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「待ってくださいいいい! あの、私、話を……、き、聞いてくださいいいいっ」

 城仕えの女中たちにりょううでとらえられたアイリはりょしゅうのごとく、どこぞへと連行されていた。泣きながら試みるていこうむなしく、やがてたどり着いた場所は、王城のしき内にある石造りの建物だった。

 そうごんなたたずまいはあたかもしん殿でんのようで、その入口のりょうわきにはルプス国の守り神とされる銀狼の石像が据えられている。サイラスが言った。

「ここはせい殿でんと呼ばれています。かつては、代々の王が月の聖女を妃として迎えた折に、しんじょとしていた場所ですよ」

 殿内に入ると、神話をモチーフにしたせいちょうこくほどこされたてんじょうと、ぴかぴかにみがかれた大理石のめられた廊下が続く。

 さいだんの置かれた堂を経ると、クロークルームらしき部屋に入った。

 王が寝起きしていた殿というだけあり、設備はじゅうじつしているらしい。部屋は暖炉の火で温められ快適で、さらにその隣はよくそうが設置された浴室になっていた。

 たっぷり湯の張られた浴槽にはバラの花びらが浮かんでいて、高貴な香りがただよっている。きっと高価なこうも入れられているのだろう。

 あれよという間に、女中の皆さんにぎわよくに入れられ、よってたかってヘアメイクを施され、月の聖女の衣装だという白絹のドレスを着せられていた。

 なすがまま、鏡の前に立たされ自分の姿を見てみれば。

「こ、これ……うす、すぎませんか……?」

「お似合いですよ。あでやかでいてれんで、おとぎ話に出てくる聖女様そのものですわ」

 がおめたたえる指揮役とおぼしき侍女が、歌うように名乗った。

「わたくし、エーファと申しますの。クリスティーナ様のお世話をおおせつかりました」

「え、あ、はい、よろしくお願いします、エーファさん……って、そうではなくて」

 アイリよりいくぶん背の高い彼女は、少し年上だろうか。王妃候補付きの侍女であるのだから名家の出なのだろうが、エーファにはこうまんさや尊大さを感じない。物申したいアイリをよそに、どこかあいきょうあるほほえみを浮かべてドレスのすそなど整える。

 美しく着付けられた純白の衣装はたっぷりとしたドレープにいろどられており、少なくとも、サイズの合っていない妹のドレスよりよほど体にフィットしていた。

 エーファの言うことはまったくのお世辞というわけでもなさそうで、うきばなれしたそのドレスはやけにアイリに似合っている。だんいんに見られがちなアイリの藍色の瞳は、神秘的な衣装とあいまってミステリアスなじんといったおもむきだ。

 鏡に映っているのが、いつも地味なドレスばかりを身に着けている自分とは別人のようで、しばし自分の置かれたじょうきょうを忘れて他人ひとごとのように感心していると、再びがっしり両腕を捕えられる。連行された先、アイリは気を失いそうになった。

 放り込まれた一室のど真ん中には、どーん! とバカでかいてんがい付きのベッドが挑むように置かれているではないか!

「あの、エーファさんっ、わ、わ、私、ちょっと体の具合が」

「それでは、失礼いたします」

 笑顔のエーファを筆頭に女中たちは丁寧に頭を下げると、部屋を出て行った。

 無情にも閉ざされたとびらを前に、ぼうぜんしつする。

 ──儀式って……儀式って……そういうアレなの!?

