星屑のオーディン

七四季ナコ

第1話 少女、その日運命を背負う。

 この私、御弓令(みたらし れい)が世界征服を成し遂げる上で、最も大きな障害となるのは、王花寧々(おうはな ねね)である事は間違いなかったのだ。


 だがしかし、今やその寧々は薄暗い病室のベッドで、物言わずに横たわっているのである。

 時刻は夜。

 月の明かりが、彼女の長い黒髪の艶やかさと、人形のように白い顔を映し出す。

 閉じられたまぶたは、もし開かれたならば、深い闇のような黒であったはずだ。

 しかし今や、私がいくら覗き込んでも、その瞳は開かれる事はない。

 一週間前から突如として途絶えた寧々の意識は、未だ戻らずにいる。

 私は、僅かな月明かりしかないその病室で、一人ため息をついていた。

 なぜ電気もつけずに、みずからにそんな不便を強ているのかと言うと、今私はこの病室に忍び込んでいるからなのである。

 私が息をひそめるこの部屋の、ドア一歩外には、刑務所の警備にも使われる自走ドローンが配置されている。

 王花寧々は本来ならば面会謝絶。

 ただ、私と違って『なんの変哲も無い女子高生』である彼女に、なぜここまで厳重な警備が敷かれるのか、私にはそれが気がかりだ。

 いや、これは本当に『警備』なのだろうか?

