12.冷めてしまったミントティー

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いつの間にか、激しく唇を求め合うふたり。

でも、天使像のこと、これからのことをどうする?


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 ダレルは熱い思いに駆り立てられて、クロエの背中に腕を回した。つややかな長い髪をそっと撫でながら、温かく湿った唇を味わう。

 クロエが唇を開き、熱い吐息を漏らして、ダレルの首に両腕を巻きつけた。ダレルの心臓が高鳴った。乱暴すぎはしないが有無を言わせない力で、カウチの上に押し倒す。

 さらに激しく唇を押しつけると、クロエもそれに応えた。薄いタンクトップに覆われたふたつのふくらみの一方に手を触れる。ぎゅっとすぼまった先端を感じた。ダレルは唇のあいだに舌を差し入れ、濃密なキスをしながら、クロエの胸を撫でさすった。それからタンクトップの下に手のひらをすべり入れ、温かな素肌を上へとたどって、下着に覆われた豊かな乳房を包み込んだ。

「あっ……」クロエが小さなあえぎ声をあげて、両腕を投げ出し、身をよじった。

 かたん。

 クロエの腕が、サイドテーブルに置かれた何かに当たった。

 ダレルははっとして、テーブルのほうを見た。クロエもひじをついて身を起こし、そちらへ顔を向けた。時計のわきに置かれた天使像が倒れていた。

 ダレルはようやく我に返った。いったいぼくは何をしているんだ?

「すまない……」ダレルはカウチに座り直し、クロエの手を取って、そっと助け起こした。クロエは頬を美しく上気させ、潤んだ褐色の瞳に戸惑いの色を浮かべていた。それからまつ毛を伏せて、さっと立ち上がった。

 天使像をサイドテーブルにきちんと置き直してから、クロエが言った。「わ、わたしお茶でもいれるわね」そそくさと隅にある小さなキッチンのほうへ向かう。

 ダレルはカウチに座ったままじっと考え込んだ。

 いったいぼくはどうしてしまったのだろう? クロエのそばにいると、自分を抑えられなくなる。体が熱くなるのと同時に、胸にいとしさが込み上げてくるのだ。これまでひとりの女性に対して、こんな気持ちをいだいたことがあっただろうか? 少なくとも、恋愛のせいで仕事に支障をきたしたことは一度もない。いつだって仕事を最優先にしてきたし、これまでつき合った女性たちも、それを承知していた。そのせいか、長続きする関係はほとんどなかったが……。

 今回のことは仕事ではないけれど、手順はいつもと同じだ。ぼくの目的は、天使像を手に入れること。そのために、持ち主の女性と親しくなろうとした。それだけだったはずなのに。

 いったいどうしたいんだ? 〝永遠の時をいだく天使〟といっしょにクロエもアメリカに連れていく? まさか! そんなことはできるわけがない。出会ってまだ一週間足らずだ。頭がおかしくなったのか? 彼女には妹がいる。店もある。この美しい島を離れてぼくについてこいと言ったところで、うんと言うはずがない。

 そうだ。まずは天使像を買い取って、クロエの生活を助けよう。そして、必要ならまた戻ってくればいい。今できるのはそれだけだ。

 ダレルは決心して、カウチの上で姿勢を正し、天使像をじっと見つめた。


 クロエはやかんを火にかけ、耐熱グラスをふたつ用意した。冷蔵庫から新鮮なミントの葉を出し、ちぎってグラスに入れる。

 ミントティーをいれる作業に集中しようとしたけれど、どうしても先ほどの記憶がよみがえってきた。ダレルの唇。なめらかで巧みな舌の動き。たくましい腕。そして左胸のふくらみに感じた温かい手。

 背中に電気が走ったような気がして、体の芯がぎゅっと縮まった。男性に触れられて、こんな感覚を味わうのは初めてだった。ふわふわと浮いているみたいで、足もとがおぼつかない。

 ふと気づくと、ミントの葉を握り締めたままぼんやりしていた。やかんのお湯が沸騰して、蒸気が立ちのぼっている。クロエはあわてて火を止め、ふたつのグラスに湯を注いだ。トレーにのせて、リビングに運ぶ。ダレルはカウチに座ったまま、〝永遠の時をいだく天使〟をじっと見つめていた。整った横顔。頬の赤い傷さえ、そのりりしさをますます際立たせているように思えた。

「どうぞ。熱いから気をつけてね」クロエが声をかけると、さっとこちらを振り向いた。

「あ、ありがとう」ダレルはなぜかあわてたようなそぶりで、トレーからミントティーのグラスをひとつ取った。

 クロエは横に座って、自分もグラスを手にした。湯気が立ちのぼり、すがすがしくさわやかな香りが広がる。

「クロエ」ダレルがミントティーをひと口飲んでから、真剣なまなざしを向けた。クロエの心臓がどきどきと高鳴った。

「〝永遠の時をいだく天使〟を三百万ドルでぼくに売ってくれ」ダレルが今までになく強い口調で言った。「そうすれば、きみたちの生活は楽になるよ。リッツァはどこでも希望どおりの大学に進学できる。きみだって、苦労せずにすむ。今から大学に通ったって、ちっとも遅くは――」

