2.儀式? 犬のお世話じゃなくて?

2-1


 翌朝。丸い天窓から朝日がさんさんと差し込むせい殿でん内のしんしつに、サイラスが数名の従者をともないやってきた。

 がっちりとき込まれた格好でいっすいもできなかったアイリは、わたわたと王のうでの中からのがれて、ベッドのはしまできょを取る。

「おつかれさまでした、レディ・クリスティーナ。ご無事で何よりです」

 意味深なセリフをくサイラスに何か言い返したいアイリだが、しんだいすみにうずくまり顔を赤らめることしかできない。その様を見て、サイラスは訳知り顔でうなずいた。

「ご安心ください、レディ。私どもは、あなた様の純潔を疑ってなどいません。へいはああ見えて意外としんですから。ねえ、陛下」

「……サイラス。おまえ、本当に何も説明せずにここに連れてきたのか……」

 あきれたようなため息交じりのギルハルトの声に気づけば、すこやかにねむっていたはずの彼はすでにベッドを出て、従者たちの手によってたくを整えているところだった。

 広くまったはだかの背中にぎょっとしたアイリは、あわててとんで視界をざす。こっそりすきからのぞいてみると、いだシャツをわざとらしくひじのあたりに引っかけた格好のギルハルトがにやりとして言った。

「昨晩、俺はおまえの夫になったのだ。えんりょせずに見ればいい」

「……っ!」

きさきになるかくがあったから、この寝室に入ったのだろう? いする気はないが、合意があるならば俺も遠慮なくそのかわいいのどみつけるというものだ」

「嚙みつ──わ、私は……、っっ!?」

 申し開きをしようと掛け布団を外せば、王のぼうが間近にせまってきた。

「ほう? 陽の光の下で見てみると、俺の妃はなかなかのじんではないか。そのラピスラズリのひとみには、こういうしょうがよくえる」

 ばした指が、むなもとのドレープにれる直前、つい、となぞるしぐさをした。

 からかうようなギルハルトのまなざしが、彼のきにくずれたぎんぱつの間から色香をたたえアイリを見つめていて、息が止まりそうになる。

 こんな色気のある男性と同じベッドで一晩明かしてしまったと思うと、ずかしさをとおしてきょうすら覚える。さらに妹の夫となる人だと思えば、冷や水を浴びせられたように背筋が寒くてたまらない。

「クリスティーナ」

 王の声が妹の名を呼んで、いっしゅんきょとんとしたアイリは、はっとして返事をした。

「は、はいっ」

「昨晩はろくに寝ていないのだろう? このままゆっくり休んでいてくれ。おまえのえは時間を置いてするようにと言いつけておくから」

「え? あ、ありがとうございます……」

 温かなづかいを向けられてきょうこう状態から我に返ったアイリは、王がこんやくしゃの名を覚えていることにいまさらながら気がついた。

『女なんてどれも同じ』だなんて言っていたのに──。

 ここで、サイラスが口を開いた。

「おめでとうございます、陛下。そして、レディ・クリスティーナ。見事、婚約に至るための第一の儀式に成功なさいました。臣下一同、およろこび申し上げます」

「あの……ここで行われた『儀式』というのは、なんだったんですか……?」

「あなた様が、生きて朝をむかえることですよ」

 さらりと言われた内容がぶっそうすぎるものだから、一瞬、何を言われたのかわからない。

「ですから、婚約者候補が死ななければ儀式は成功。全部で七つある婚約の儀式の中で、昨晩が最初にして、最大の難関だったというわけです。寝室のこわれたかべ……ほら、あの辺とか、この辺とか、この半年で陛下が暴れて壊したものでして、この部屋、家具がないでしょう? すべて陛下が壊してしまわれましたから」

 サイラスはまるで茶飲み話でもするように、のんきな調子で説明する。

「歴代の王はともかく、我らが陛下は月の夜は、くっきょうが相手でも殺して不思議ないくらいにきょうぼうでしたからね。特に昨晩は満月。一番危険な状態からのパーフェクトクリアというわけです。いやはや、実にめでたいことだ」

