1-3
◇◆◇
アイリは王宮に残され、付き添いの叔父は帰らされた。
今日は顔合わせの謁見だけ、という話であったし、それ以上の心づもりをしてこなかったアイリに対して、メガネの近侍長は言った。
「これまで婚約者のあなた様に対し、我が王はろくろく交流しようとしてきませんでした。きっと不安に思われていたことでしょう。我が王に代わり、お詫びを申し上げます」
慇懃なこの謝罪もやはり無表情であるので、
「陛下は……お
「ええ、非常に」
謁見中にまで、
「多忙を
確認を取られうなずいてみせるが、アイリは内心で頭を
妹がどこにいるのか見当もつかない現状、単なる
──ずっと滞在していたら、身代わりがバレる危険が増すってことよね……!?
「
王のあの態度はクリスティーナの手紙の通り、宮廷でも問題ごとであるのか……。
しかし、だ。真の暴君であるならば、自分の婚姻は自分自身が望む相手を
「失礼ですが、サイラスさん。陛下が、先王陛下のお決めになった婚姻を歓迎しておられない、ということは……もしかして、陛下には、他に思いを寄せておられる女性が?」
どきどきしながら確認を取ってみれば、サイラスはきっぱり否定した。
「いいえ、そういうわけではございません。何しろ忙しすぎて、この二年、特定の女性と懇意になる
そこまでは聞いていない。
どこまでも無表情を
「えっと……大変、だったんですね?」
はっきりしているのは、それだけだった。
「そうなのです。本当に、実に、まことに、ここまでこぎつけるのは大変だったのです。どうか広いお心で、そこのところをご理解いただければと」
当たり障りのない
ギルハルトの父である先代の王は、まつりごとに
その
ちなみに叔父によれば、『派手好みの曲者』の筆頭が先ほどすれ違ったグレル侯爵という話である。
「ところでレディ。今回の婚約、どういう経緯で決められたかご存じですか?」
「は、はい。もちろんです」
ルプス国に神話として
両者契約の後、狼神は人の姿をとり
人狼の王は、
建国以来、王家は玉座につく者が
「陛下は、この『神話』がお気に
「どうして、お気に召さないんでしょうか」
「現実的なんですよ、我が王は」
実際、建国の神話を実話と信じている大人は、このルプス国においてもよほど信心深い者くらいではなかろうか。そこまで考えてアイリははっとする。
──現実的に、慣例通りにしたくない、ということは!
「陛下が我が伯爵家との婚姻に乗り気でないのは、もしかして、神話を信じていないから、ということなんですか? だから、あのようにご機嫌が悪かったのでしょうか」
「信じていないというより、認めたくないのです」
「は……ええ?」
「あの方は、聖女を娶れば、自分があたかも
「人狼は神様の化身で、尊ばれる存在なんですよね? 獣扱いだなんて……」
銀狼王と称されるほどに資質に富んだ、若く美しい王。彼の父親が天啓を得たというほど才を認められたというのに、それを厭うとは、これいかに?
義理の両親の元、小間使いよろしく走り回り、地味に静かに周りに迷惑をかけないよう細心の注意を
王の気持ちはともかくとして、である。
──どうしよう……まさか、陛下が神話を
創国の神話は、王家とベルンシュタイン伯爵家との婚姻の
神話が否定されてしまえば、伯爵家の存在意義が失われるということだ。王の一声で
──ベルンシュタイン伯爵家が、
真っ青になるアイリに対して、サイラスは追い打ちをかけた。
「最初に申し上げておきますが、レディ・クリスティーナ。あなた様は婚約者ではありません」
「…………は?」
──身代わりが、バレた……?
