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 王のきんという男に通された謁見の間にて、待たされること三十分。

 ドカドカとろうの向こうからちょうの音が聞こえてきたかと思うと、ようやく姿を現して座についた若き王は、婚約者とその父親の来訪をねぎらいもしなかった。

 開口一番、舌打ち交じりにつぶやく。

「……グレル侯の次は、コレか……」

 ルプス国王ギルハルト・ヴェーアヴォルフは、すさまじく不機嫌だった。

 めいわくだ、と言わんばかりのとげとげしいふんに、アイリはおどろきをとおして、呆気あっけにとられていた。

 ──そちらから呼び出しておいて……!?

 謁見の場である。当然、口には出さない。

 となりに控える叔父も、王の態度にひるんだようではあるが、不満を顔にすら出さなかった。この叔父、自分より権力のある相手にはめっぽうへりくだるのだ。

 謁見中であるにもかかわらず、王はじゅうに持たせていた書類を右手に、左手には何やら飲み物の入ったカップをひったくるように取り上げると、書類に集中し始めた。

 じゃをするな、とばかりにピリピリとしたものが伝わってくる。

 王の手にしたカップからは毒々しくすらある茶のにおいが放たれていて、この異様な空間をいっそうみょうな空気にしていた。

 暴君、という単語がちらつく頭の中、アイリは、とある可能性に行きあたる。

 自分のけっこん相手に対して、ここまで冷たい態度を取るとは、それも、自分から呼びつけた相手を前に書類仕事を始めるなんて──。

 ──まさか、陛下が不機嫌なのって、私がニセモノのクリスティーナだってすでに気づいていらっしゃるからなのでは……!?

 銀狼王と呼ばれるこの王は、暴君わくは置いておいて、思慮深く聡明であるともっぱらの評判だ。

 さらに、この一年の社交会シーズン、クリスティーナは熱心にとうかいやら茶会に出席し、『王の婚約者』として顔も名前も売れに売れているのだ。

 アイリと妹は、いとこなだけあり顔立ちこそ似ているものの、クリスティーナは肉感的な体つきなのに対して、アイリは叔父いわく『ひんそうな体つき』で体形が違っている。

 まがりなりにも婚約者である国王陛下が、クリスティーナの社交界での評判を承知していれば、かんを覚えることだろう。

 きんちょうにドキドキとどうが速いアイリは王の顔をまともに見られずにいる。というか、もはやバレるバレないよりも、けんのんさをかくす様子もなく、邪魔をすればのどぶえにでもみつきそうな気配さえ放つ銀狼王が、じゅんすいこわかった。

 ──気の立った犬って、こんな感じよね……。

 そう思うと、ほんの少しだけ気がまぎれる。

 伯爵家の飼い犬は、ベルンシュタイン家の誰よりもアイリになついて──というより、アイリだけにしか懐いていない。義理の弟にあたる十歳になる長男が犬がしいとせがみ、三日とたずにきた末に、アイリが世話を押し付けられたけいを持つ。

 我が家で育てたその犬よりもはるかにやんちゃな、所領の牧場で飼われている犬たちをアイリは思い出していた。現実とうである。

 飼い犬同様、牧場の犬たちは、しょに訪れた伯爵夫婦や妹に対してかくえたりうなったりするが、どういうわけかアイリが姿を現すとご機嫌になった。

 羊やヤギ、牛や馬、ともかく動物たちはアイリに寄ってきてはすりすりと甘え、やがて撫でられる順番をめぐってけんぼっぱつし、メーメーヒヒンとおおそうどうに──。

 ──したわれているのか、おもちゃにされているのか、よくわからなかったわ……。

 のうに展開されるのは、動物にもみくちゃにされたおくで、現実逃避にはふさわしくなかったようだ。仕方なく、アイリは目の前の現実と向き合うことにする。

 暴君、という前情報もあいまって、直視するのもはばかられたが……その姿を初めてたりにした途端。

 ──なんてれいなお方だろう……!

