3.彼女の嘘と、嘘ではないお菓子と

3-1



 せいさんかいの翌日、アイリはギルハルトの私室に案内されていた。

 しきの三つ目、『ブラッシング』を行うためだ。

 本来であれば、王の親族、側近中の側近以外が立ち入ることの許されないプライベートルームは、王のためのくつろぎの空間だ。アイリがエーファからがおわたされた最高級のししブラシを片手に所在なくしていると──。

「こんなところにって、何をしている?」

 おくれて部屋に入ってきたギルハルトが、声をかけてきた。

「ほら、座れ」

 儀式を記した巻紙によれば、その内容は『こんやくしゃ候補は王または王太子をひざまくらしてかみかす』と説明している。

 気高い狼神は、やすやすとただびとに対して自分の身をゆだねたりはしないという。

 髪を梳かさせるほど親密なふれあいを許すのは、最上のしんらいを示す相手であり、それを証明するための儀式だというが……ちら、とアイリは王の姿を横目でかくにんする。美しく整ったぎんぱつは、どう見てもブラッシングの必要なんてない。それに──。

「どうした、何か不都合でもあるのか」

「そういうわけでは、ないんですが」

 まさか、会った初日からどうきんまくらにされておいて、いまさら自分のひざうるわしのぎんろうへいの頭を乗せるのがずかしい、なんて言いだせないアイリは、次のしゅんかん、小さく悲鳴を上げていた。

「きゃああっ!?」

 ギルハルトのうでにおもむろに抱き上げられ、強制的にソファに座らされたのだ。

 大人がゆうに五人は座れそうなやわらかなソファは、すばらしく座りごこがいい。そしてギルハルトもアイリのとなりにボスッと座ると、しゅんじゅんちゅうちょもなく膝に頭をせてきた。

「『儀式』なんてふざけた茶番だと思っていたが、貴重なおうだ。こうして密着していられるなら、まあ悪くない」

 見上げるひとみがほほえんで、アイリは内心あわてていた。どうしてだろう、正餐からこっち、この目に見つめられると胸が苦しくなってげたくなるようなしょうどうにかられてしまう。

 と、ギルハルトは、ふう、と息をつき、体から力をいてくつろいでみせる。彼は、つかれた顔をしているように見受けられた。そういえばサイラスが言っていた。

『陛下は大変にぼうです。儀式は一日にひとつが限度ですので、よしなに』

 ──私、身代わりなのに、王の貴重な時間をうばっている……!?

 胸の〝ドキドキ〟が、申し訳なさと罪悪感の〝チクチク〟に変わる。

 しかし、それでも、はくしゃくの存続のために役割を果たすためだと罪悪感をねじせ、アイリは柔らかそうな彼の髪にブラシを当てた。

「失礼します」

 れいな銀髪は、窓から入る陽光にきらめいている。

 無防備にさらされたギルハルトの左ほおあごにかけて美しいラインをえがき、閉じた瞳をふちる銀色のまつ毛は長く、その横顔はせいな人形のようで……。

 思わずっていたアイリに対して、とつじょ、ギルハルトが声をかけてきた。

「おまえには、姉がいたな」

「……あね?」

 油断していたアイリはきょとんとし、額に落ちる前髪にかくれた王のまなざしがするどくなったことに気づかない。

「おまえには姉と弟がいると経歴書に記していたが、ちがったか」

「あ、ああ……アイリ・ベルンシュタインのことでしょうか」

「姉であろう? にんぎょうな物言いだな」

「えっと……アイリは、私の実の姉ではなく、養女でして、本来はイトコなんです」

「ほう。では、その『アイリ』とやらは、どのような人物だ」

 アイリ・ベルンシュタインとは──つまり自分とは、どんな人間か? 考えたこともない問いを受けて答えあぐねるも、しんに思われたくなくてなんとか言葉をつむいだ。

「……姉は…………私とは、似ていません」

「どんなふうに似ていない?」

「…………、地味な人、だと思います」

 何もおもかばずに、結局、からの評価を伝える。

 実際、噓というわけでもない。はなやかなクリスティーナは社交的で、行動的だ。行動的すぎるきらいはあるものの、自分をりょく的に見せるすべを心得ている。

 妹は、殿とのがたとの接し方、初対面の殿方ともすぐに仲良くなるテクニック、自分に似合う服装やしょうなど自分のせ方をよく知る一方、地味で手のかかる作業は不得手だった。

