一. 再会も突然やってくるもの
そんな不思議な彼女と出逢った、翌日。
普通に登校する。
私立天王洲学園。りんかい線と東京モノレールが乗り入れる、この駅にほど近い場所にその学園は立っていた。
天王洲運河と、京浜運河に挟まれた、狭い埋立地。その人工島に位置するこの学校は、それなりに偏差値が高く、進学校でもあった。
俺は長野県の中学を卒業する前から、親元を離れたかったので、その一心だけで勉強し、何とかギリギリでこの学校に合格。
実際、入学してからは、勉強についていけずに、苦労している。
その日の放課後。
帰宅部の俺は、いつものようにホームルームが終わり、さっさと帰ろうと教室を出た。
廊下を歩き、昇降口へ向かう途中。
その廊下で、
「あっ」
という声が聞こえた。
見ると、昨日見た少女が、廊下に立っていた。デジカメを持っており、その画面をチェックしていたようだが、たまたま顔を上げたところに、俺の姿を見つけたらしい。
だが、俺は別に彼女のことを知らない。なんて声をかけたらいいか、わからず素通りしようとしたら。
「ちょっと待って。あなた、昨日、聖蹟公園にいた人でしょ」
彼女の横を通り抜けようとしたら、向こうから声をかけてきた。
見た目通りの、儚げな、心なしか小さな声。だが、ソプラノの音域の、女性らしい高い声だった。
「そうだけど?」
俺は仕方がなく、足を止め、彼女に改めて向き合った。
同じ2年生の教室がある廊下だから、彼女は恐らく同じ2年生だろう。だが、2-Aに所属する俺は、彼女のことは全く知らない。
「やっぱり」
相変わらず無表情に近いが、少しだけホッと安堵したような顔を見せる彼女。
「あなた。歴研に入らない?」
いきなり最初から言ってきたのがその言葉。
「歴研?」
「うん。歴史研究部。私はそこの部員なの」
「ウチの学校にそんな部あったっけ?」
そう呟くと、彼女は小さな溜め息を突いた。
「やっぱり、知名度低いよね。一応、あるんだよ」
「いや、あったとしても何で俺?」
歴史には多少興味があったが、それにしてもいきなりすぎる、と
すると、彼女は、何でもないことのように、躊躇もせずに、真っ直ぐな瞳を向けてきた。
「だって、聖蹟公園にいたってことは、多少歴史に興味あるでしょ?」
彼女の言っていることに間違いはないのかもしれない。
「まあ、なくはないけど」
「じゃあ、入ってよ」
「でも、俺、2年生だよ」
「わかってる。私も2年生」
俺の予想通り、彼女は同学年だったようだ。恐らく見覚えがあったのは、廊下ですれ違っていたからだろう。
だが、少子化の世の中とはいえ、天王洲学園は割と大きな学校で、生徒数もクラス数も多い。気づかなくても不思議はなかった。何しろ、一学年にクラスがA~Gまで7クラスもあり、1クラスが約30~35人、同学年の生徒だけで約250人くらいはいるのだ。
俺は、少しだけ考えた。
(歴史研究部ねえ。正直、部活動にはあまり興味がないんだけど……)
と思いつつ、目の前の少女を見る。
儚げだが、改めて見ると、綺麗な顔立ちをしている。思春期真っ盛りの男子高校生なら、こういう時に、「お近づき」になりたい、と考えるのも無理はなかった。
「とりあえず、案内してくれる? 見学するから」
そう告げると、
「ありがとう」
ほんの少しだけ、表情を崩し、彼女はそう言うと、ついてくるように言った。
廊下から、文化部の部室棟がある場所まで、彼女は少しも口を開かなかった。むしろ気まずい雰囲気が流れる。
しかも、気づいたが、彼女を見て、指を差したり、笑ったり、ひそひそ話をしている生徒が数人いた。
(なんだ? 有名人か? いじめられてるのか?)
