身代わり婚約者なのに、銀狼陛下がどうしても離してくれません!

くりたかのこ/ビーズログ文庫

序.非日常は突然に


 ベルンシュタインはくしゃくのタウンハウスにて。みみに水の大事件が起こったのは、当主とその愛娘まなむすめによる国王へいへのえっけんを翌日にひかえた夕刻のことだった。

さがさないでください』

 それだけが記された置き手紙を前にして、ベルンシュタイン伯爵夫妻は目をいていた。

「クリスティーナの姿がない……? おまえたち、本当によく捜したのか!?」

「ああ、クリスティーナ! おうになる重圧にえられなかったのね……マリッジブルーと言ったかしら……不安に気づいてあげられなかったなんて、かわいそうなことを」

 愛娘のしっそうに、伯爵は責任の所在を求めてヒステリックにさわぎ立て、夫人はなげくばかり。使用人はすくみ上がり、飼い犬はキャンキャンえたて、幼いむすごうきゅうしている。

 この混乱のただ中、アイリ・ベルンシュタインはひとり頭をかかえていた。つい先ほど、自室でみつけた自分ての手紙を背にかくして手の内でにぎりしめる。

 それは、失踪したクリスティーナ──アイリの義理の妹からの手紙だった。

『お姉さまへ  あたくし、ぎんろう陛下のところへ行きたくなくなりましたの』

 クリスティーナは続けて失踪の理由を記していた。

 きゅうていいんぺいしようとしているが、数か月前から『銀狼陛下』は精神的さくらん状態におちいっている、と。

 社交界でこんになった宮廷関係者から得た極秘情報によれば、陛下は暴君になり果てた、とのことだ。気に入らない臣下に暴言をき、けんいてはぼうぎゃくの限りをくすという。

 すでにきょうじんつゆと消えたあわれな臣下もいるらしい──。

『そんなの、とってもこわいじゃない? お父様とお母様がショックを受けてはかわいそうだから、陛下が暴君だって話はくれぐれもナイショにしてちょうだいね!』

 ──暴君……? ナイショって……どうすればいいの!?

 ほんぽうな性格の義理の妹にまわされるのは、これが初めてではない。むしろにちじょうはん事なのだが……。

 アイリ・ベルンシュタインは、伯爵家の養女であり長女である。


 アイリの生まれ育ったこの国において、ベルンシュタイン伯爵家はとくしゅな一族だった。

 数百年の昔、異民族のしんこう退しりぞけ建てられたルプス国──その建国を果たした初代国王のきさきとなった女性の血を引くのがベルンシュタイン一族である。

 現代にまで、不定期ながらもベルンシュタイン伯爵家からの王妃はいしゅつは続いていて、そのふるはベルンシュタイン伯爵家を伯爵家たらしめる。

 前回、王妃を出してからもう百年はつのだが、伯爵家にとって何よりも優先し重んじるべき絶対のめいであることに変わりはなく、その絶対から妹がとうぼうしたのは、せいてんへきれきと言っておおげさではない。

 なんとか場の冷静をもどそうと、アイリは伯爵に進言した。

「叔父様? とりあえず、クリスティーナは〝急病〟ということにしませんか? あの子を捜す時間をかせぎましょう」

 建設的な提案をしたつもりだったが、伯爵は目を剝いてアイリに対しり返す。

「それはならんっ!」

「ど、どうしてですか……?」

「ええい、ならんものはならんのだ! ともかく、明日、ちがいなくクリスティーナをはいえつさせねば、伯爵家はぼつらくするものと心得ろ!」

「えええっ!?」

しゃくを落とされ領地をぼっしゅうされることだけは、なんとしてでもけねばならん──ただでさえ領地収入が減っ……ではなく、一族の名誉を守らねば、ご先祖様に顔向けができん! たのむ、頼むからクリスティーナ、戻ってきておくれ……!」

 両手を組み合わせて天にいのりをささげる叔父は、何やらぶつぶつと独り言をつぶやくばかりで、もうアイリの言葉など聞く気はないらしい。


 願いもむなしく、王宮へ上がる当日の朝になってもクリスティーナは戻ってこなかった。

 一晩中、広間のたくに座ったまま、組んだ手の上に額を当てていたベルンシュタイン伯爵は青ざめきっている。

 、弟、二人の使用人、犬、そしてアイリが見守る中、当主は口を開いた。

「……アイリよ」

「え、は、はい」

 名指しされるとは思っていなかったアイリがまどいながら返事をすれば、叔父はおうへいに言い放った。

「クリスティーナは、必ず捜し出して連れ戻させる。だから、とりあえずおまえが王宮に向かいなさい。おまえが、陛下に拝謁するのだ!」


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