 そこで、はなよめしゅぎょうの家庭教師への提出物は、すべてがアイリに押し付けられてきた。

 多額の謝礼をはらってさまざまなれいじょう教育の家庭教師がついていた妹に対し、アイリは門前のぞうよろしくそばで授業を見ていただけであるが──伯爵家での仕事に加えて、毎晩夜なべしたものだ。

 しゅうをしてやり、詩を書いてやり、王国の歴史や古典作品を読んで要点だけをかいつまんで教えてやり、貴族同士の茶会に招かれれば、代わりに焼きを作って持たせ、茶を代わりにいれてやり……。

 ちなみに、ルプス国の貴族女性同士では、茶会でたがいにお菓子を供し合うのがマナーである。

 立ち回りがうまい妹は、かげで姉に押し付けている地味なそれらを自分のがらに見せるのがうまかった。ベルンシュタイン伯爵夫妻は、愛娘まなむすめがそんなことをしているとは毛の先ほども疑わない。

『クリスティーナは、かんぺきなレディだ! 我が家のほこりだ!』と信じきっていた。

「……姉は、要領が悪いようでして……」

 そんなアイリはといえば、妹の行いに特に反感は覚えなかった。

 自分は長女であるし、妹のめんどうを見てやるのは当然だと思ってきた。伯爵家に生まれたのだから、伯爵家のために働くのが当然であるとも教えられて育ったのだ。

 当然、そんな実情など口に出していないが、ギルハルトは大きくうなずいた。

「なるほど。姉のアイリは、『社交界好きのクリスティーナ・ベルンシュタイン』とは似ても似つかない。アクセサリーなどろくろく持っていないような?」

「……え?」

、姉は社交界には出ないタイプなのだろう?」

 ギルハルトのてきを受け、アイリの背筋に冷たいものが走った。

 昨日、『アクセサリーをだんつけ慣れない』と口走ってしまった。あれは、もしかして──失言だった? 疑念とこうかいへの動揺で無言になったアイリに対して、こだわるでもとがめるでもなく、ギルハルトは話を続けた。

「まあ、そういったことをあくしているのは、サイラスなんだがな。あれは王城内だけでなく、王都中で起きることはおおむね把握しているんだ」

「王都中、だなんて」

 そんな、まさか……。王都は広大で、しんえんだ。にぎわしい表通りならばともかく、きゅうていじんぶっそうな裏通りまでを把握しているなんて、とても信じられるものではない。が──ギルハルトの顔色を見る限り、どうやらうそではないらしい。

「陛下は……どうして、姉のことなど、お知りになりたいのです?」

「俺は今、俺のきさききょうしんしんなんだよ。だから、妃の家族についても知りたくてたまらんのだ」

 ギルハルトの手がすいと動いた。

 彼の長い指がアイリのきんぱつを巻き取り、甘いしぐさでもてあそぶ。

 ただでさえ青くなっていたというのに、今度は赤くならざるを得ず、やはりこの王の前では感情がいそがしい。

 ──いっそ、この場で謝ることができたら、どれだけ楽かしら……。

 罪悪感にくっしそうになる心をぎりぎりで持ちこたえさせるものは、家を守らねばならないという義務感だけ。

「ん? どうした、いとしいひと」

 必死に言い訳をひねり出そうとするアイリに向かって、ギルハルトはゆうぜんとほほえみを浮かべる。彼のくちびるがアイリの髪のひとふさに口づけた。

 からかわれている? ためされている? あたかもにくしょくじゅうにもて遊ばれるネズミのような気持ちで、ぐるんぐるんと眩暈めまいおそいくる。

 まだだ、まだ終わっていない。あきらめたらそこですべてが終わってしまう。

 王のしつの時間までだ。それまで時間をかせぎさえすれば、この場をのがれられる!

「わ、わ、私のことよりも、私は、陛下のことをうかがいたいですっ」

「俺?」

「はい! じ、実は、私も、私のだん様に興味津々、なんですよ!」

 誰がどう聞いてもわかるような苦しい話題のすりえに、ぱちぱちまばたいたギルハルトは、日差しがまぶしい時にするようなしぐさで、大きなてのひらで自らの顔をおおってしまった。心なしか、首筋が赤らんでいるような──。

 ──もしかして、照れていらっしゃる……!?

