七. 健康注意報

 綾小路さんのツラい過去、そして小食。

 それらのことがわかったところで、事態はそう簡単には進まない。


 俺はそう予想していたのだが。


 すぐに、恐れていたことが起こった。


 ある日の昼休み。この天王洲学園は、生徒数が多いため、昼時の食堂はいつも混み合う。


 食堂に密集して、一斉に食事を摂る生徒が多いためだが、俺はそういう人混みが苦手ということもあり、自分で弁当を作って教室で食べるか、購買部でパンを買うことが多かった。


 その日も妹に弁当を作ってやり、ついでに余った食材を詰めて、適当に自分の弁当を作っていたが。


 珍しく、その日は教室で昼食を取る生徒が多く、今度は教室が混み合っていた。


(仕方がない。部室に行ってみるか)

 と、決断し、昼休みに「歴研」の部室に向かった。

 それは、もしかしたら、そこに綾小路さんがいるかもしれない、という淡い期待もあった。


 だが。

 部室には鍵がかかっていた。いつもここの鍵の管理は、綾小路さんがしている。ということは彼女はここには来ていないということだ。


 当てが外れたが、このままだと行き場を失う。


 仕方がないので、LINEで彼女に聞いてみることにした。


―綾小路さん。今、どこにいるの? 部室の鍵持ってたら、貸して欲しい―


 という文言と共に。彼女が用事でいないなら、1人でも食べよう、と思った。


 だが、ややあって返ってきた返事は、意外すぎるものだった。


―ごめん。今、保健室で横になってるの。鍵は私が持ってるから、取りに来て―


 その瞬間、嫌な予感がした。

(また食事抜いたな)

 同時に、すぐに予測する。


 俺は、保健室に駆けだした。


 保健室に入ると、養護教諭、つまり保健の教師は、丁度昼休憩に行っていて、不在だった。


 いたのは、ベッドに横たわって、青白い顔をして、天井を見上げていた彼女だけ。

「綾小路さん」

 声をかけると、わずかに顔を向けただけだったが、明らかに顔色が「青白い」。


「ああ、来たのね」

 そう言って、ゆっくりとした動作で起き上がろうとしたが。


「無理しなくていい。それより、また食事抜いたね。言ったでしょ。ちゃんと食べててって」

 まるで聞き分けのない「子供」みたいだ。


 と思いながらも、俺がそうさとすように言うと。

「ごめん。固形ブロックの食事ばかり摂ってたら、目まいがしてきて」

 彼女はそれだけを呟いて、またベッドに倒れるように仰向けになってしまった。


「ダメだよ、ちゃんと食事を摂らないと。そんなんじゃ、脳に栄養が行かないから、効率も悪くなるし、疲れやすくなる。君の研究だって、上手くいかない」

 そう諭しながらも、俺は、彼女がまるで、「熱心に実験をする科学者」のようにも思えていた。


 とかく、そういったやからは、自分の研究にしか興味がなく、それ以外は全て無頓着になる。


「鳳条くんには、何でもお見通しなのね」

 彼女は、そう言って、薄っすらと笑っていたが。


「はあ。鍵はいいから、もう少し休んでて。今日の部活も来なくていい」

「ごめん」

 溜め息を突く俺と、再び謝る彼女。


 だが、内心では俺は彼女の体のことが心配だった。


 なので、このことがきっかけで決心することになった。

(俺に出来ることをしよう)

 健康に無頓着で、痩せていて、いつも笑顔がなくて、病人のような彼女。


 そんな彼女のために「俺が」出来ることがあるとすれば、自分の得意分野を生かすことだけ。


 それは「料理」だった。

「ねえ、綾小路さん」

「なに?」


「君の好きな食べ物は何?」

「えっ」

「好きな食べ物くらいあるでしょ」

 そう聞くと、彼女は驚いたような表情で、顔だけをこちらに向けてきたが。数瞬の逡巡の後、


「そうね。パスタかなあ」

 とだけ呟いた。


「何パスタ?」

「あっさりしたのが好き」


 相変わらず、無口で、最低限のことしか言わないが、大体わかった。妹と同じように彼女も「パスタ」が好きなようだが、妹はどちらかというと、味付けの濃いパスタを好む。

 彼女は逆だった。



 俺はネットで、レシピを見ながら、台所で格闘していた。

 材料は2人分作る。一応、自分でも食べるからだ。パスタ200gに、砂抜きしたあさりを1パック(200g)、サラダ油が大さじ1杯、にんにくの薄切りが1片、トマト水煮缶が1缶(450g)、青じそが5~6枚、それに塩、胡椒。


 材料は揃った。


 ここからが、「腕の見せ所」だ。


 まずは、あさりの殻を綺麗に水で洗い流す。スパゲッティを茹でるお湯を沸かす。一方でフライパンに油を熱し、にんにくの薄切りを香りが出るまで炒めて、あさりを入れ、中火にして蓋をする。そのままあさりの殻が開くまで待つ。