 アイリはかみなりに打たれたようなしょうげきを受けていた。

 戴冠式の日、はるか遠目にしか見たことのなかったギルハルト・ヴェーアヴォルフはせいかんおもちの、びっくりするような美男子だったのだ。

 やわらかそうな銀色の髪。かたはばは広く、がっしりとした体格をしているが、優雅に組まれた足はすらりと長く武骨な印象は覚えない。

 機嫌悪そうにけんに深くしわが刻まれていようが、それすらようとしてりょくを放つ。書類に落としたまなざしのけだるさは不思議な色気をはらんでいて、見る者をどきっとさせる。

 妹の付き添いで出かけた社交の場で、せいそうをした貴族男性は大勢見てきたアイリだが、銀狼王とあだ名される彼はその誰とも違っていて、視線をらすことができなくなった。

 そんなアイリに目もくれないギルハルトは、叔父が口を開こうとするのを顔も上げずに手だけで制すると、そばに控えさせていたメガネをかけた従者に言う。

「サイラス。この件は勝手に進めろ、おまえに一任する」

 なぜだか、どこかあてつけがましい口調で命じられた『サイラス』と呼ばれた彼はアイリたちをここまで案内してくれた男性だった。自らを首席近侍長だとしょうした背筋のピンとびたサイラスは、「お言葉ですが」とギルハルトに返す。

「陛下、ご自分でお決めにならないと、あとでご機嫌が悪いでしょう」

「自分で決める、だと? ベルンシュタイン伯爵家から妃をめとると決めたのは俺じゃない、先代だ。今日の日取りも、サイラス、貴様が勝手に手配しやがっただろう」

「ええ。『おまえに一任する』とおっしゃったので」

 その結果の機嫌の悪さだとすれば、なるほど、サイラスの言は正しいようだ。

 ギルハルトは忌々しそうにするどい視線を返す。にらまれた本人ではないアイリでもふるえあがるようなけんまくは恐ろしいが、サイラスはすずしい顔をしている。


 二人のやりとりから読み取れるのは、銀狼陛下は、先王が勝手に決めたベルンシュタイン伯爵家とのえんだんをまったくかんげいしていない、ということだ。

 ──『攻略法』なんて言っている場合ではないのでは……逃げたクリスティーナは正しいのかも……?

 半泣きになるアイリへと、サイラスは妹の名を呼んだ。

「レディ・クリスティーナ」

「え、は、はい」

「失礼ながら、お噂はかねがねうかがっております。あなた様は社交的で物おじしない華やかな女性だと聞き及んでいますよ」

 それはもちろん、アイリではなく本物の婚約者クリスティーナの評判だ。

「ほら、陛下、あなた様がそんなふうだから、おかわいそうに婚約者様はあんなにも委縮なさっているではありませんか」

 どうやら、いい具合にかんちがいしてくれているらしいサイラスのとりなしに、しかしギルハルトはいらいらとぎんぱつをかき上げ、き捨てた。

「女なんてどれも同じだ、任せる」

 そこから話がはずむことはなく、謁見を打ち切った王はやはり不機嫌そうに去っていった。

 それを見送ったサイラスはアイリに向かっていんぎんに頭を下げる。

「レディ・クリスティーナ。どうか、我が主君の無作法をお許しください」

 無表情である。あまり感情が表に出ない人なのだろうか。それでも、こうしてびているのだし、として進まなかった婚姻をすすめてくれているのもどうやらサイラスであるらしく、むしろ感謝せねばなるまい。

「い、いえ。お気になさらないでください」

 不機嫌丸出しのギルハルトの態度は恐ろしかったけれど、正体を疑われたり、無理難題をっかけられたり言いがかりをつけられたりしなかったのだから、あんしていた。

 今回に限っては、王が婚約者に興味がないというのは、不幸中の幸いだ。

 何しろ『暴君』である。下手に興味を持たれれば、早々にあやしまれ身代わりが露見しても不思議はなかった。この場で『首を切る』なんてを下されかねなかったのだ。

 ──ともかく、今日のところは乗りきった、よね……?

 緊張にこわばっていた体からアイリはゆっくりと力をいた。ボロが出る前に退散しようと、サイラスにごまをするべくすり寄ろうとしている叔父に目顔でうったえるが。

「レディ・クリスティーナ」

「は、はいっ!?」

 妹の名で呼ばれて、なぜだろうか、長年の間につちかわれたろうしょうセンサーが反応した。いやな予感がしてならないアイリである。

とつぜんで恐れ入りますが、あなた様には王の婚約者として、王城にしばらくたいざい願いたく存じます」

「…………はい?」

 不幸にも、嫌な予感は的中する。

 この日から、妹のかげのように静かに地味に生きるよう心がけてきたアイリ・ベルンシュタインに、数々のとんでもない試練が襲いかかるのだった。


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