 ひょっとしたら彼女を『禁固』しているのではないか。

 私は心中をはいずり回る、不安の虫をかき落とす。

 何か良くないことが始まる気がする。

「だと言うのに、まったく、呑気な寝顔ね」

 私は、静かに眠る彼女の顔を見下ろして呟く。

 微かに風が吹いて、二人の頬を撫でた。

 開け放たれた窓からは大きな満月が見え、揺れるレースのカーテンが、その輪郭を曖昧にしている。

 私はその月の綺麗さに、ちょっと不安なものを感じた。立ち上がると、窓の方にゆっくりと歩く。

 この深夜の『面会』は彼女が倒れてから、耐える事なく、毎晩ずっと続いていた。

「また来るわ。早くあなたも目を覚ましなさい。じゃないと私、すぐにでも世界を掌握しちゃうんだから」

 答えもしない彼女に言葉を投げかけると、私は窓枠を蹴って夜の闇に飛び出した。

 金色のショートボブが風に揺られて、頬にふわりとあたる。

 ここは大倉山中央病院の七階。普通ならば、地面に叩きつけられてしまうところだ。

 私は遥か眼下の地表を見て口端を釣り上げる。

 宙に舞うつま先の寄る辺ない感覚に、身の毛が逆立ち、思わず唇を舐めた。

 私は恐怖が麻痺している。

 いや、恐怖に取り憑かれている、とは良く言われたものだ。

 だけど何度諭されたとしても、この景色を見下ろした時の愉悦は抑えがたい。

 私は手のひらの大きさに丸く収められた機械--研究者の間では『スピナー』と呼ばれるそれ--を取り出すと、ハンドルに手をかけてスイッチを入れた。

 即座に、六枚の大きなローターが飛び出して回転をはじめる。それは勢いよく私を大空高くに引っ張り上げた。

 空飛ぶ女子高生、御弓令。なんちゃって。

 私は両手に力を込めた。

 何を隠そうこの私だって、筋力の上では標準的な女子高生のそれである。

 片手でスタイリッシュにとは、とてもいかない。

 気がつくと、セーラー服がめくれ上がって、おへそが見えてしまっている。

 でもまぁ、この夜だし。

 あえて、暗い夜空に飛ぶこの私を見上げる人などは、いないだろうさ。

 私は、色とりどりの花火が照らし出す南の空、そこにそびえる巨大な双塔を見つめた。

 この『杜神経済特区』の中央、小高い丘陵となっているそこにはびっしりとビルが立ち並んで、摩天楼に宝石を散りばめている。

 その丘の頂点に立つ塔を照らし出すように、色とりどりの花火が上がっていた。

「お姉様ったら、派手にやっちゃって」

 セレモニー、セレモニー、セレモニー。

 いったい何度騙されたら、他国との同盟なんて、我が国の資源を搾取するための口実だと気がつくのか。

 どいつもこいつもそれに気がつかず、浮かれている。

 この『国』は本当にイカれている、と私は思う。

 私は冷めた瞳で、夜空に咲く火の花を見ながら、滑るように闇を飛んでいく。

 杜神経済特区は、独立してからたった三十三年の歴史しか持たない。

 実質的には世界最強の『国』であったはずなのに、今は我が姉という優柔不断な指導者を得たが故に、他国の都合に踊らされている。

 同盟、裏切られ、破棄。

 同盟、裏切られ、破棄。

 この繰り返し。

 我が姉が王に就任してからの四年間で国際社会に出資した額は米ドルに換算して五百億ドルを裕に超えている。

 さらには共同研究と称して、本来ならば機密扱いの技術を開示させられ、流出を余儀なくされているのだ。

 それでも、また騙されても、姉は外界との繋がりを切り捨てない。

 私にはそれが理解できなかった。

 この国の所有する軍事力、経済資源、技術資源があれば、外界など切り落としても十分生きていく事は可能であるはずなのに。

 全てを司る『神』を我々は所有しているのだから。

 私は風を感じながら、もう一度、丘の上の二本の巨塔に目をやった。

 街のライトに煌々と照らされながら、天の雲を貫いている。

 アレは『脚』だ。

 その上半身は地中に埋もれている。

 三十五年前にこの地に堕ちてきた巨大な人型ロボット。

 誰が呼んだかその名を『オーディン』。

 オーディン内部から発掘される人類の想像を超えた技術と資源は、この杜神経済特区の生命線と言ってもいい。

 どこからきたのかもわからない。

 何のためにきたのかもわからない。

 ただ、その日。

 オーディンは突如として虚空から現れ、杜神経済特区--その当時は東神奈川と言ったらしいが--の大地を穿ち、私たちの住まうこの巨大なクレーターを形作ったのだ。

 国際社会から見放されて10年。立ち入り禁止となっていたこのクレーターの中では、外の人間の見知らぬところで、オーディンの超技術を使ってとんでもないスピードで復興と建国が行われた。