 自分なんかに興味を持たれて照れる殿方がいるなんて、いつものアイリであれば考えもつかないが、今はとにかく時間を稼ぎたい。わらをもつかむ思いでたたみかけた。

「私、陛下のこと、もっともっとたくさん知りたいんですっ。お願いします、いろんなことを教えてください!」

 ギルハルトはうわづかいでアイリを見上げると、「俺のこと……」と、口の中でつぶやいてから何やらしばし考える。ふい、と視線をらして問うた。

「おまえ、俺のオオカミ耳を見て……どう、思った?」

 自分の正体をあらためるわなかといっしゅん疑うアイリだが、そもそも大噓をついて相手をあざむいているのはこちらのほうだ。だから、せめて他のことでは噓をつきたくない。

 ギルハルトのふかふかなけもみみを見たあの瞬間、どう思ったか。

おどろき、ました」

「ああ、確かにそんな顔をしていたな。しかし……驚いたのなら、どうしてあの時に逃げなかったんだ」

「え……?」

「俺は気が立っていた。戦うすべを持たないおまえには、さぞおそろしかっただろう。おまえにとって、俺との婚約は子どもの頃から決まっていた、いわば役目だ。それでも命には代えられまい? 俺は『うせろ』と警告もしたはずだ。だが、おまえは逃げなかった。それはなぜだ?」

 確かにあの時、命の危機を覚えた。逃げてしまおうかとも思った。それでも、結局、アイリは留まった。説明はつかないが、あの時、直感したのだ。

 この人を、置いて行ってはいけない、と。

 説明がつかないので、アイリは事実だけを答えた。

「陛下、お苦しそうでしたし……」

「だから、放っておくわけにはいかないと? 自分が危険にさらされていたのに? 命もかえりみずに、俺を心配してみせたのは、後で咎めを受けたくなかったから? めいも忠義も、死んでしまえば意味がなかろう?」

 皮肉っぽい口調でここまで言ったギルハルトは、なぜか変な顔をする。まるで、甘いシロップだと思って口にふくんだ液体が、苦いやくとうだったとでもいうように。

「…………すまん。今のは失言だ。忘れてくれ」

 アイリの膝の上で、彼は気を落ち着かせるように長く長く、息をつく。

「どうも、この体勢はいかんようだ。まるで甘ったれの幼子ではないか。……にもつかんことを言うつもりなどなかったんだ。おまえには、あのオオカミ耳を知られただけでもみっともないっていうのにな」

 もごもごと言い訳じみたことをごちると、ギルハルトはぷいと顔をそむけた。

 そのしぐさは、まるで──。

 ──陛下、落ち込んでいらっしゃる?

 確かにギルハルトの言う『失言』は、これまでの〝銀狼王〟とは違い、アイリを手玉に取る大人の男という感じではなかった。

 この王は、どうもみなが求めている国王陛下の姿でいることへのきょうが強いようだ。もしも今、彼に獣の耳があれば、それはしゅんと垂れていただろう。

 容易に想像ができたアイリは、恐れ多い、だとかのきょうしゅくも忘れ、ほとんど無意識に彼の銀髪をでていた。落ち込んだ飼い犬にしてやっていたのと同じように。

 ぴく、とわずかにみじろいだが、ギルハルトは撫でるがままにされている。さっきまで、あんなにゆうたっぷりにアイリをほんろうしていた男と同一人物だとは思えなくて……申し訳ないけれど、少しだけ笑ってしまう。

「笑うほど、俺のオオカミ耳はみっともなかったか」

 むっとしたねたような声に問われたのに驚いて、思わず手を止める。

「撫でるのは、やめなくていい」

「え? あ、はい……!」

 なおに撫でるのを再開しつつ。

「──って、違うんです! 陛下のあのお耳、みっともないなんて思ってませんから!」

「ならば、どう思ったんだ」

「……申し上げても、おこりませんか?」

「正直に言ってみろ」

「かわいかった、です」

「かわいかった? 気が立ったあの状態の俺がか? 正気か」

「失礼だとは思ったんですが、『正直に』とおっしゃったから」

「おまえは本当にみょうな女だな。かわいい? かわいい、ね。かわいい、か……」

 ギルハルトは、まるで今、生まれて初めて聞いた覚えたての言葉のように、『かわいい』を口の中で転がしている。

「初めて言われたな……」

 異形の耳について、他の誰かに、何かを言われたことでもあるのだろうか。

「陛下のあのお耳を知っている方は、他にいらっしゃるのですか?」

「今、生きている者で知っているのは、サイラスとおまえの二人だけだ」

「……そうなんですか」

「そういえば、サイラスのろうはこの耳を見て大笑いしやがったな。あれはたまに首をめてやりたくなるくらい腹が立つ男なんだ」

 拗ねたような声の調子は、れ隠しなのかじょうだんめかしたもので、そういう陛下もちょっとかわいいな、と思うけどアイリはだまっている。聞かれもしないのに、そこまで言ってはさすがに不敬だろう。