 こつすぎるやり口に、恥ずかしすぎて頭がどうにかなってしまいそうだ。

 アイリが風呂に入れられる前から場を辞していたサイラス曰く。

『これから行われるのは、伝統あるゆいしょ正しい儀式です。あなた様にあるのは尊い使命であり、クリスティーナ・ベルンシュタインのめいけがすことは決してありません』

 ……とのことだが、さすがにそこまで無知ではない。何しろ貴族令嬢にとってていめい的なのだ。

 目の前のきょだいしんだいは、アイリの使っている古くキシキシ音の鳴るどこに比べて天と地ほどの差があるくらいごうだ。見るからにふかふかでごこがよさそう。

「うう、このままこのベッドの上で気を失ってしまえたら、どれだけいいかしら……」

 心が逃避しかけるが、自分には使命があるんだ、となんとか正気を取り戻す。養い子とはいえ長女のアイリは『義務』とか『使命』とか、そういう言葉にすこぶる弱い。

 たったひとりで寝室のど真ん中に立ちつくしていたアイリは、しばしベッドにこしを下ろそうか迷ったが、結局近づく気になれず、そのまま部屋をぐるりと見渡してみる。

 夜はけていたが、火を入れられた暖炉のおかげで視界に困ることはない。

 家具らしい家具は、この天涯付きのベッドと、脇にサイドテーブル、暖炉の上に置かれた火のついていないしょくだいくらいか。天井には丸い天窓があり、やはり丸いガラスがはめられていて、そこから白銀の満月がのぞいている。

 室内は清潔だが、いしかべのあちこち、不自然なえぐれやらきずあとがあるのに気がついた。

 ──ろうきゅうしているってわけでもなさそうだけど……。

 おんなそれらに目をらしていると突如として、バンッ、と殿の外扉が乱暴に開かれる音が轟いた。驚いたアイリは、思わず暖炉のかげに身を隠す。

 カツカツと廊下にいらったような足音がひびく。それがじょじょに近づいてきて、ドカッとやぶるほどの勢いで寝室の扉が開いた。

 室内に飛び込んできたひとかげは、なぜかフード付きのマントを羽織っている。フードからこぼれる銀髪と背格好で、その正体が銀狼王ギルハルトだとわかり、暖炉の陰で身を縮こめるアイリはきょうに震えた。

 ギルハルトの様子は、昼間に見た不機嫌なんてものではなかったのだ。

 殺気というものが本当にあるならば、きっと今、彼が発しているものがそれに違いない。叔父の機嫌をひどく損ねたことがあったけれど、その比ではないあやうさだ。

 ──婚約のための儀式? イケニエをささげる儀式の間違いじゃないの……!?

 しかし、どうにも様子がおかしい。

 ギルハルトはベッドにたおれ込んだかと思うと、悪態をつきながら苦しそうにうめき声をらしている。痛みにえているような苦しみようはじんじょうではなく、恐怖しながらもアイリは心配になってきた。

 ──もしかして……陛下は、どこか具合がお悪いのかしら?

 考えてみれば、昼間に見た王の様子もおかしいといえばおかしかったのだ。文句を言いながらも、彼は厭うていた婚約者との顔合わせを行った。

 責務を果たそうとしていたのだ。本当の暴君であるならば、それらを退けたり、無視したりするのではなかろうか。

 と、その時、ギクッと肩をらしたギルハルトが突如として身を起こした。

「誰だ!?」

 びりびりと空間を震わせるような、すいの声の鋭さ。ギルハルトは、ここに婚約者が待機していることを知らされていないのだとアイリは悟る。

 ──噓でしょ、サイラスさんっ!?

 半泣きになりながらも、もはや逃げられまいと覚悟を決めたアイリは暖炉の陰から姿を現し、クリスティーナを名乗った。

 プライベートの寝室に入った非礼を詫びようとするアイリをさえぎり、ギルハルトはのどからしぼるように吐き捨てた。出て行け、と。

「……儀式など知らん。うせろ」

 いよいよアイリはその場で気を失いそうなった。

 ──これはもう、『儀式』は不成立ってことで、いいのよね?