「おっとっと。よっと。」

 私はこの街の守り神でもあるオーディンの脚に、半ば見惚れながら危うげに着地した。

 ローファーの裏に硬いアスファルトの感触を認めると、勢い余って二、三歩とよろめく。

 セーラー服のプリーツスカートが揺れた。

 『スピナー』は私の操作で簡単にそのローターを収納する。これとて、オーディンの内部探索で得られた超技術の結晶だ。

 と言っても、本来はそんじょそこらの女子高生が持ってて良い代物でもない。という事を思い出して、私は一応、周囲を見渡した。

 着地したのはポツポツとランプの灯る、暖かい路地だったが、私の他には人影は見当たらない。

 安堵の息を吐きながら、改めて天を仰いだ。

 オーディンの姿はもう高い建物に阻まれて、見えなくなっている。

 いいさ、神よ。

 今はいくらでも隠れるが良い。

 『我が姉』を襲名したら、私はそれこそお前の上に住んでやるんだから。

 私は唇を結んで負け惜しみを飲み込んだ。

 姉と私は、訳あって別居している。

 有りていに言って絶縁していると言ってもいい。もちろん、私の方から、だ。

 前王である父の死後はどうにも話す気になれなくて、こうして距離を置いた結果、臆病な姉からはA級以上の中央区画--セントラル--への立ち入りを制限されている。

 平々凡々たる我が姉は恐れているのだ。鬼子と呼ばれ持てはやされる、御弓家きってのこの天才、御弓令の事を。

 私は歩みを進めながら、ポケットに冷えた手を差し込んで温める。空を飛んでいたのだから当然だが、夜風に頬も指先も冷え切っていた。

 私は遠くの景色に思いを巡らすのをやめて、目の前の小さな家屋・・・・・・正確には古ぼけた喫茶店を見つめた。

 ここが今の私のセーフハウスというわけだ。

 私は金色というにはあまりにくすんだ色の、くたびれた取っ手を引いて、その小さなドアを開けた。

「ただいま帰りましたよ、マスター」

 ドアを開けると灯りが漏れたので、私は咄嗟に挨拶をした。カウンターには中年の男。

 もちろん彼は私の『主人(マスター)』なんかではない。単なる喫茶店のマスターだ。

 私は彼の名前を呼ぶのも煩わしいから、こうやってマスターと読んでいるのである。

 その男は私の姿を認めると、タバコの火を消しながらノート型のパソコンを閉じる。

 年は三十二歳と言ったか。伸びた頭髪は一見ボサボサに見えるが、どうやらなんらかのこだわりを持ってワックスで整形されているらしく、清潔さは保たれている。

 目にはクマができ、人を疑う者に特有のギョロリとした視線をこちらに向けた。

 だが、それに反して口元は油断を誘うように、にへらと緩んで笑いかける。

「あれ、令ちゃんじゃないの。まだ出かけてたんだね。今日もご苦労様ですわ」

 白々しい物言いに、私はついついプイと顔を背けてしまった。

「別に、待っている必要もありませんのに」

 彼はバツが悪そうに頭をかく。

「いや、なんか待ち構えてた感じになっちゃったのは申し訳ないけどね。でも年頃の娘さんが深夜二時まで帰らないんだもの、そりゃ心配にもなるさ。大人としてね」

 彼はボヤきながらも、こちらを見ずにガチャガチャとカウンターの上を片付ける。

 この男がもし『お姉さんから君を預かってる身としては心配にもなるさ』だなんて言った日には、すぐにでもここを飛び出してやるところだが、それを言い出した事がないのはこの男の評価できるところだ。

 しかし、そもそも姉の友人であるこの男が、要はていのいい監視役である事は明らかなのである。本来ならば逃げ出してしまいたいぐらいだが。

「迷惑をかける気はありませんよ」

 彼を放り置いて、私はツカツカと歩みを二階への階段に進めた。それをマスターの声が呼び止める。

「まぁまぁ、大人みたいな事を言いなさんな。ホットミルクぐらい飲んでったらどうだい? 3月とはいえ夜はまだ寒いからな」

 私は、自分の身体が冷え切っている事を急に思い出した。それを気遣ってくれた彼の言葉に不意に頬が緩む。

 逃げ出してしまいたいところだが・・・・・・この調子でどうにも飄々とほだされてしまって、この家を飛び出す機会を失ってしまい、今に至るわけである。

 私はゆっくり踵を返すと、上目遣いで頬を緩めた。

「良いんです? お店のミルク、良いものなのでしょう?」

「あーまぁ。近々に賞味期限だったし」

「あ、そうですか」

 私はちょっとだけ輝いてしまった瞳を細めながら、カウンターに座った。マスターは慣れた手つきでミルクを温めていく。

 黒いパンツに紺色のベストを着込み、その下に覗くのは縦縞の清潔なシャツ。

 エプロンこそ今はしていないが、この男、十六時の閉店からずっとこのナリだったのだろうか。

「お腹は空いてないか?」

 それはさておき、この問いは卑怯である。

「この時間の女子高生に夜食を薦めるとは、まるで拷問官の如き所業ですね」

 私は頬をピクつかせながら自分の腹部に手を当てる。もちろん、空いていないわけがない。彼の情け容赦のない仕打ちに呆れながらも、私は自分との葛藤に打ち勝った。

「いや、今夜はもう寝るので遠慮しておきます」

「そう? ちょうど今度店で出そうかと思ってるアボカドトーストの試作品、ここにあるんだけど・・・・・・残念だね」

 そう言って取り出した皿には、ほんのりとした温かさを感じさせるトースト。その上には、色鮮やかな緑のアボカドとスクランブルエッグ。かけられたマヨネーズが輝いて、一層食欲を掻き立てる。

 一体いつの間に。

「いえ、いえ、ごめんなさい! あぁ、もう!食べるから! くださいな!」

 私はジタバタと、カウンターの下で足をばたつかせながら悔しがった。またしてもやられた、と顔を赤くしながらも、マスターからそのお皿を受け取る。

(あぁ、でもあったかい食事って久しぶりかも)

 私は一口それを頬張りながら、思いを巡らせた。

 今思えば、寧々が倒れて意識を失ってからと言うもの、ろくにまともな食事をとっていない。学校でも固形食をかじるだけだし。

 とろけるアボガドの食感を、塩気の効いたスクランブルエッグのバターの香りが包み込む。なんとも言えない美味しさが口の中に広がっていた。

「育ち盛りなんだから。友達が心配なのはわかるけどちゃんと食べないと」

 マスターはその陰気な顔にふふっと笑いを漏らす。彼はフライパンを適当に洗い終わると、すぐに二階に登ろうとカウンターの奥にある階段に足をかけた。しかし思い出したかのように、ひょっこりと顔を出す。

