2-2
結局、その日は、ファッショナブル集団により朝から夕刻まで着替えさせられ、あらゆる
「し、死ぬかと思った……」
疲れ果て、げっそりとうなだれそうになる自分を
──
よってたかって、好みの色や宝石、ドレスの素材や型などの質問を浴びせかけてくる仕立屋たちは、自分こそが
彼らは、ここで王妃に気に入られるかそうでないかで王都でのステータスが
「まだ二日しか
いつもは義理の家族を世話する立場のアイリはしみじみ思う。
使命を背負い、ひとり王宮に放り込まれたアイリにとって、彼女の
仕立屋のひとりが持ち込んだこの衣装は、さすがに一流のプロが見立て寸法直ししただけある。
フリルの代わりに、ため息が出るほど
耳を
昨晩の聖女っぽい衣装もだが、
これから挑む王との正餐会──ルプス国の貴族にとって正餐会は、招待者と同等に位置すると認められて初めて招待されるもの。つまり、最上の
アイリにとって分不相応を通り越して、非現実的なのだ。自分に課せられた『身代わり』という使命だけが罪悪感を伴って生々しい。
慣れない装いもさることながら、正餐の間には
そして何よりも彼女にとって現実味がないのは、テーブルを挟んだ向かい側で、美しくも
もはや異世界に等しい。
栄誉だとか、きらびやかな生活だとか、すべては妹に約束されてきたものだったし、それが正しいとアイリは信じて疑わなかった。だから日常的に
「どうした? クリスティーナ」
ギルハルトから妹の名で呼ばれたアイリは、無理やりに口元に
「少し、緊張を」
「楽にしてくれ。『儀式』なんて意識しなくていい、俺はおまえと食事を楽しみたい」
「はい……」
目の前の白磁の皿に、
生まれて初めて男性と
──よし。せっかくだから陛下の言う通り、食事を楽しもう!
そもそも
さっそくスープをスプーンで
──こんなおいしいスープ、飲んだことない!
少しぬるいと感じたが、温度が低いだけに
代々続く
──な、なんておいしそうなの……!?
美しく盛り付けられた前菜から始まり、メインの魚料理はこんがりとした
──
食後のスイーツには生クリームとカスタード、さらにフルーツが
初めて口にしたアイスクリームには心底
──どれもこれも、おいしすぎる〜!
役目を忘れて、本当に食事を
──こんなおいしい食事を満足するまで食べられるなんて、夢みたい……。
うっとりと幸福な時間に身を
どうやらギルハルトは、ほとんど食事に手を付けず、ずっとアイリを見ていたようだ。その視線が不可解でまばたきすると、再び彼は笑みをこぼして言った。
「いや、悪い。うまそうに食べるものだと思ってな」
「はい、本当においしくて──」
──って、いけない……正餐の
さらに貴族令嬢のマナーとして、会食では食事は
──私、社交の場には付き
正式な招待を受けたことが一度もないから、完全に失念していたのだ。
「料理人もそれだけ満足そうに平らげられたなら、光栄というものだ」
筋骨の逞しさは今朝目の当たりにしていたし、凶暴なところや昨晩は
──本当に、不思議な方だわ。
彼の持つ野性味と理知のアンバランスはきっと他の誰にも
「やっと食事の皿よりも、俺を見たな」
ギルハルトは満足そうに笑った。
──やっぱり、がっついてると思われてた……!
「どうした。手が止まったではないか」
「っ、いえ、陛下は
「気にするな。俺は俺で
「いったん婚約の『儀式』が始まれば、舞踏会を終えるまで『儀式』でしかおまえに会ってはならないのだそうだ。だから、一分一秒が惜しくてな」
彼は、アイリから目を離すことなく言った。
「食事などとっている場合ではない。一秒でもおまえをこの目に焼き付けておかねばならんからな。食事はあらかた済んだな? ならば、こっちに来てくれ」
こっち、と指し示されたのは、王の
「失礼します……」
やけに距離が近いので、ギルハルトから遠ざかろうと椅子を動かそうとすれば、その椅子の背がガッと大きな掌に
「ここでいい」
「は、ですが」
「座れ」
短く命じられ、そろそろと
うっかり息をしようものなら、それが綺麗な顔に
「できることなら食事よりも、おまえを食いたいんだがな。昨晩は寝不足だったとはいえ、せっかくのチャンスをふいにした。
たっぷりと色香を乗せたまなざしを銀色のまつ毛の奥から向けられたアイリは、昨晩、ギルハルトと同衾した
「ん? 顔が赤い。熱でもあるのではないか」
ギルハルトがおもむろに手を伸ばしてくるものだから、アイリは
人の口に戸は立てられない。妹に
王の手が自分に触れるよりも早く、アイリは
「こ、この
目の前に差し出されたみずみずしく輝く緑色のそれに、一瞬、きょとんとしたギルハルトは、やがて「ふうん?」とつぶやくと、なぜだかいたずらっ子のようにほほえんだ。
差し出されたそれを口に
「…………!?」
なんと、アイリの指に、ギルハルトの白い歯が甘く嚙みついたではないか!