 いっそ建物の外に出て、ギブアップしてしまおうか……。

 課せられた役目と生存本能のはざまで右往左往するアイリの前で、ギルハルトは再び苦しそうにベッドにつっぷす。

「あ、あの、どうなさいました? ご気分が悪いんですか?」

「……来る、な」

 思わずアイリが身を乗り出せば、ギルハルトはあえぎながらこばんだ。

「でも、おつらそうですし……私、すぐに人を呼んできますから!」

「やめろ……!」

 外に向けてけ出そうとするアイリの腕を、ギルハルトの手がつかむ。

「……たのむ、誰にも、見せたくない」

 絞り出すような声はあたかもこんがんで、その悲痛さに驚く。フードの下の顔を覗き込めば、銀色の前髪の向こう、王の瞳が確かに銀色に底光りした。

 昼間に見た銀狼王の目は落ち着いた色のアイスブルーだったはず。人間にはありえない異様なそのかがやきに、背筋が震えるほどを覚えると同時に、息をのむほど美しく感じて、アイリはりょうほうにでもかかったように身動き一つできなかった。

 一方のギルハルトはといえば、彼の視線もまた、どういうわけかアイリにくぎ付けになっている。ぽかん、と開いた口から覗いているのは見間違いでなければ。

 ──きば……?

 見つめ合うこと、三十秒。

 奇妙なちんもくの中、ギルハルトのきょとんとした顔がだんだんとかわいく思えてくる。

 ──私の頭、どうにかなってしまったのかしら……。

 そんな疑いがもたげた次のしゅんかん、すり、とアイリの首元にフードをかぶった頭がこすりつけられた。

「え、ちょ」

 これは覚えがある。なぜだか動物に気に入られがちなアイリが、特に犬からひんぱんにされる行動によく似ていた。

 無心にすりすりされるものだから、まるで飼い犬にしてやるように手を伸ばして後頭部からうなじにかけてを撫でたのは、ほとんど条件反射だった。すると、ぱさ、と銀狼王のかぶっていたフードが外れ、そこから獣の耳のようなものがこぼれおちる。

 ひく、と動くそれは、作りものではない。

 紛れもなく異形の耳だとわかってしまって、アイリの目が点になる。

 彼の頭を撫でる手でそれに触れてみれば温かく、ふわふわとざわりがいい。

 驚きすぎて悲鳴も出ないアイリはぼうぜんとしたままそれを撫で続ける。

 もふもふのそれは今までに撫でてきたどんな動物の毛皮よりも気持ちがよく、うっかり状況を忘れそうになるアイリに対し、ギルハルトもまた、先ほどまでの苦しみようが噓のようにの力が抜けてリラックスしているようだった。


 やがて、暖炉のたきぎがはぜる音にハッとしたギルハルトは、ようやくフードが取れていることに気づき、我に返ったように声を上げた。

「み、見るなっ!!」

 ベッドの上、まるでへびにでも驚いた猫のように彼は大きく飛び退すさった。

 見開いた瞳が、アイリをぎょうしている。

 その肩が、息を整えようと大きく上下する。ひどく混乱しているらしい彼自身、アイリへのすりすりは無意識の行動だったというのか? されるがまま、あれだけもふもふされておいて完全におくれであるのだが、ギルハルトは耳を隠すように頭を押さえるも──。

 ──あれ? 耳が、ない……?

 さっきまで確かにふわふわの獣耳が生えていたのに。これにはアイリよりも、ギルハルト自身が驚いた様子だった。

「どういうことだ……まだ月は出ているぞ……? きさま、俺に、何をした!?」

「え? あ、頭を、撫でてしまいました。失礼かとは思ったのですが、ついくせで」

「癖、だと?」

 異形の耳同様、ギルハルトの瞳は、もう銀色の光は放っておらず、落ち着いたアイスブルーに戻っている。

「おまえは昼間に来た、俺の婚約者……だな?」

「は、はい。おっしゃる通りです」

 ──私のこと、覚えていらしたんだ……!?