「食器、流しに置いといてくれれば良いから」

 私を一人にしようというのは、彼なりの気遣いなのだろう。確かに、年頃の女子高生というものは我ながら扱いづらいものだ。

 私は頬張ったトーストを急いで喉に押し込んだ。

「待ちなさいよ。話し相手くらい、なっても良いんじゃないです?」

 我ながら、自分の心というのも、実に扱いづらいものなのである。

 「はいはい」と、彼はため息をつきながら私の後ろを通って、カウンターの向こうへ回ろうとした。

 その時だった。

「あれ、令ちゃん? 背中になんかついて--」

 マスターの声が背後から聞こえてきたが、その言葉は最後まで言いきらないままに途切れた。

 破裂音が店の中に響き渡り、走る衝撃と共に天井の照明が割れたからである。

 あっという間に店内は暗闇に包まれた。

「なんだこれ?」

「きゃっ!」

 私も思わず立ち上がって悲鳴を上がる。

 さらに爆発のような空気の膨張が巻き起こって、マスターを吹き飛ばし、窓際のテーブルに打ちつけた。

「マスター! 大丈夫?」

 不思議と私自身に怪我はない。

 いや、そうか、と私は気がついた。

 全ての現象が私を中心に起こっている。

 私の身体そのものが、この事態を引き起こしているのだ。

 ヒュン!

 何かが通り過ぎる風の音が耳元をかすめた。私が見渡すと、何やら黒い影が室内を高速で飛び回っている。

 窓の外からは月明かりが差し込み、チラチラと謎の浮遊体を照らしだす。

 滑らかな銀色のボディ。

 私はその不気味な異物感に冷や汗をかいた。

 しかし、実は未だ満たされないお腹のままの私は、ちょうどピザMサイズくらいかと、どうでもいい大きさの換算をしてしまう。

「何かいるよ、マスター」

「いや、いるも何も、令ちゃん」

 そのあとマスターの口から放たれた言葉に、私は耳を疑った。

「アレは君の背中から出てきた。背中に、なんか、穴あるよ?」

 言いにくそうに、目を逸らしながら。

 彼はそう告げると、室内を飛び回るその謎の黒い影を警戒しながら、スマートフォンを取り出した。

 パシャリと一枚、乙女の背中を撮る。

「ほら、なんていうか、その、ブラックホール?」

 彼が何を言っているかわからないまま、私はその画面をのぞき込む。

 そして目を見開いた。

 私の背中、真白いセーラー服の生地にプリントされたかのようにくっきりと、黒い渦巻き--まさに小さなブラックホールのような--がへばりついていたのだ。

 「なにこれ!」などと言葉をこぼす暇も与えずに、次の事件は起こった。

 背後からガチャリという音。

 それと共にクレーンのような、カーキ色の機械のアームが蠢いているのである。その腕の大きさはマスターの身長くらいはゆうにあるだろう。

 巨大な重機の腕。

 一体どこから!

「ひぃぇぇぇ!」

 流石にたまらず悲鳴を上げる。

 この私、御弓令は世界征服を夢見る身だが、それでも怖いものは怖いのだ! 

 なんとも情けない声を出しながら、私は腰を抜かして地面を這いつくばった。

 しかし驚くべきことに気がつく。

 いくら這いつくばって逃げても、無駄だということ。

 そう、この腕は『私の背中の穴から伸びている』ということだ。

 機械の腕は何かを探すかのように周囲をバタバタとのたうち回り、恐ろしい力で手当たり次第にカウンターやら椅子やらを破壊していく。

「きゃぁぁぁ」

 悲鳴を上げて涙目で見上げると、マスターは冷や汗を流しながら壁際で身構えている。部屋の中を飛び回る黒い影と、背中から機械の腕が生えた私に、交互に視線を動かしていた

 この異常事態も少し飲み込めてくると、途端に背中から異物が生えている羞恥心が生まれてくる。

「見ないでよ、わ、私は珍獣か! 助けなさいよ!」

「いや、そうしたいのは山々なんだけど、ちょっとばかりハードル高すぎない、令ちゃん?」

 二人の声に反応したかのように、部屋を飛び回る影がピクリと反応し、こちらに向かってくる。

 窓辺を通り過ぎた刹那に、月の光がその全体像を露わにする。キラリと光る金属のボディに、高速回転するプロペラが5つ。これは飛行ドローンだ! 

 そのメインカメラの下に見えるものは、黒い筒。

 もしかして、アレは・・・・・・

 私が認識するのとほぼ同時に。


 瞬間、発砲音。

 撃った?

 この平和な杜神経済特区で、発砲?


 私が唖然とする中で、その銃撃を遮ったのはカーキ色の機械の腕--私の背中から生えるそれ--であった。

 すっぽりと私を抱きかかえるように、この背中から伸びた一本の腕が、正面へと回っている。

 その時私は気がついた。

 弾丸をいともたやすく弾いた、その腕側面の板はまごうことなき『装甲板』である。

 この機械、軍事用(ミリタリー)だ!

