1-3


◇◆◇


 アイリは王宮に残され、付き添いの叔父は帰らされた。

 今日は顔合わせの謁見だけ、という話であったし、それ以上の心づもりをしてこなかったアイリに対して、メガネの近侍長は言った。

「これまで婚約者のあなた様に対し、我が王はろくろく交流しようとしてきませんでした。きっと不安に思われていたことでしょう。我が王に代わり、お詫びを申し上げます」

 慇懃なこの謝罪もやはり無表情であるので、ていねいだけれど社交辞令なのか心からのものなのかわからない。婚約した当事者ではないアイリはなんと答えればいいかわからず、とりあえず、当たりさわりのない質問をした。

「陛下は……おいそがしくていらっしゃるんですね?」

「ええ、非常に」

 謁見中にまで、しつをこなさねばならないほどである。

「多忙をたてに、婚姻を進めようともしない陛下に、婚約者様をお招きする話を進めるだけで、どれだけ大変だったか‥…ようやくこぎつけた本日の顔合わせも、無事に行えただけぎょうこうだったのですよ。後日、改めてご滞在いただくつもりで予定を立てていたのですがね。この私に『一任する』とげんを取ったのですし、鉄は熱いうちに打て、と申します。陛下の気が変わってしまう前に、全力で推し進めてまいりたく。よろしいですね?」

 確認を取られうなずいてみせるが、アイリは内心で頭をかかえる。

 妹がどこにいるのか見当もつかない現状、単なるかんかせぎだったはずなのに──。

 ──ずっと滞在していたら、身代わりがバレる危険が増すってことよね……!?

 あせるアイリをよそに、サイラスは話を続けた。

殿でんの態度が大人のふるまいではなかったことは、お詫びのしようもございません。臣下一同、どうにかならぬかと手はくしているのですが」

 王のあの態度はクリスティーナの手紙の通り、宮廷でも問題ごとであるのか……。

 しかし、だ。真の暴君であるならば、自分の婚姻は自分自身が望む相手をごういんにでも選ばないだろうか。アイリの目にはぼうというか、ずいぶん投げやりに見えた。

「失礼ですが、サイラスさん。陛下が、先王陛下のお決めになった婚姻を歓迎しておられない、ということは……もしかして、陛下には、他に思いを寄せておられる女性が?」

 どきどきしながら確認を取ってみれば、サイラスはきっぱり否定した。

「いいえ、そういうわけではございません。何しろ忙しすぎて、この二年、特定の女性と懇意になるひまもありませんでしたから。ご安心ください、異性よりも同性の方が好きというわけでも、社会的に問題になるほど性的なこうとくしゅというわけでもございません」

 そこまでは聞いていない。

 どこまでも無表情をくずさないこの近侍長は、じょうだんを言っているのか、それとも全部が本気なのか、やはりわからない。

「えっと……大変、だったんですね?」

 はっきりしているのは、それだけだった。

「そうなのです。本当に、実に、まことに、ここまでこぎつけるのは大変だったのです。どうか広いお心で、そこのところをご理解いただければと」

 当たり障りのないあいづちを打つしかないアイリであるが、若くして王位をけいしょうした銀狼陛下には、それ相応の苦労があるだろうと想像するくらいはできる。

 ギルハルトの父である先代の王は、まつりごとにじょさいはないが、大変なきょうらくだったという話だ。

 そのほうらつのせいでかたむきかけていた財政を立て直すのに、ギルハルトはしんしたとのこと。先王に仕えていた旧臣も派手好みのくせものぞろいというのがもっぱらの評判で──。

 ちなみに叔父によれば、『派手好みの曲者』の筆頭が先ほどすれ違ったグレル侯爵という話である。

「ところでレディ。今回の婚約、どういう経緯で決められたかご存じですか?」

「は、はい。もちろんです」

 ルプス国に神話としてかたがれるはるか昔の建国物語によると、初代国王は天のつかわしたおおかみの姿をした神であり、ベルンシュタイン伯爵家の始祖はそのろうしんけいやくした聖女だとされている。

 両者契約の後、狼神は人の姿をとりじんろうとなった。

 人狼の王は、にんげんばなれした恐るべきりょりょくとカリスマ性を備えたという。

 建国以来、王家は玉座につく者がてんけいを得たタイミングでベルンシュタイン伯爵家の血を引く娘を王妃としてむかえ入れるのが慣習となった。天啓とはつまり、当代の王がちゃくぼんさ──神のしんたる人狼の血をいだしたときだ。

「陛下は、この『神話』がお気にさないのですよ。困ったものです」

「どうして、お気に召さないんでしょうか」

「現実的なんですよ、我が王は」

 実際、建国の神話を実話と信じている大人は、このルプス国においてもよほど信心深い者くらいではなかろうか。そこまで考えてアイリははっとする。

 ──現実的に、慣例通りにしたくない、ということは!