 あれだけ無関心な態度だから、にんしきすらされていないとばかり思っていた。

 ギルハルトはこんわくするように前髪をかき上げ、アイリから視線を逸らす。

「月の聖女……」

 信じられん、とつぶやくギルハルトの様子は平静だ。何が何だかわからないけれど、やはり先ほどまで見せていた苦痛からは解放されているようで、アイリは安堵した。

「ここで婚約の『儀式』を行うとは、聞いている。しかし、それは、おまえの準備を整え、後日にり行うという話だった」

「私も、そう思っていたんですが……サイラスさんが、今夜こちらで陛下をお待ちするように、とおっしゃって」

「サイラスの野郎……」

 ギルハルトは憎らしげにうめくが、声に昼間のような殺気やあらあらしさがなく、理性的なものだった。ベッドの上にいた彼は、しばらく何事か思案するように視線を落としていたが、ゆかに足をつけそこに腰かける。

 やがて背筋を伸ばし、ベッド脇に立ったままのアイリに対して言った。

「婚約者殿どの。今日は昼間から、ずいぶん怖い思いをさせたと思う。申し訳ないことをした。どうか許してほしい」

 アイリをえる瞳はしんで、謝罪は誠実なものだった。

 謁見の場で、なんて綺麗な男性だろうと思っていたが、こうして月明かりに照らされたギルハルトは、改めて目を見張るようなじょうだ。そんな男性に見つめられ、ここは薄暗い寝室で、二人きりで、自分はこんなひらひらした薄着で……。

 ──私、とってもはしたなくない!?

 昼間とは正反対の銀狼王のしんさに、きょうがくと混乱と、そしてしゅうが一気に襲いくる。

 目を回し、それこそ気を失いそうになっているアイリに、ギルハルトが言った。

「どうか、楽にしてほしい。こっちに」

 ちょっと笑いをこらえるような声で、ぽふぽふ、とベッドの自分の隣をたたいている。

 この部屋にはベッドの他に、座れるようなやソファなどの家具がひとつもない。迷いに迷った末に、アイリは「失礼します」と巨大な寝台の上、王から三人分くらいのきょをあけて座った。

「あの、無作法をして、申し訳ありません。私、陛下が『儀式』のことをご存じないと知らなくて、こんなけに寝室に上がり込んでしまって……」

「いや、いい。詫びねばならんのは俺のほうだ。まさか、しょっぱなからをやるとは思っていなくてな」

 ルプス国の始祖は、人狼とされている。

 誰もがフィクションだと思っているその伝承であるが──。

「俺には生まれたその日に、オオカミ耳が生えていた。おまえが先ほど見た、アレだ」

 驚きに目を丸くするアイリの表情を見て、ギルハルトは、今は何も生えていない自らの頭を長い指で撫でた。

「見られてしまったからには、教えておかねばなるまい」

 人狼であったとされる始祖──初代国王には、月の出ている晩には狼の耳が生えたという伝承が残っている。

「おそらくだが……俺は人狼として『先祖返り』をしてしまったんだと思う。過去の記録に、生まれたその日からオオカミ耳が生えていた王族がいた、というものはひとつもない。だから推測にすぎないのだがな」

 ──あの動物の耳、狼の耳だったんだ……。

 赤子だったギルハルトの頭に生えていた異形の耳は数日で消え、以来、気配すらなかったが──半年ほど前から月夜になると、再びそれが現れ始めたという。

 そして、オオカミ耳の出現とともに、彼に看過できないわざわいが降りかかり始めた。

 どういうわけか、気持ちがたかぶり、苛立ち、激しい感情がおさえられない体質になってしまったというのだ。

「だから、この半年は、この離れの聖殿で独り夜を過ごすようにしていたんだ。特に今夜は満月だろう。月が満ちるにつれ耳が出るばかりかしょうどうが抑えられず、臣下に対して何をしでかすか自分でもわからなくてな。何よりも、この耳を誰にも見せるわけにはいかなかった」