「他に俺の異形の耳を知っていたのは死んだ母親と、その腹心どもくらいか。母は……あの人は、ひどく恥じていたな……」

 十年前、先王は、自分のちゃくじんろうの血をいろく残していると気づいた。

 しかし、異形の耳については知ることなく亡くなったこと、母はギルハルトに対して獣耳については秘密にするよう厳命したこと、その言葉を守って秘していたが、この半年の間に、サイラスには知られてしまったこと。結果としてきんちょうとして耳の秘密を守るのに一役買うようになったことまで、ギルハルトはアイリに教えた。

「陛下のお母様、『はじ』だなんて……」

 だからギルハルトは、あの満月の夜、あんなに必死に異形の耳を『見るな』とこばみ、人を呼ばれるのをいやがったのだろうか。

「まあ、無理もないがな。一国の王がいぬちくしょうであることを求めている臣民なんてどこにもいない。おまえだって嫌だろう? 夫に『かわいい』オオカミ耳が生えていたら、恥ずべきことだと思うだろう」

 想像してみる。自分が、この美しい王の秘密を知っている妃だったとして──。

うれしい、かもしれません」

「なんだと?」

「だって、皆さんは知らないのに私は知ってるって、特別みたいですし。で、でも、臣下の方々は、きっとあのお耳を見ても、みっともないなんて思われませんよ。神話は本当だったんだって驚くとは思いますが。私も、これまで自分が月の聖女のまつえいだなんて、意識したことなかったから驚きっ、──ひゃああああっ!?」

 アイリは悲鳴を上げた。膝枕の格好のままのギルハルトに大きな掌で、ぐい、と後頭部を引き寄せられたのだ。

「おまえは見た目に似合わず、ごうたんな女だな。愛しい人。俺の妃。今すぐキスがしたいんだが、許可をもらえるだろうか」

「は……!? だ、ですっ!」

「……駄目か」

 素直に引き下がるも、間近にあるギルハルトの顔が心底残念そうな表情を作る。今の彼にオオカミ耳が生えていたら、やはり、しゅんと垂れていただろう。

「ベルンシュタイン一族は、みんなおまえのようにゆうかんなのか? 婚約者に殺さんばかりのかくをされても、獣の耳が生えていても、逃げるどころか『かわいい』で済ませられる。そんな女、この国のどこを探したっていやしない」

 ベルンシュタインの女である妹が絶賛とうぼう中であるから、『勇敢か』と問われれば『否』であるが、もちろんそんなことは教えられないので口を引き結んだままもくした。

 すぐ間近にわく的な国王陛下のぼうがある、この特異なじょうきょうで口を開けば何を口走ってしまうかわかったものではない。

 見上げてくるアイスブルーの瞳ががれるように細められ、えた色のそれとは正反対のとろけるように甘く、熱のこもる声がささやいた。

「クリスティーナ」

 妹の名を。

 それに、胸が痛む自分がいる。なぜだろう──噓をついている罪悪感のせい? それとは少し違うような……。

 胸の痛みに気を取られるアイリの頰が、するりと撫でられた。色めいた手つきに、先ほどの痛みとはまた別のざわめきを胸に覚えてアイリはたじろぐが、後頭部に置かれたままのギルハルトの手が、逃げるのを許してくれない。

「俺の秘密を教えたんだ。今度はおまえの秘密を教えろよ」

 たくらみごとでもするかのごとくき込まれる低音の囁きに、こしぼねが摑まれたようなさっかくを覚える。

 アイリの〝秘密〟は他でもない、身代わり婚約者という事実だ。

 電流でも流されたように背筋がふるえる。胸のさわぎで乱れる心に、まくしびれさせる低音がさらに畳みかけた。

「おまえは俺の特別だ。俺も、おまえの特別にしてくれないか?」

 見上げてくる瞳が、うような色を宿していて……ただでさえ男性に対してめんえきかいのアイリが、どうしてこの恐るべきりょうの力の持ち主に、あらがうすべを持っていようか?

 あやうく何もかもを白状しそうになった、その時である。

 首席近侍長のたんたんとした、それでいて張りのある声がプライベートルームにひびいた。

「陛下。執務のお時間です」

 たんほうが解けたように色香をひっこめたギルハルトは、だつりょくしたようにアイリの後頭部を解放する。

「……な? 首を絞めてやりたくなるだろう」

 やれやれ、とばかりに彼は何事もなかったように前髪をかき上げた。一方のアイリはといえば──。

 ──た、た、助かったあ────!

 命の恩人と呼んでもおおげさではない。正味二度目の救済に、心の中で、サイラスにひれ伏さんばかりに感謝をささげるのだった。


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