 クロエはむっとして、ダレルの言葉をさえぎった。「なんの話? 大学へ通いたいなんて、わたしがいつ言ったの?」

「本格的なデザインの勉強ができるじゃないか。きみには才能がある。プロのデザイナーになれるまで、あと一歩のところまで来ている」

「またわたしのデザインについて、あなたが口を出すの? わたしにはわたしのやりかたがあるって言ったわよね? 学校へ行かなくたって、勉強はできるわ。わたしは働くのが好きなのよ。苦労だなんて思っていない。言ったでしょう、母から受け継いだこの店を誇りに思ってるって」

「店は続ければいいさ。でもお金があるに越したことはないだろう」

 ダレルの言いかたに、なぜかクロエは無性に腹が立った。

 お金、お金って。この人はやっぱり実業家なのだ。お金のことをいちばんに考えている。わたしとは住む世界がちがう――。

「お金より、わたしにとっては母の形見のほうがずっと大切よ。それに、今の生活を心から愛してるわ。あなたには、みじめな生活に見えるでしょうけど」

 ダレルがはっとしてから、眉根を寄せた。「そんなことは言っていない」

 クロエはカウチから立ち上がった。「〝永遠の時をいだく天使〟は売りません。もう帰って」

 ダレルも立ち上がった。「誤解させたのなら謝るよ。たしかにぼくは天使像が欲しい。でも、きみの将来についても真剣に考えて――」

「わたしの将来について、あなたに考えてもらう必要はないわ」クロエはくるりと背を向けた。「もう天使像のことも、わたしのことも忘れて。そもそも、あなたが来なければ、こんな騒動は起こらなかったのよ。わたしは今までどおり、静かに島で暮らしたい。大金も欲しくないわ」

「クロエ……」こわばった肩に、ダレルが手を触れた。

 クロエはその手を振りほどいて、きっぱりと言った。「帰ってください」

 ダレルが手を下ろして、ぎゅっと唇を結んだ。しばらく考え込むように間をあけてから、低い声で言う。「わかった。今夜はもう帰るよ。またあした来る」

 クロエは何も答えず、ダレルに背中を向けて立っていた。

 静かにドアが閉まり、階段を下りていく足音がした。


 クロエは、冷めてしまったミントティーのグラスを片づけてから、カウチに座った。サイドテーブルに置かれた天使像を手に取る。夢見るような柔らかい表情。優しい微笑み。淡いピンクの頬と、ふんわりした金色の巻き毛。輝く白い翼が、温かそうに背中を包んでいる。眺めていると、乱れた心がすうっと落ち着いてくるような気がした。

 〝いつの日か、失われた半身が現れ、止まった時が動き出すとともに、永遠の幸福が約束されるでしょう〟

 永遠の幸福。

 ダレル。

 もしかして、ダレルはわたしの運命の人? もしも、もしも彼と結ばれれば、宝物はひとつになり、わたしもリッツァも裕福になれる……。

 クロエは激しく首を振った。

 いいえ! そんな虫のいいことを考えるなんて、ばかみたい。あの人の目的は、あくまで天使像を買い取ることなのよ。わたしに近づいたのは、宝物の持ち主だから。ただそれだけ。

 天使像をそっと撫でた。ここちよくなめらかな手触りに慰められる。

「あなたには、卵の形をしたすてきなおうちがあるんですって」小声で話しかけた。

 そういえば、その〝卵〟はどこにあるのだろう。ダレルは現物を見せてくれたわけではない。たしかに、二百万ドルの宝物なのだから、気軽に島まで運んではこられないだろうけど……。

 ほんとうに〝卵〟があるという証拠は? 天使像を手に入れるためのダレルの作り話かもしれない。だけど、曾祖母の恋のエピソードは、嘘とは思えなかった……。

 もう、何を信じればいいのかわからない。頭は混乱し、胸は張り裂けそうだった。

 こんな思いはもうたくさん。わたしには、島での平穏な生活がいちばん性に合っているのよ。ようやくリッツァも進学する気になってくれたことだし、これからも地道にふたりでがんばっていこう。あの人のことは、もう忘れよう。

 そう決心したとたん、きょうまでのさまざまな出来事がどっとよみがえってきた。出会った瞬間から、わたしの心を強く惹きつけたダレル。顔を合わせるたびに、触れられるたびに、胸が苦しいほどときめいた。まるで夢のなかで過ごしているような日々。

 でももう、それもおしまい。夢はいつかさめるもの。

 頬にひとすじ流れた涙をぬぐい、クロエは天使像を元の場所に戻すために、鍵を持って階下に向かった。

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