 顔面そうはくのアイリは、そういえば、と思い至る。王が言っていたではないか。

『まさか、しょっぱなからをやるとは思っていなかった』と。

 婚約か、死か。

 昨晩の彼が発していた殺気を思い出せば、サイラスの言葉はおおげさではないのだと理解せざるを得ない。

 その時、だまってやりとりを聞いていたギルハルトが短くきんを呼んだ。

「サイラス」

 するどはらんだたった一声で、周囲の空気がこおり付いた。しびれるようなきんちょうが一室を満たし、この場にいるだれひとりとして指先一つ動かすことができない。

「なぜ、あらかじめ彼女に説明をしなかったのか、と問う気はない。おまえのことだ、げ帰られたらめんどうとでも思ったんだろう」

 しかし、と王は続ける。

「俺は、俺の妃がじょくされるのを誰であっても許すつもりはない。ひざをつけ、サイラス。今ここで、俺の妃に不敬をびよ」

 命じられたサイラスは、なおに片膝をつくとアイリの前に首を垂れた。

「レディ。無礼を申し上げました。お詫びいたします。どうかお許しを」

 足先にせっぷんされそうになって、慌ててアイリはサイラスのかたを押さえて言った。

「そ、そこまでなさらなくても! だいじょうですからっ! 陛下も私も無事だったんですし、私は気にしてませんから。ね?」

こころに感謝します」

 やりとりを見届けるなり、ぜんと背筋を伸ばしたギルハルトはアイリに目顔であいさつすると、じゅうを引き連れて部屋を出て行った。

 ちょうの音も遠ざかり、しん、とあたりが静まり返る。

 アイリが気まずさを感じる一方で、サイラスはすっくと立ち上がり無表情で言った。

「いやあ、すばらしい。まさしくかんぺきです。やはり、月の聖女はフィクションなどではなかった。はあ、まったくもって、あなた様は救世主です」

 つい三分前にギルハルトからあれだけの怒気をたたきつけられたことにも、膝をつかされたことにもこだわる様子はない。こわいくらいのえの早さだった。

 アイリの顔色に気づいたのか、サイラスは肩をすくめる。

「陛下は筋さえ通せば、あとくされありません。慣れれば大変に付き合いやすい、実にすぐれた君主ですよ。まあ、それはともかくです」

 サイラスがパンパン、と高らかに手を打ち鳴らせば、昨晩世話になったエーファをはじめとして、じょや従者とおぼしき男女が寝室に入ってきた。

 アイリの目の前に一室にひしめくほどの人数がずらりと居並ぶ。

「改めまして、ようこそお越しくださいました、我らが殿でん。近侍一同、心よりかんげいいたします」

 全員が、アイリに対して最上の礼をとった。

 ぽかんとしすぎてはに状態になったアイリへと、サイラスはふところから取り出した巻紙をうやうやしく差し出す。うながされて中身をかくにんしてみれば──。

「なんですか、これ……?」


せいさん(親密な交流を)

・ブラッシング(愛情たっぷりに)

・イブニングティーと共に手料理をふるまう(手ずから食べさせましょう)

・お散歩(仲良く手をつないで)

・おとうかいはなやかにきらびやかに!)


じんろうの血を引く王陛下との婚約の儀式は、全部で七つと申し上げましたね」

「はい……」

「第一の儀式の成功者には、ここに記された五つの儀式をすべてこなしていただきます。そして真の婚約者として、七つ目の儀式である婚約式にのぞむのです」

 ブラッシングにお散歩。手料理を手ずから食べさせるって……えさやり? 華やかにきらびやかにお披露目って……ドッグショー?

 ──『儀式』っていうか、これ、犬のお世話のちがいでは?

 無礼きわまりない所感は、貴族れいじょうとしてもちろん口には出せない。

「このこうもくは、過去の王家の方が決めたとおっしゃっていましたが……」

 せいぜい疑いのまなざしを送ることしかできないアイリの疑念を、サイラスはいっしゅうした。

「ルプス国の正史に、これらは間違いなくっているのですよ。おそらく過去にも人狼の血がい王が現れた際、臣下が困り果てたことがあったのでしょう」

 と、巻紙を指して、サイラスは言葉を続ける。

「まがりなりにも王家の正史です。『人外暴君に困っていたが、月の聖女のおかげでどうにかなりました』だなんて、すでにめつぼうした王朝ならともかく、現行王朝の先の王をおとしめるような記述はできないでしょう?」

 そこで彼らは人狼の血をなだめる能力を持つとされる『月の聖女』の資質を持つ女性を正しく選び出すためのこうを『儀式』という形で残すことにしたのでは、とサイラスは推測しているという。

『儀式』をすべてこなし、初めて正式な婚約に至ると説明を受けてはいるが。

「もし、私が残りの儀式に失敗したら、どうなるのですか?」

「残念ながら婚約には至りません。あなた様の次に、月の聖女の血が濃いと思しきベルンシュタインのきんえんの女性をお招きし、儀式を最初からやり直します。……と建前上なってはいますがね、レディ・クリスティーナ。その心配は無用かと」