 トマトの水煮を加えて、ヘラでトマトを粗く崩しながら煮る。塩、胡椒を少々入れ、加えながら調理。青じそは粗く刻む。


 最後に、用意したお湯に適宜、塩を入れてスパゲッティを茹でる。


 これらの作業を帰宅後、すぐにやっていると、

「ただいまー」

 帰ってきた妹が、匂いにつられるように、台所にやって来た。


「いい匂いー。今日はパスタかあ」

「お前にはやらんぞ。これは今日の晩飯じゃない」


「じゃあ、何?」

「お前は……その、知らなくていい」

 誤魔化すように言ったつもりだったが、妹は、


「あ、もしかして優里亜さんに。やるねえ、お兄ちゃん。手料理なんて。まあ、普通は逆だけど」

 あっさりと見抜かれていた。逆と言ってるのは、普通は女子が男子に、と言いたいのだろう。


「お前。何でわかった?」

「わかるよー。何年の付き合いだと思ってるわけ。でも、いいんじゃない。料理出来る男子はモテるよ。ま、お兄ちゃんには、それしか特技ないけどね」


「だから一言多いんだよ、お前は」

「はいはい。ま、がんばってねー」


 妹にからかわれているうちに、パスタが茹で上がってくる。わざと軽く茹でて、「固め」にしておくのが、コツだ。

 最後は、水を切って、盛り付けをすると完成。


 これが「あさりのトマトソーススパゲッティ」だ。我ながら上手く出来たと思う、自信作になった。


 これをタッパーに入れて密封し、冷蔵保存。こうすれば、1、2日は鮮度を保てる。

 翌朝、タッパーのまま、学校に持って行く。見た目は、不格好だが、タッパーは優秀な「弁当箱」代わりになる。


 昼休み。

 俺はあらかじめ、LINEで綾小路さんが、部室にいることを確認しておいた。


 そうしておいて、食堂まで行って、電子レンジで温め直してから、一応、出来具合を再度、確認してから、部室に直行。


 彼女は、いた。

 いつものように部室の机の前で本を読みながら、侘しい固形ブロックの食事を摂っていた。


 そんな彼女の前につかつかと歩み寄り、

「綾小路さん。ダメだって、そんな食事じゃ。ほら、これ食べて」

 有無を言わさず、彼女の目の前にタッパーを差し出した。


「えっ」

 驚いて目を丸くしていた彼女だったが、

「これ、鳳条くんが作ったの?」


 恐る恐るタッパーを開けていた。

 そして、喜んでくれるかと思いきや、くすくすと笑い出した。彼女が笑うのを見るのは、久しぶりな気がする。


したのが好きとは言ったけど、のスパゲッティって。ダジャレ?」

「まあ、そんなところ。いい? ちゃんと栄養を摂らないとダメだよ」


 念を押すようにそう言うと、彼女は頷いて、箸を取って、俺が作った物を口に運んでくれた。


 俺は自らのタッパーに同じ物を作っていたが、あえて箸をつけずに彼女の様子を見守っていた。反応が気になって仕方がなかったからだ。


「どう? 味は?」

「美味しい……」


 薄っすらと彼女の白い顔に生気が満ちていくように見える。というよりも、まともな顔色に戻っていくような感じにすら思える。


「すごいね。とても男子が作った物には思えない。料理屋でも開けば?」

 彼女は、俺をからかうようにそう言いながらも、もくもくとスパゲッティを食べてくれた。


 それだけで、俺は救われた気になるし、嬉しくもあったが。

 食べ終わった後に、彼女が呟いた一言。


 それがあまりにも意外すぎて、逆の意味で、驚くしかなかったのだ。

「あなたは変わってないね、あの頃から。やっぱり優しい」

「何言ってるんだ? 俺たち、高校になってから知り合ったでしょ」


 俺の記憶の中で、過去に彼女に会った記憶はないのだが、彼女の口ぶりは、まるで昔会ったことがあるような口調だ。


「それがね。多分だけど、昔会ってるよ」

「そんなわけないでしょ」


 俺は全力で否定していた。やっぱり彼女と会ったことなどないはずだからだ。

 ところが、綾小路さんは、珍しく、いたずらっ子のような不敵な笑みを浮かべ、


「あなたの記憶力が良ければ、覚えてるかもね」

 と俺を試すような、上目遣いをしてきた。


 少し可愛らしい。そう思っていると、

「鳳条くん。あなた、長野県松本市の出身でしょ」

 そう言われて、さすがに仰天していた。俺は「長野県」の出身とは彼女に言っていたが、「松本市」とは一言も話していないはずだ。


「何でそれを知ってるの? 話したことないはずだけど」

 当然、疑問に思っていると。彼女は質問に答える代わりに、別のことを聞いてきた。


「あなたの実家の隣に老夫婦が住んでなかった?」

「住んでた。名前は確か……」


生方うぶかたでしょ」

「そうだ、生方さんだ。何で知ってるの?」


「生方は私の母の姓。そして、母の両親、つまり私の母方の祖父母が松本市に住んでた」

「えっ。じゃあ……」


「もうあれから10年近く経つからねえ。覚えてなくても仕方がないかな。小学生の頃、私は毎年夏に、松本市の祖父母の元に遊びに行ってたの」

 薄っすらと甦る記憶。


 確か、そこに女の子がいた。

 名前は、思い出せないが、確か。


「もしかして……レイちゃん?」

 思わず俺の記憶の底に残っていた、わずかな残滓ざんしの中の名前、それが「レイちゃん」だった。


「ふふふ。その名前、懐かしいわあ」

 そう呟き、遠くを見つめる彼女。


「最後にあなたに会ったのは、8年前。蒸し暑い夏だったわ」

 彼女の口から、真実が語られる。


 それは、あまりにも「遠い昔」の、懐かしい記憶だった。

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