衝撃のあまり気を失いそうになるアイリに対して、首席近侍長は
「失礼、言葉が足りませんでした。正式には、あなた様はまだ婚約者ではありません」
「それは、どういう──」
「ええ。先王陛下が天啓を得たのは、あくまで嫡子に対して。あなた様は、あくまで、王太子の婚約の候補者としてあらかじめ選ばれていた、それだけなのです」
「…………?」
「つまり、あなた様はまだ月の聖女と認められてはいないのです。月の聖女と成るためには、これから七つの『
「儀式……」
「宮廷としては、ベルンシュタイン伯爵家から推されたお
「それは……知りませんでした」
「ええ、ご存じないでしょう。何しろ前回、月の聖女が王の妃になったのはもう百年も昔のことですからね。しかも、『儀式』の存在は王家の伝承に
クリスティーナも儀式の存在など知らなかったはずだ。
もしもあの妹が知っていれば、たとえ
アイリの目には、そういう妹の生き方はずいぶん
「『儀式』を順序に従ってこなしさえすればそのまま婚約式。婚約者として王妃教育を一年間受けていただき、あなた様はめでたく王妃に収まるというわけです。本来であれば」
よどみのないサイラスであるが、説明に引っかかりを感じた。
「『本来であれば』……?」
アイリのつぶやきに、わずかに視線を落としたサイラスはメガネを押し上げてから淡々と回答する。
「当代の陛下は、少しばかり『儀式』の難易度が高いのですよ」
「それは、どういった?」
「実際に
「失敗することもある、ということですか……?」
「いかにも。儀式の日程は約二週間を予定しています。クリスティーナ様には今日からお時間を
慇懃に頭を下げる近侍長を
これは、とんでもないことになってしまった。
暴君と噂される王のご機嫌を取りつつ、身代わりの秘密を守りつつ、何をするかも明かされない『儀式』とやらに
──私が、『攻略法』を教えてほしいくらいなんですが!?
サイラスによれば、『儀式』に失敗すれば、ベルンシュタイン伯爵家の
要するに、クリスティーナの身代わりとして今ここにいるアイリが失敗してしまえば、本物のクリスティーナが婚約者から外されてしまう、ということなのだ。
だから約二週間、妹が見つかるまでの間、何が何でも、その儀式とやらに失敗しないよう、しのぎきらねばならない。さらに、妹とスムーズにバトンタッチできるように道筋を整えておく必要があって──。
──ハードミッションが過ぎない……!?
ちなみにクリスティーナが婚約者から
アイリ自身、自分のような地味な娘が王妃候補に挙がるとは夢にも考えない。というか、まさに今、身代わりとして罪を
アイリ・ベルンシュタインに課せられた役目は亡き父の分まで、ベルンシュタイン伯爵家の
──ええっと……『儀式』を通過できなければ婚約に至らない。ということは、逆に考えれば、妹が見つかりさえすれば、私がニセモノでした、と正体を明かした上で儀式に失敗してみせればいいのよね?
妹の身代わりをしていた咎めは当然、
アイリの経験を
ここまで考えたアイリは少しだけ前向きな気持ちになった。
「レディ・クリスティーナ。王宮滞在につきまして、何か必要なものはありますか?」
「あ、はい。ノートを一冊いただけると助かります。日記をつけるのが日課でして」
「承知しました。手配しておきましょう」
ノートには日記ではなく、銀狼王の『攻略法』を書き留めるつもりだ。叔父の
難しい仕事だろうが、逃げ場もなければ泣き言を言う相手もいない。アイリにできることは、やはり目の前のことをこなすことだけ。
──ともかく今晩は、ぐっすり
心の中で意気込んだ、その時である。
サイラスが、おごそかに告げた。
「ではさっそくですが、一つ目の儀式を行います」
「…………へ?」
ぞろぞろと女中が部屋に入ってきて、アイリを取り囲んだ。
「儀式って……もう日が暮れましたよ? サイラスさん、いったい、何を」
「儀式の内容は、いたってシンプルです。今夜一晩、陛下と二人きりで、同じ
「ええええええええええ────!?」
貴族令嬢としての
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます