花の家 〈4〉


 あれ以来、わたしは公園で過ごすたびに車道を気にしていました。

 気まぐれな父がまた現れることを期待していたのです。

 けれど結局、父が公園に現れることはありませんでした。


 夏休みが終り、秋になりました。

 学童のない土曜日や母の仕事が遅くなる日、わたしは相変わらず鴨川の河川敷にある公園で過ごしていました。


 土曜日の午後でした。

 母とお昼ご飯を食べたあと、わたしはあの公園にいました。母が残業している間、待つように言われていたのです。

「一時間ほどで終るから」と告げられていたわたしは、そわそわと時間が経つのを待っていました。

 時計などもっていないので、公園前の道を通りかかる人に「すみません」と声をかけては、時間を確かめます。

 何人目かに声をかけて、約束の時間まであと十五分ほどだと知ったときです。

 道路を挟んだ反対側の歩道に、女性が立っていることに気がついたのです。

 クリーム色の膝丈のスカートとぺたんとした黒い靴、紺色のカーディガンを羽織っていました。車が過ぎるのに合わせて、長い髪がひょろひょろと遊んでいるのが見えました。

 ──階段がふたつある家の、女性でした。

 魚が腐ったような臭いのする庭と、ピンク色の花が浸された炭酸水とが同時に思い出されます。

 女性は道路の向こう側から、じっとこちらを見ているようでした。笑うでも睨むでもなく、無表情にただわたしを観察しているのです。

 わたしは怖くなりました。父抜きであの女性と話してはいけない気がしたのです。

 咄嗟に踵を返して、河川敷の法面を少し下りました。女性から身を隠して、川伝いに法面を歩きます。

 そのままひとつ川上の橋まで行きました。

 そっと法面を上がって顔を出します。女性の姿は見えません。

 河川敷から歩道に出て、女性が立っていた方に目を凝らします。

 もう誰もいませんでした。


 わたしは道路を渡って、女性が立っていた歩道を歩いて母の職場へ戻ります。

 と、ちょうど女性が立っていた辺りに草が落ちていました。笹に似た葉っぱです。

 ──夾竹桃でした。

 もっとも、当時のわたしはその植物の名も毒性も知りません。

 ただ、あの家の、汚臭が漂う庭に咲いていた花の葉だ、ということはわかりました。

 歩道に落ちたそれは、まさにうち捨てられたように乱れていました。一部は踏み潰されたように汁を飛び出させています。

 わたしは草に近づかないように大きく距離をとって、歩道を抜けます。母の職場に向かって勢いよく走ります。


 以来、あの女性に会うことはありませんでした。

 父とあの女性との関係を知る機会はついぞ訪れませんでした。

 あの家の階段はなんだったのか。庭の洗濯機にはなにが隠されていたのか。そしてなぜ、初対面の小学生に夾竹桃の毒を飲ませようとしたのか。なにひとつわからずじまいです。

 ひょっとしたら、あの女性は父に対する嫌がらせとして、わたしに毒を盛ろうとしたのかもしれません。あるいは、純粋に父の子わたしという存在を疎ましく思ったのかもしれません。


 わたしがあの花が夾竹桃だと理解したのは、中学生になってからです。そのころには、父がわたしに会いに来ることもなくなっていました。

 記憶を頼りに、あの女性の家に行ってみようともしたのですが、辿り着けませんでした。

 きっとわたしは、毒を盛られた理由を知ることはないのでしょう。

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