「陛下が我が伯爵家との婚姻に乗り気でないのは、もしかして、神話を信じていないから、ということなんですか? だから、あのようにご機嫌が悪かったのでしょうか」

「信じていないというより、認めたくないのです」

「は……ええ?」

「あの方は、聖女を娶れば、自分があたかもけもののように扱われるのでは、といとうておられるのです。神話を認めれば、自分が人狼だと認めるようなものでしょう?」

「人狼は神様の化身で、尊ばれる存在なんですよね? 獣扱いだなんて……」

 銀狼王と称されるほどに資質に富んだ、若く美しい王。彼の父親が天啓を得たというほど才を認められたというのに、それを厭うとは、これいかに?

 義理の両親の元、小間使いよろしく走り回り、地味に静かに周りに迷惑をかけないよう細心の注意をはらって暮らすのがせいいっぱいなアイリにはとうていわからない心情だった。

 王の気持ちはともかくとして、である。

 ──どうしよう……まさか、陛下が神話をきらっていらっしゃるなんて。

 創国の神話は、王家とベルンシュタイン伯爵家との婚姻のこんきょでありいしずえなのだ。

 神話が否定されてしまえば、伯爵家の存在意義が失われるということだ。王の一声ではいされてもおかしくない。そうなれば、ただでさえ家計が火の車な伯爵家は確実にしっついする。最悪、しゃくを召し上げられてしまうだろう。

 ──ベルンシュタイン伯爵家が、つぶされてしまう!?

 真っ青になるアイリに対して、サイラスは追い打ちをかけた。

「最初に申し上げておきますが、レディ・クリスティーナ。あなた様は婚約者ではありません」

「…………は?」

 ──身代わりが、バレた……?

 衝撃のあまり気を失いそうになるアイリに対して、首席近侍長はたんたんと告げた。

「失礼、言葉が足りませんでした。正式には、あなた様は婚約者ではありません」

「それは、どういう──」

「ええ。先王陛下が天啓を得たのは、あくまで嫡子に対して。あなた様は、あくまで、王太子の婚約の候補者としてあらかじめ選ばれていた、それだけなのです」

「…………?」

「つまり、あなた様はまだ月の聖女と認められてはいないのです。月の聖女と成るためには、これから七つの『しき』をとっしていただく必要があります」

「儀式……」

「宮廷としては、ベルンシュタイン伯爵家から推されたおじょうさんを、便べんじょうは婚約者とするのですが、正式には、儀式をすべてこなさなければ婚約に至ることはないのです。正式な婚約者こそが、初めて『月の聖女』としょうされます」

「それは……知りませんでした」

「ええ、ご存じないでしょう。何しろ前回、月の聖女が王の妃になったのはもう百年も昔のことですからね。しかも、『儀式』の存在は王家の伝承にってはいるのですが、特に中身のないれいとして伝わっていましたから」

 クリスティーナも儀式の存在など知らなかったはずだ。

 もしもあの妹が知っていれば、たとえであったとしてもアイリにこっそり教え、練習を手伝わせていただろう。クリスティーナは決まり事を馬鹿正直に守るなんて、おろかなこうだと考える性質である。ちょうじりさえ合えば、それでいいと。

 アイリの目には、そういう妹の生き方はずいぶんかろやかに見えていた。たまにうらやましいとは思うけれども、目の前の問題をひとつひとつ解決するのがやっとの自分には到底できそうにはない。