もしかすると、そんな不思議な彼女と一緒にいる、俺に周りの連中は驚いているのかもしれない。気まずい沈黙と、どこか奇異の目に晒されながら、部室に着くと。
「歴史研究部」と、小さく書かれたプレートが確かにその部室にはあった。
「入って」
鍵を開け、短く、それだけを言って、彼女は部室に入り、俺は後に続く。
中は、こじんまりとしていた。
本棚があり、何やら難しい文献のような分厚い本が並んでいる。後は、小さな机が一つだけ。椅子はその机の向こう。窓際に1個置かれているだけ。
他には、小さな電気ストーブと、お茶を淹れるセットと、コンセントに差し込まれた電気ポットのみ。
殺風景だった。
まるで「冬のような」寂しさを感じる場所。それが第一印象。
彼女は、脇に畳んであったパイプ椅子を出し、机の反対側に置くと、俺に座るように促し、自身は窓際にある、教室と同じ椅子に腰かけた。
長い黒髪が揺れて、陽光に照らされていた。
「じゃあ、改めて自己紹介。私は2-Gの
「2-Aの
2-Gなら、ウチのクラスからは一番遠い。だから知らなかったのかもしれない。そんなことを思っていると、彼女は全く違う反応を示した。
「圭介? 大鳥圭介と同じ名前ね」
「大鳥圭介? 誰?」
歴史には興味があったが、あくまで授業レベルでしか俺は知らない。それ以外の読み物を多少読んだことはあったが、俺の浅い知識では出てこなかった名前だった。
「幕末の志士よ。知らないの?」
「うん。っていうか、具体的に何をした人?」
しかし、そう聞くと、彼女は少し考え込んでいた。
そして、
「改めて言われると難しいわね。まあ、土方歳三と一緒に戦った人よ。維新後も生き延びて活躍してる」
それだけを口にした。
さすがに土方歳三くらいは知っていた。幕末、新撰組副長として活躍し、そのイケメンっぷりから今も女子を中心に絶大な人気がある。
それからは、この歴史研究部の説明が彼女の口から始まった。
曰く。「フィールドワークを中心とした歴史探索」がメインで、たまに論文を書いて、発表する、と言う。
内心、面倒だとは思ったが、それよりももっと気になることがあった。
「他の部員は?」
すると、彼女の口からは、驚くべき事実が、発せられていた。
「いないよ」
「はあ?」
「だから私だけ」
「いやいや。それ、部として成立してないでしょ」
俺の疑問、というか素っ頓狂な声に彼女は、驚きもせず、
「だから、今は実質的に『同好会』扱いなの」
とだけ口にした。
どうでもいいが、彼女は「口下手」なのか、あまり多くを話してくれない。その分、こちらから聞き出さなくてはならない。
「確か、同好会は3人以上必要なんじゃなかったっけ?」
生徒手帳に書いてあったことを思い出す。
「そう。ちなみに部は最低5人ね。去年までは一応、私を含めて5人いたの。でもみんな3年生だったから、卒業して、今は私1人」
それはさすがに少し「かわいそう」にも思えてきた。と、思っていると、
「だから、今月末までにあと2人入らないと、この同好会も廃部」
相変わらず、最低限の必要事項だけを、ほとんど無表情で述べてくるのが、少し怖く感じた。本当はそんなことになったら、彼女が一番困るはずなのに、そんな素振りも見せないのが、かえって怖い。
俺は、再び黙考する。
「歴史研究部」ですらない、「歴史研究同好会」。3人いなければもうすぐ廃部。
だが、これは逆にチャンスかもしれない。
少し儚げだが、綺麗な部類には入る、この綾小路さんという女性。ここに入れば、少なくとも彼女とはお近づきになれる。
しかも、3人目が入るまでは、この部室で2人っきりだ。
健全な男子高校生なら、そういったシチュエーションに一種の憧れに近いものを抱くし、俺には彼女はいない。というか、いたことがない。
「わかった。入るよ」
長い黙考の後、俺がそっと口に出すと、初めて彼女は、「表情」を見せた。
「ありがとう!」
少しだけ微笑んだその顔は、とても綺麗に見えた。
こうして、俺はひょんなことから、綾小路優里亜ただ1人の「歴史研究同好会」に入ることになったのだが。
後で知ったことだが、廊下での奇異の視線や、ひそひそ話には理由があった。
彼女のあだ名。
それは「幽霊」だった。
幽霊のように白くて、無表情で、怖いから、だろう。
だが、考えてみれば、それはひどい話だし、ちょっとした「いじめ」に近い。
もっとも、目の前の彼女は、そんなこと、全く「意に介していない」ように見えたが。
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