第11話 日熊ちえり

「さあ、もう逃げられないよ。大人しく吐け!」


「刑事ドラマの取り調べかよ……」




 迫りくる日熊さん。身動きが取れなかった僕との距離はどんどん縮まる。


 机を叩く真似をするように、日熊さんは靴箱をドンと叩いた。


 これ、いわゆる壁ドンってやつじゃないですか?普通は男女の立ち位置が逆だと思うけど。


 日熊さんの顔がすぐ近く。耳を澄ませば吐息すら聞こえそうだ。


 女子に迫られるなんて、男子としてはかなり興奮するシチュレーション。


 どういう状況だよ。これ。


 ラブコメ漫画で出てきそうな状況が現実として起こり、僕の頭は一瞬で沸点に達する。


 先程まで感じていた眠気も一気に蒸発。


日熊さんと目が合った。




「!?????」




 十センチか十五センチ程度だろうか。彼女との近しい距離は、僕の緊張を高めるのに十分だった。


 居ても立ってもいられず、僕は慌てて視線をそらした。




「ねえ。早く教えてよ」




 しかし、照れる僕とは対照的に、凛とした態度で、彼女は更に距離を詰めてくる。その声は、先程までの元気を含むものではなく、クールで静かな物だった。だが、僕の耳元で囁かれると、十分な声量であり、鼓膜まではっきりと届く。


 これ以上詰められては、体が接触してしまいそうだ。


 人生十六年とちょっと。その間に女性との交際経験がない僕は、こういった時どうしたらいいのか分からない。ただ、体を硬直させ、固まる事しかできなかった。




「ねぇってば」




 更に近づく日熊さん。かわいい女の子に迫られる事は、男子としては、夢の桃源郷だったのかもしれないが、膨らむ欲求に対し、それを押さえつけようとする僕の理性は崩壊の危機を知らせていた。


 これ以上はまずいって……




「ご、ごめん。日熊さん。また今度……」




 このまま流れに身を任せるべきだったのか。理性と欲求の天秤は、若干理性へと傾き、僕は日熊さんの腕を退かすと、逃げるように昇降口を後にした。


 校門を通り抜けた後も、僕の心拍数は、しばらく以上に早いままだった。




「あの様子だと、やっぱりこういうやり方が有効なんだね……米山清クン」








 その日の夜。自室にて。




「で、日熊さんに迫られたんだけど……」


「へー。良かったじゃん」




 家に帰った僕は布団にくるまって考えていた。もちろん、今日の日熊さんの行動である。


 わざわざ僕が反省文を書くまで待っていて、昇降口であのような理由は何なのか?


 だが、いくら考えていても答えは出ず、心のモヤモヤを抱えたままでは、また今日も不眠症に悩まされそうであった為、部長に電話していた。




「単純に、好意持たれてるんじゃないの?お前」


「そうなのかなぁ」


「だって、好きでもない男に引っ付いたりしないだろ。壁ドンっぽい事もされたんだろ?」


「そうだけど……」


「なら、お前の事好きなんだよ。きっと」




 しかし、日熊さんと初めて話したのは今週に入ってから。異世界行きのワープホールを完成させた次の日だ。確か、部長とドラゴンについて話していた途中で会話に割り込まれた。




「でも、僕日熊さんとそんなに関りないし……」


「つーか、俺にそんな相談されても困るのだが。俺も恋愛経験とかゼロだし、お前以上に日熊の事とか全然しらないし」




 確かに、先日までクラスメイトの名前すら知らなかった人を頼るのは不正解だったかもしれない。人選を間違えた。




「それに、俺日熊の事あんまり好きじゃないから、あいつの話するの嫌いなんだよね」


「へーなんで?」




 『好きの反対は無関心』と言われるように、興味がないなら大した感情を抱いていないと思っていたが、どうやら部長は日熊さんにネガティブな印象を持っているらしい。




「なんか、あいつ見てるとステ……なんだっけ、昨日会った銀髪の騎士の女の子」


「ああ。ステファ―ニャ?」


「あ、それ」




 人の事をそれ呼ばわりするのは、倫理的にどうなのだろうか。




「そのステファ―ニャを思い出してイライラするんだよね。ほら、何となく面影があるじゃん」


「あー。確かに」




 言われてみれば、日熊さんとステファ―ニャの外観は似ていた。同じ銀髪だし、顔の輪郭や整い方も似たような印象を受ける。




「でも、それって日熊さんに対するとばっちりじゃね?顔が似てるだけで嫌いってバッサリ切り捨てるのはいかがなものかと」


「理不尽だと言われればそうなのだが……でも、俺は何となく気に入らない」




 部長はどうしても日熊嫌いを直す気がないらしい。




「まあ、自分の恋愛は自分で解決するんだな」


「そんなーーちょっとは知恵を貸してくれよ。親友だろ?」


「いいか清。世の中には、例え親でも干渉できない、本人にしかどうにかならない問題ってのがあるんだ」


「けど、少しぐらい一緒に悩んでくれてもいいだろ?僕一人で解決できる糸口がないんだ。このままだとまた今夜も考えすぎて眠れなくなるよ」


「知らん。人間睡魔が限界に来たら、自動的に電源が切れるから大丈夫だ」


「そんな事言って、部長はいつも授業中に寝てるじゃねえか。僕が授業中に寝落ちしてもいいのか?」


「別にお前の成績が落ちようが俺は知らん。それに今日は金曜日。明日と明後日は学校ねーだろ」


「あ、そうだった」




 ダメだ。頭が日熊さんの事ばっかりで、他の事が全く考えられなくなっている。曜日や日付ですらまともに覚えられなくなっている。




「俺、そろそろワープホール発生装置の改良作業に戻りたいから通話切っていいか?」


「待て、ワープホール発生装置と言ったな。また手を加えるのか?」


「ああ。これまで以上に探索が安全になるように色々案を考えてな。土日は学校ないし、時間あるから、装置改良でもしようと思ってな」


「って事は明日も学校行くの?」


「いや、週末は家で作業する。下準備を整えて、月曜に部室で本格的な作業をしようと思ってる」




 どうやら、日熊さんの事より、部長は異世界探索の方が大切らしい。電話越しに聞こえてくる声は、先程と比べてもあからさまにワクワクした様子だった。




「って事で、俺は色恋沙汰なんてする暇があったら、異世界探索についてやる事があるんだ。切るぞ」


「お願いだからもう少し相談させろって……あ、切られた」




 スマホの画面には通話終了の文字。


 あいつめ、強制的に切りやがって。


 あおむけになってみる。見知った天井がそこにはある。


 思い返せばこの一週間はハチャメチャだった。部長が真面目に部活をするようになったと思えば、ワープホールが出来て、ドラゴンに襲われて、ブレーカーが落ちて異世界から帰れなくなった事もあった。村を見つけて、騎士に職質。そして、今日は反省文を書かされて、日熊さんに迫られた。


 昼間は普通に授業を受け、夜はこうして毎日自室にて寝られているが、放課後の部活動の時間だけは非日常が満載だ。何度も命の危険にさらされつつも、毎回生還できている。我ながらすごい強運の持ち主だと思う。


 分からない事も沢山出てきた。気になる事も山積みで、日熊さんの件も含め考え出すと止まらなくなる。


 しかし、四十二時間ほど不眠だった僕は徐々に睡魔に襲われ、気が付いたら目蓋を閉じていた。


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