1.身代わり婚約者は命がけ?

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 アイリはに連れられ、ルプス国の王宮をおとずれていた。

 えっけんひかえて身につけているドレスは、アイリが今まで一度も着たことのないはなやかなしょうだった。しかし、自分のものではないのでサイズが合っておらず歩きにくい。アイリは、妹よりも少しだけ背が高くそうしんなのだった。

 ドレスとアクセサリーの色合いも、妹の明るいへきがんに合わせたもので、アイリのあいいろひとみに合ってはいないが、アイリの所持している衣装はどれもきゅうていにふさわしいとは言いがたいので仕方がない。

 アイリの実の母親はアイリが生まれた時に、そして、実の父親はアイリが二歳の時にくなった。亡き母ののこしたものを直し、大切に着ているドレスは、どれも古いデザインばかりなのだ。

「あの……叔父様? 本当に、へいはいえつするのが私でよろしいのですか? 叔父様は昨晩、ちがいなく今日、クリスティーナを拝謁させなければならないと……私は、クリスティーナではありませんし、クリスティーナが輿こしれするのは、先代の王陛下とのお約束なのでは」

「当然だ。かわいいクリスティーナより他に、この国のおうにふさわしいれいじょうがいるはずがないだろう。地味でえのしないおまえには、とりあえず王をなだめてほしいと言っているだけだ。地味で見栄えはしないがな!」

 ──なんで『地味で見栄えのしない』って二回言ったのかしら……。

 本当のことではあるし、てきをすれば十倍にしてり返されるのが常であるので、いつものように聞き流してから、アイリはかくにんを取った。

「叔父様は、私に『陛下のぜんでクリスティーナのフリをしろ』とおっしゃっているのですね?」

 アイリは今年十七歳。妹は十六歳の一歳ちがいだ。本来いとこ同士なだけあり、二人は顔かたちがよく似ていて、かみの色も同じ金。瞳の色と体型は多少違っているしアイリは地味な服装しかしないが、もしもよそおいが似通っていれば他人が見分けるのは困難だろう。

 だから一日だけ身代わりとしてす、といえばできないこともないかもしれないが……誤魔化す相手が相手である。

「それは自分で考えなさい。おまえの考えに任せるとしよう」

 叔父はしれっとして明言をけた。あたかもおうようを装っているが、つまり、アイリの責任でクリスティーナを名乗り、身代わりを務めろと命じているのだ。後々責められたときは〝アイリが言いだしたこと〟で済ませたいのだろう。

 一国の王をたばかり、それがけんしたとき、どれほどのとがおよぶのか想像もつかないアイリであるが、叔父はやはり鷹揚ぶって手をった。

「まあ、心配することはない。十年間、待ちに待たされて、クリスティーナはナーバスになっただけだ。すぐにもどってくる」

 妹が待ちに待たされた、というのは事実だった。こんやくしゃ同士であるはずの王と妹が対面したのは、十年間でたったの二回きり、それもほんの短時間である。

「おまえは、いつでも妹を支えてやってくれていただろう。かわいいクリスティーナが、つつがなく王宮に上がるための準備と考えればいい……そうだな、機嫌を損ねた時に備えてぎんろう陛下のこうりゃく法なんか用意してくれてもかまわんのだぞ? んん?」

 あまったるいねこごえで無茶苦茶な要望をする。

 養女として物心つく前から世話になっている養父は、いつでもこんな調子だった。アイリに対して無茶を命じるときだけ猫撫で声になる。目の前の問題を先延ばしにして、その場をつくろうことをかえす。

 いいかげんな行いの結果として、叔父としっそう中の妹のほうとうによってついやされたベルンシュタインはくしゃくの財産は目減りし続けていた。一人二人と使用人が減り続け、しきには使用人の数が足りていない。