 背中から機械音声が、すかさず私に告げる。

『ピピ・・・・・・エラー207835です。タイムゲートから、メインボディの七十八%が通り抜けできません。タイムゲートを仮設固定します』

 何を言っているのか、私には理解できなかった。

 一つだけ気になった単語が耳に残る。

 タイムゲート。

 このロボット--のような腕--は未来から来たとでも言うのか。

『ピピ・・・・・・目標識別。タイムシフト中ですが、並行して任務シークエンスに移行。このまま排除します』

 言うが否か、その腕は即座に変形した。

 ハサミ状の指が開くと、そこには四本の銃口。それはすぐさま回転を始める。

「ダメよ! こんなところで撃たないで! マスターのお店がめちゃくちゃになっちゃうでしょ!」

 咄嗟に私はロボットを怒鳴りつける。

 こういう時は、舐められたら負けだ。

 たとえ相手がロボットであったとしても、いや、ロボットだからこそ、人間の言うことには従順であるべきなのである。

 私の声を聞き届けたのか、腕のガトリングはキュルル、と力ない音を立てて回転を止めた。

『承知しました。ではマスター、どうか私に射撃の許可を』

 意外な言葉に私は隣を見やると、『喫茶店のマスター』と目を合わせた。

 こんがらがってくる頭に鞭を打って、怪訝な顔をする彼に声をかける。

「だそうよ、マスター! 射撃の許可を出してやる?」

「いや、この場合のマスターは『主人』の事で、やっぱり令ちゃんなんじゃないか?」

 引き攣った顔で彼はそう返す。

 そうこうしているうちに、飛行するドローンはそそくさとドアの方へと飛んでいく。それを見て私は咄嗟に声を上げた。

「逃げるわよ! ゴム弾とかないの?」

『承知しました。徹甲弾から暴徒鎮圧用のクゥエル弾に切り替え。掃射、開始』

 モーターが唸りを上げると、束ねられた四本のバレルが高速回転。

 耳をつんざく電気ノコギリのような発砲音。

 さもありなん。

 その次の瞬間には一面の壁が崩壊していた。

 私とマスターは、口をあんぐりと開けて、あっという間のその出来事に半ば呆れ返ってしまう。

 まぁ、当然と言えば当然か。言ってはなんだが古い建屋だ。あの弾が本当に非殺傷性なのかどうかは疑問が残るが、それでも嵐のような銃撃に耐えられる道理はなかったのだ。

『やられました。部屋の光量不足による目測見誤りが原因です』

 見るとその飛行ドローンは、なんと健在である。

「マスターがなけなしの私邸を犠牲にしたのに!」

「いや、俺は撃っていいなんて、一言も言ってないけどね・・・・・・」

 それにしたって、傷の一つすらついていないなんて。

 不意に机の影から黒い影が飛び出した。

 もう一機のドローン?

 それは咄嗟に肉薄して、発砲。

 火花を散らしながら装甲板でもう一度それを防ぐ、カーキ色の腕。ロボットの電子音声はさも悔しそうに言葉をこぼした。

『光学デコイです。赤外線スキャンに頼っているのを利用されました。私はとても悲しい』

 見ると、ドア付近でフラフラと漂うドローンは、もう一機から伸びる光に照らされて・・・・・・いや、映し出されている。あれは高度な3Dプロジェクターだ。

「幻だったってわけか」

 私は臆する事なくロボットに命令を下した。

「もう一度よ! こうなったら店を破壊し尽くすまでやめないわ!」

「いや、令ちゃん趣旨変わってない?」

『いえ、事態は遅きに失しました。私の失態です。申し訳ありません』

 二人の会話に割り込むように、自分の非をあっさりと認めながらロボットの腕はうなだれた。

 注視する視線の先では、破壊された壁一面の大穴からドローンが外へと飛び立っていく。

 しまった。最初からこれが狙いだったのか。

 私は壁に走り寄る。

 月にひかれるように、黒い飛翔体が夜空に舞い上がっていく。私の背中のロボットはまたも悔しそうである。

『学習されてしまったようです。今の私は片腕しか任務に供することができませんから、攻撃か、防御。どちらか一動作しかできない事を把握したのでしょう。隙をつかれました。面目次第もございません』

 マスターは私の隣まで歩みを進める。

 店の中と、大穴から見える月を交互に見て大きなため息をついた。

「よくわかんないけど、追った方が良さそうだな?」

 そう言ってバイクのキーを取り出した。

 あぁ、うん。と、私は迷いながらも首を縦に振る。

 このロボットの慌てようから察するに、状況は急を要するのかもしれない。

 詳しい事情は移動しながらでも聞けるはずだ。

「でも大丈夫かしら? バイク、3人乗りになっちゃわない?」

 私は月を見ながら眉をひそめる。





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