「そのお耳は、臣下の方々には秘密ということですか?」

「当然だ。この国が本当に人狼に建てられた国だなど、誰も信じていない。臣下も国民も、王がありがたい存在だとするためのちょうだと思っているだろう」

 人間離れした膂力とカリスマで異民族を退け、国を建てたという始祖は『神が狼の姿をとり、よき人々を導くために遣わされた天よりの使徒』だとされている。

 月の聖女が清き願いをかけた結果、人の姿をとった神は王座についた……これが、ルプス国のたみであれば、五歳の子どもでも知っている神話の内容だ。

 今でも銀色の狼が神としてまつられているルプス国では、へいとして流通している銀貨に狼のしょうられている。

「ですが、実際に陛下は人狼、なんですよね? あのオオカミ耳を皆さんに見せれば、創国神話に信憑性が出るのでは?」

 アイリのぼくな疑問を受けたギルハルトは、あきれたようにまゆをひそめた。

「自分の国が犬っころに建てられたと確認して、喜ぶ臣民がどこにいる?」

 ──犬っころって……。

 なぜだかわからないが、ギルハルトは自分が人狼の血を引いているという事実をひどく恥じているようだった。

「ともかく、そういうことだ。あんなものを見せて、気味が悪い思いをさせたな」

 本当に恥じ入るように、ギルハルトはアイリに詫びてくる。

「あんな姿、たとえ妃になる女だろうと、絶対に見せたくはなかったんだ。……それで、ぐずぐずと先延ばしにしていたら、じれたサイラスの野郎に謁見の日を決められた、というわけだ」

 ギルハルトの人狼の血によるきょうぼうは、現にさまざまなへいがいを引き起こしていたのだという。冷静な状態でいられず、適切な判断が下すことができなくなったおかげで、政務はとどこおり始めた。臣下はおそれ、王が乱心なされたのではという噂が王宮内で広まった。

 若い王の周りでは、一部のろうかいな臣下が付け入る隙をねらい手ぐすねを引いていた。

 そこでギルハルトは、この王宮で唯一、侍従のすべてを動かすことのできる男、首席近侍長のサイラスに王家の歴史をてっていして調べ上げさせたのだという。

 代々の王でオオカミ耳まで生やした者は王家の記録に残ってはいないものの、人狼のカリスマ性を発揮した名君はいくにんも存在する。そして、そういう者たちは成人してから凶暴さを見せるけいこうがあった。

 嫡子に類まれな能力が見られる場合、当代の王はちょくめいとして月の聖女の血を引く令嬢との婚姻を進める、というのが王家の慣例となっていたが──。

『その理由は、人狼の血を抑える役割を月の聖女がになっていたからではないでしょうか』

 仮説を立てたサイラスは、ギルハルトに対して婚姻をかした。臣下に面倒をかけている自覚があった王はしぶしぶながら、それをりょうかいした。

 これが最近になって、ようやく婚姻に向かって動き始めたてんまつであるという。

「月の聖女よ。俺はどうやら、おまえのおかげで正気を取り戻すことができた。心から感謝する」

「いいえ、そんな……」

 感謝されるような何かをした、という実感のないアイリはきょうしゅくするしかない。

「ところで、月の聖女。俺は、おまえにもう少し触れていたい。いいだろうか」

「触れ……? いえ、あの、いいだろうか、とおっしゃいましても」

「レディに対して、あんな姿を見せたのだ。信用がないのは、ごうとくで仕方のないことだが……どうか、手を」

 懇願の声に、らちな色は混ざらない。

 しゅんじゅんの末、おずおずと差し出したアイリの手に、ギルハルトはまるで大切な宝物のようにしんちょうに触れると、アイリの指の背に詫びのせっぷんを落とした。

 温かなくちびるが触れて、アイリのほおに熱が広がっていく。ファーストコンタクトとまるで違う、紳士的な態度に戸惑うばかりだ。ギルハルトが静かに聞いてきた。

「撫でるのは癖だ、と言っていたが、おまえは男を撫でるのが趣味なのか」

「は!? いいえ、違いますっ! 男性ではなくて、犬だとか、牧場の動物たちだとか、子どもだとか……撫でるのが好き、といいますか、その……撫でてほしそうなら、撫でてあげたいかな、と思っていまして」