 ぎりぎりのせっぱくしたきゅうじょうまんせい化して数年、今では使用人の仕事のいくつかをアイリが引き受けねば回らないほどなのだ。

「……わかりました。やるだけやってみます……」

 叔父の無茶にしょうだくせざるを得ないのは、養女の負い目に他ならない。

 これがアイリの日常なのだった。



 十年前、慣習によりベルンシュタイン伯爵家は、当時の王太子ギルハルト・ヴェーアヴォルフのきさき候補を、親族ふくむすめたちの中から一人すいきょするようにと王家から求められた。

 ベルンシュタイン伯爵は、迷わず実の娘のクリスティーナの名を挙げた。

 そして二年前、先王が男ざかりのねんれいで不幸にもやまいほうぎょし、ギルハルトが玉座についた。

 新王ギルハルトのゆうしゅうさは、あっという間にこうかんに知れわたった。

 けんすぐゆうもうかんりょぶかそうめいであり、見目もうるわしい。若き王は今では『銀狼王』とあだ名されている。

 そんなすばらしい人物が未来の夫になるのだから、クリスティーナには不満など何一つないはず、と言いたいところであるが、前述した通り、婚約が決まってからの十年間、クリスティーナが銀狼王と対面したのはたったの二回きり。二年前のたいかん式と、一年前の社交界デビューでの謁見のわずかな時間のみである。

 ぼうを理由にして王は臣民に対して婚約者のおなども行おうとはしなかった。

 未来の王妃として両親にちょうよ花よと大切に育てられたクリスティーナは、やがて社交界でひらひらと飛び回るようになった。

 月日は流れ──ついに、『婚約者と顔合わせがしたい』というお達しが王の署名付きで届いたのは、十日前のことだ。

 アイリの養父、カスパル・ベルンシュタイン伯爵は待ちに待った日の訪れに、こんにしている貴族を集めた。

『いやはや、我が娘が国母となる日も近いと言うわけですなぁ! がはははははは!』

 派手に祝賀会など開いて鼻高々、すっかりお祝いムードにかれきったベルンシュタイン伯爵家は、しかし、急転直下の大波乱におそわれることとなる。

 王との顔合わせを翌日に控えた夜、クリスティーナがなんのまえれもなく姿を消したのだ。そして、現在のアイリの窮状に至る。



 妹の手紙によると、銀狼陛下はおそろしい暴君とのことだ。

 社交界には妹のいでしか出たことのないアイリは、貴婦人たちとうわさばなしに花をかせたこともない。だから、どれほどしんぴょうせいのある話か不明であるが──。

「クリスティーナがうそをつくとも思えないし……」

 妹は決しておくびょうものではない。よく言えば勇気があり、悪く言えば大変に図太い。遊び好きではあるが、現実的な思考の持ち主である。

 その妹がげ出したということは、つまり、よほどの危機をさとってのことだ。アイリはそう察していた。

 幼いころからアイリは妹と明確に区別され育ってきた。華やかな妹とえいまいな王のこんいんは、常に地味で見栄えのしない装いとふるまいをしてきたアイリとは無関係であると、しつこいくらいに言い含められ、雲の上のお話だと承知してきたというのに──。

 ──銀狼陛下の攻略法を用意しろ、だなんて……。

 銀狼王と渡り合う自信もなければ、『暴君』をかいじゅうする方法をさぐるなど、無茶ぶりにもほどがある。

 興奮した犬や子どもをなだめるのは、なぜだか昔から異様にうまいアイリであるが、大人の叔父には通用しない。一国の王相手であれば言わずもがなというものだ。

 ──犬と子ども、と言えば。

 そうれいな王宮のかいろうを歩きながら、前を歩く叔父に対して気がかりを問うてみる。

「『攻略法』を探り出す、ということはクリスティーナが見つかるまで、何度か陛下にお会いしなければならないんですよね? その間、だれがカールとジョンと、様のめんどうを見るのですか……?」