「え?」

「ブラッシングにお散歩、いっしょにお食事。これらをどう失敗なさるおつもりで?」

「ええと、それは──」

「失敗などさせませんよ」

 サイラスは言いきった。

「私どもが決してさせませんとも。臣下一同、いっさいの助力をしみませんゆえ」

 無表情なのに、圧が強い。

 ですが、と気弱に反論しそうになったアイリはしかし、サイラスの顔を見上げて言葉を飲み込んだ。彼のメガネの奥の瞳が、怖いくらいせいじゃくであることに気づいてしまったのだ。

 このサイラスという男、どうにもみょうな人物であるが、しかし、彼は彼なりに覚悟を持って、王のこんいんすすめることにしたはずだ。

 昨晩、アイリはギルハルトのかかえるのうを知った。この近侍長は、半年もの間、ギルハルトの一番近くでその苦悩をたりにしてきたのだ。

 王の婚約者を殺してしまうかもしれない、いちかばちかのけをおかしてでも、王のさわりを取り除こうとしていた──仮にアイリが王に殺されていれば? 独断で儀式を断行したサイラスは、めんでは済まないほどのばつを下されていたはずだ。

 罰を下される、というのならばアイリとて同じだ。この身をいつわってでも、げなければならない使命がある。ベルンシュタインはくしゃくのために。

「わかりました。失敗は、しません」

 妹が見つかるまでの間だけは、なんとしてでも。

 アイリが決意のまなざしを返せば、サイラスの瞳が満足そうな色を宿して細められたのがわかった。

「ええ。月の聖女の血が、王家にとっていかに重要なものであるかを周囲に知らしめるためにも、どうかお願いいたします」

 ──月の聖女の血。

 生まれてこの方、この身に流れているなんて意識したことはなかった。

 昨晩、ギルハルトのやわらかな銀髪をでたてのひらに視線を落とす。

 ──本当に、私の中に流れるベルンシュタインの血が、陛下のお心をしずめたの?

 もしも、それが真実であるなら、命の危機にさらされはしたけれどろうにすさみきっていた王の瞳におだやかさをもどしたのは、アイリということになる。

 この場にいることを少しだけ許されたような気がして、身代わりの罪悪感がわずかにやわらぐ。というか、初めから妹が来ていれば何一つ問題なかったはずで──。

 ──お願いだから、早く見つかって、クリスティーナ!

 長引けば長引くほど、アイリひとりが裁かれてどうこうという問題ではなくなるのだ。取り返しがつかなくなる前に、どうか……。

 願いをこめて、丸い天窓の向こうの青空をあおいでいると、サイラスが言った。

「さて、レディ。そろそろお着替えをしていただきたく。よろしいですか」

「あ、はい」

 王城にまりがけになるなんて夢にも思わなかったので、当然、着替えなど持ってきていない。てっきり昨日着ていたドレスをへんきゃくしてもらえるものだと返事をするが、とつじょ、アイリのりょうわきに立った女中にがっちりとこうそくされた。

 ──デジャブかしら……?

 ていこうだと学習しているので、なすがまま身を任せれば、殿でんがいに連れ出される。

 そのまま王宮内へとアイリが運ばれた先は、びっくりするほどきょだいなクロークルームだった。物置小屋に等しいアイリの自室の、十倍以上の広さはあるだろう。

「婚約の儀式には舞踏会場でダンスする、という項目があります。ばんじゅうせいを否定し、ゆうで気品ある王と妃の姿を臣民にお披露目する目的があったようですね」

 サイラスはうやうやしくをして退室すると、入れ替わりでかれた様子の侍女がはずむように入ってきた。昨晩もアイリに衣装を着付けてくれた、エーファだ。

 エーファはにっこりほほえんで言った。

「あらあら、月の聖女様、浮かないお顔ですわね? 舞踏会ですのよ、さあさ、はりきってまいりましょう! ドレスを新たにあつらえますわよ!」

 口をはさむ間もあたえてくれない。エーファの宣言と同時に、ざざっとどこからともなくファッショナブルな一団が現れたではないか!

 ──ええっ!? この人たち、どこにかくれてたのー!?

「ご安心ください、月の聖女様。きゅうきょ集められたとはいえ、ここにいる者どもは、王都で指折りの仕立屋にくつ職人、ジュエリーデザイナー。つまり、この国のファッションリーダーなのですわ。それでは皆さーん、いちについて、よ〜いどん、ですわよ!」

 いささか興奮気味のエーファの号令に、今か今かとじりじりしていたメジャーや物差しを構えたファッショナブル集団が、わさあっ、っとアイリめがけてさっとうする。

「きゃああああああああああ!?」

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