いよいよ気を失いそうになっていると、彼はとうとうこらえきれなくなった、とでもいうように、くくく、と喉で笑う。
「俺の妃は、いちいち見ていて
──わ、わからないっ!
陛下はどうして、こんなふうに接してくるのか?
それとも、心をかき乱さんとするこれらのギルハルトの言動は、アイリの知らない
「今朝のひらひらもなかなかそそったが、そのドレスもよく似合っている。
綺麗。
それはいつでも妹に向けかけられてきた言葉だった。
だから自分にかけられているとは夢にも思わないアイリは理解した。ああ、このドレスの着付けとヘアメイクを施してくれたエーファさんを
それには完全に同意だった。見事に
おっしゃる通りです、という意味でにこっと笑顔を返したアイリに向かって、ギルハルトは満足そうにうなずきを返すと、アイリの
「……どうも勝手が摑めんな」
首を
「衣装はともかくとして、だ。おまえに望みはないか?」
「望み……ですか?」
「何か
今すぐにでも
「難しく考えずともよい。婚約者
──『機能』だなんて、ご自分がまるで道具か何かみたいにおっしゃって……。
不思議に思いつつも、アイリは考えてみる。今まで、自分に対して『何かをしろ』と命じる人はいたけれど、望みを聞いてきた人は一人としていなかった。
これまで伯爵家では、すべてが妹のために与えられてきたのだから。
「陛下のお
「ふむ。今身に着けているものは、気に入らないか。ならば新しいものを用意するように、すぐ手配しよう」
「
こんなきらびやかな
「つまり、おまえは何が言いたい? ドレスや宝石程度では、おまえを満足させることはできない、というのか」
「いえ、そうではなくて! 私、アクセサリーを持っていないわけじゃないんですよ? 子どもの頃、ベルンシュタインの家宝のネックレスを譲り受けたんです。祖母が
自室の
「私、には、それがあります。ですから……」
口の中でつぶやくアイリの青ざめた顔色を見つめていたギルハルトは、ほんの一瞬瞳を細めるが、やがてからりと言った。
「まあいい。必要あろうがなかろうが、おまえにくれてやったのだ。なくそうが捨てようが、おまえの好きにすればいいんだ。こんなものがいくつあったところでただの『物』にすぎん。代わりはある。しかし、おまえの代わりは他にいないからな」
アイリの手を取ったギルハルトは、うやうやしくその
さらに指を
その色香のなんと
青くなったり赤くなったり忙しいアイリに対して、どうだ? とでも言いたげな得意げな笑みが彼の口元に浮かんでいて、はっきりと理解した。
この王がする、色香にあふれた言動はマナーなんかではない。彼は、一から十まで自身の魅力を自覚していて、わざとアイリをからかって遊んでいるのだ。
掌の上で、いいように転がされているのだとわかっていても、心臓がドキドキしすぎてどうにかなってしまいそうだ。
──早く、家に帰してください……!
妹が見つからない限り叶わない、決して叶えてはいけない望みを心の中で
「
なごりおしくアイリの指に絡めていた指をほどいたギルハルトは正餐の間を去りぎわ、サイラスに耳打ちした。
「……伯爵家について調べておけ。外側だけではなく、内側から念入りに」
「気になることがおありで?」
「クリスティーナは社交界に
「
多くを聞かずサイラスは承知する。
ギルハルトは視線だけで、藍色の瞳の婚約者を
ドレスも宝石も欲しがらない奇妙な伯爵令嬢は、「そのままで」と言い置いたにもかかわらず、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます