、「案」をまとめる段階に入ることになったのだった。

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