 あわてながらも、しかし正直に答えた。

 ものが落ちたようにおだやかになってからのギルハルトはアイリに対し、真摯に接してくれている。だから自分もそうしなければ、と思ったのだ。

「ほう。ならば撫でてほしそうにさえすれば、おまえは大人の男でも撫でるのだな?」

 途端、なぜか声に明るさを宿した王はベッドに乗り上げると、アイリを手招いた。

「こっちに」

「……?」

 招かれるまま、おそるおそる近づけば、伸びてきたギルハルトの手がアイリの腰を捕えた。次の瞬間にはその腕の中にき込まれていて。

「わわ!? 何をっ、なさい、ますかっ」

「寝るに決まっているだろう。ここは寝室で、これは寝台だ。他にしたいことがあると言うなら、喜んで付き合うが?」

「いえ、違っ、……そ、そうだ、『儀式』です! 儀式を、しないといけないんですよね! 陛下は何をするかご存じですか?」

「もう済んだ」

「へ……? でしたら私、すぐにおいとまさせてもらい──」

 しかし、がっしりと腰に回された男のかいなはアイリを離そうとしない。

 のがれようともがいてみるも、密着しているものだから、イヤでもよくきたえ上げられているのがわかってしまうたくましい腕はびくともしてくれないのだ。こんなふうに男性に触れられたことなど一度もないアイリはぷるぷる震えながら、半泣きで訴える。

「あの、ですね? 私、まだよめり前の身でして、こ、こんな……困るんです」

「わけのわからないことを言う。おまえは俺の妃になるんだろう」

「ちちち、違うんですっ!! あなた様のお妃は」

 私じゃなくて妹なんです! と、危うく口走りそうになるも寸前でこらえたアイリは、必死になって別の言葉をひねり出す。

「私たち、本当の婚約はまだしていないと、サイラスさんからうかがっていますっ。ですから」

「そうか。では、今この瞬間から、おまえは俺の妃だ」

 勝手に断じたギルハルトは、アイリの薄い背をやさしく叩いた。まるで、聞き分けのない子どもでもあやすように。

「そうおびえてくれるな。今夜は眠いし不埒な真似は決してしないとちかう。指一本触れない、というわけにはいかんがな……俺は、おまえに撫でられたいだけなんだよ」

 ほらやれ、さあやれ、と腕の中に捕えたアイリに頭を差し出すギルハルトは、なでなでをせまった。

 緊張と羞恥の限界値は、とうにえている。アイリはほとんど頭が真っ白状態で、ぎくしゃく腕を動かすと、要求通りに彼の銀髪を撫でてやる。

 すると銀狼王は、こもれびにまどろむ猫のように幸せそうにを閉じた。

「なるほど。慣例も馬鹿にしたものではないな……」

 その顔があまりにも幸せそうなものだから、やめるわけにもいかず、わしわしとうなじのあたりを念入りに撫でると、彼はくすぐったそうな声を漏らした。ドキッとして、思わずアイリが手を止めると。

「やめるな」

「あ、はいっ」

 あわてて再開すれば、ふ、と漏らした彼のいきがアイリの首筋を撫でた。みょうに色めいたそれに、顔が熱くなるばかりのアイリの耳に、深みのある声が言った。

「こんなに穏やかな気持ちになったのは、いつぶりだかわからない。いや……初めてかもしれんな」

 はこぼれおちるようで、やがてギルハルトは何も言わなくなった。首筋を撫でるすこやかな寝息。

 自分よりも一回り以上は立派なたいの大人の男の腕の中、そろそろと少しだけ体を離し覗き込んだ寝顔はまるで安堵しきった子どものようで、背に回った彼の手を引きはがしたい気持ちはやまやまだが、それで起こしてしまうのもしのびない。

 やむを得ず、抱きまくら状態のまま、アイリの頭の中には「?」マークがうずいていた。

 ──結局、『儀式』ってなんだったの……?

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