 カールというのは弟で、ジョンというのは飼い犬だ。

 ベルンシュタイン伯爵家において、アイリは日々、大変に多忙である。

 ていまいの世話と犬の世話、本来であれば伯爵夫人である叔母が仕切るべき使用人たちのとりまとめ、名門貴族の箱入り令嬢として何不自由なく育ってきた叔母の世話までもがアイリの仕事となっていた。

 叔父が遊び人でゆいいつ助かるとすれば家にいつかないことだろう。もしも四六時中家にいれば、負担は何倍にもアイリにふりかかっていたはずだ。

 たとえば、たまたま叔父が在宅しているときに、だんそうまでもアイリが引き受けすすだらけになっていると、『ベルンシュタインの娘としてみっともないことをするな、はじを知れ!』とののしられる。叔母は叔父に追従して非難めいた視線を向けるのみ。かといって、彼らがアイリの代わりに掃除することもなければ、使用人を増やすこともない。

 どんなに金欠でも叔父が派手な遊びをやめずにいたのは、愛娘まなむすめが未来の王妃であり、多額のゆいのう金や所領が手に入るのをあてにしきっていたからであり、クリスティーナのとうぼうに取り乱すのも無理からぬ話というわけだ。

「家の心配? そんなものより、王のげんそこねないことだけを考えなさい」

 犬はともかく、自分の妻とむすを『そんなもの』あつかいする叔父は、ハッとした様子で口をつぐむ。

 自らの暴言をじたからではない。回廊の向こうから、ぎらぎらとごうしゃな衣装をまとった貴族然とした男が、お付きの者をぞろぞろ従え歩いてきたからだ。

 きらびやかな中年の貴族男は、大きな羽根つきのぼうゆうなしぐさでぐと、叔父に向かってあいよくあいさつした。

「いやはや、ベルンシュタイン伯ではないか! ごきげんよう!」

「これはこれは! ぐうですなぁ、グレルこう!」

 一見、友好的にあくしゅわし合う両者であるが、別れの挨拶を交わした叔父はきらびやかな男の姿が見えなくなると、たんにハンカチで手をき始める。まるできたない物にでも触れたように、しつように指先までぬぐいながら、いまいましそうにあごをしゃくった。

「よーく覚えておけ。あの下品きわまりない男は我らベルンシュタインの敵! 月の聖女反対派の筆頭、グレルこうしゃくだ!」

「月の聖女反対派?」

「正確に言えば、『月の聖女を王妃にえる慣習に反対する貴族の一派』だな」

 叔父の話によると、ルプス国の一部の貴族から『ベルンシュタイン伯爵家から王妃をはいしゅつする慣習は無意味だ。完全にてっぱいせよ』との声が上がっているという。

 この慣習が最後に適用されたのは、もう百年も昔のこと。

 さらに、決定は当代の国王の独断であり、宮廷会議にもかけられることがない。創国から年を経るごとに適用にはかんかくがあいており、つまりは『時代にそくしていない』というのが反対派の言い分だ。

 もしも『定められた婚約者クリスティーナが逃亡しました』と露見すれば? 無責任かつ、先王陛下に対して不敬極まりないと反対派にとって大きな追い風になることだろう。

「今、反対派にすきを見せるわけにはいかんのだっ」

 だから、急病を理由に、クリスティーナが拝謁を欠席するわけにはいかなかった。

「『病がちな令嬢が、はたして銀狼陛下の妃にふさわしいでしょうかねぇ?』なーんていやを言うに決まっておるわ! あのごうつくばりのじゃくろうめがっ」

 叔父はぶちぶちとまくしたてる。

「なぁにが『時代に即していない』だ、ばち当たりどもめ! それらしいくつをつけて自分の娘を王妃に据えるチャンスをほっしておるだけではないか! 自己中心的でごうよくな、えたぶたどもにえさをくれてやるものか。よいか、アイリよ。絶対に、この難局を乗り切るぞ!」

 自分の身勝手をたなに上げて調子よくしてくる叔父に閉口し、もはやアイリには返事をする気力もないのだった。

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