「『儀式』を順序に従ってこなしさえすればそのまま婚約式。婚約者として王妃教育を一年間受けていただき、あなた様はめでたく王妃に収まるというわけです。本来であれば」

 よどみのないサイラスであるが、説明に引っかかりを感じた。

「『本来であれば』……?」

 アイリのつぶやきに、わずかに視線を落としたサイラスはメガネを押し上げてから淡々と回答する。

「当代の陛下は、少しばかり『儀式』の難易度が高いのですよ」

「それは、どういった?」

「実際にちょうせんしていただかなければ、私からはなんとも申し上げられません」

「失敗することもある、ということですか……?」

「いかにも。儀式の日程は約二週間を予定しています。クリスティーナ様には今日からお時間をちょうだいしたく……突然のことでまことに申し訳ございません」

 慇懃に頭を下げる近侍長をぼうぜんと見つめて、アイリはあせをかいていた。

 これは、とんでもないことになってしまった。

 暴君と噂される王のご機嫌を取りつつ、身代わりの秘密を守りつつ、何をするかも明かされない『儀式』とやらにいどまねばならないなんて──。

 ──私が、『攻略法』を教えてほしいくらいなんですが!?

 サイラスによれば、『儀式』に失敗すれば、ベルンシュタイン伯爵家のけつえんから新たに婚約者の選定が行われるという。

 要するに、クリスティーナの身代わりとして今ここにいるアイリが失敗してしまえば、本物のクリスティーナが婚約者から外されてしまう、ということなのだ。

 だから約二週間、妹が見つかるまでの間、何が何でも、その儀式とやらに失敗しないよう、しのぎきらねばならない。さらに、妹とスムーズにバトンタッチできるように道筋を整えておく必要があって──。

 ──ハードミッションが過ぎない……!?

 ちなみにクリスティーナが婚約者からはいされたとして、その姉のアイリが新たな婚約者候補になることはありえない。愛娘を王妃に据えることへあれだけしつしていた叔父である。悲願が絶たれたその時、養女のアイリを推しはしないだろう。

 アイリ自身、自分のような地味な娘が王妃候補に挙がるとは夢にも考えない。というか、まさに今、身代わりとして罪をおかしている真っ最中なのだ。『私には無理です』と全力で謝って泣いて逃げ出したいところだが、さいはとうに投げられている。

 アイリ・ベルンシュタインに課せられた役目は亡き父の分まで、ベルンシュタイン伯爵家のあんねいを守ることなのだから。

 なみだを飲み込んだアイリは、必死で思考を巡らせた。

 ──ええっと……『儀式』を通過できなければ婚約に至らない。ということは、逆に考えれば、妹が見つかりさえすれば、私がニセモノでした、と正体を明かした上で儀式に失敗してみせればいいのよね?

 妹の身代わりをしていた咎めは当然、かくしなければならないが、そもそも王にとって、この婚約は乗り気ではない。アイリより何もかもが華やかで社交も心得る妹が本来の婚約者でした、というオチが待っていれば、王のご機嫌がよくなる可能性だってある。

 アイリの経験をみ台に、クリスティーナが儀式をかんぺきにこなしさえすれば、伯爵家の体面が保たれ、王も満足し、みんなが幸せになるはずだ。

 ここまで考えたアイリは少しだけ前向きな気持ちになった。

「レディ・クリスティーナ。王宮滞在につきまして、何か必要なものはありますか?」

「あ、はい。ノートを一冊いただけると助かります。日記をつけるのが日課でして」

「承知しました。手配しておきましょう」

 ノートには日記ではなく、銀狼王の『攻略法』を書き留めるつもりだ。叔父のしょもうした通り、それこそが妹をスムーズに王妃へ至る道に戻すカギとなるだろう。

 難しい仕事だろうが、逃げ場もなければ泣き言を言う相手もいない。アイリにできることは、やはり目の前のことをこなすことだけ。

 ──ともかく今晩は、ぐっすりねむって英気を養おう。明日からがんばるぞ!

 心の中で意気込んだ、その時である。

 サイラスが、おごそかに告げた。

「ではさっそくですが、一つ目の儀式を行います」

「…………へ?」

 ぞろぞろと女中が部屋に入ってきて、アイリを取り囲んだ。

「儀式って……もう日が暮れましたよ? サイラスさん、いったい、何を」

「儀式の内容は、いたってシンプルです。今夜一晩、陛下と二人きりで、同じしんしつで過ごしていただきます」

 とつじょとして襲いきた試練は、みみに水。そのあまりの想定外に、アイリはおのれに課せられた重大な使命も忘れて放心し──。

「ええええええええええ────!?」

 貴族令嬢としてのぎょう作法までもことごとく吹っ飛ばしたあわれな身代わり婚約者の悲鳴は、王宮中にとどろくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る