子供部屋
第3話 子供部屋 〈1〉
不動産をやっている友人から「近くに来たからご飯でも」と呼び出されたのは、天気の良い梅雨入り前の午後でした。
鴨川を臨む二条通沿いのカフェで軽い昼食を摂り終えたわたしたちは、ぶらぶらと二条通を西へと歩いていました。手押し車とともに買い物に向かう老人たちや自転車に乗った学生たちが行き交っています。
ぽつぽつと雑談をしながら歩き、少し汗ばんできたころです。友人が足を止めました。ふ、と一棟のマンションを仰ぎました。古くからある、いわゆる高級マンションと呼ばれる一棟でした。
「先々月」友人は世間話ついでのような口調でした。「知り合いがこのマンションにタタキに入ってさ」
「なんて?」
思わず大きな声が出ました。『タタキ』とは強盗の隠語です。
「大丈夫。通報すらされてないから」
「なにも大丈夫じゃないし、全てがアウトだから」
友人は落ち着き払った様子で歩き始めました。いくらも行かず琵琶湖疎水に出ます。京都市立美術館のきらびやかな煉瓦造りの壁が遠くに見えていました。五分も歩けば平安神宮や動物園がある、観光地です。
わたしたちは黙って歩き続け、疎水沿いにある小さな喫茶店に入りました。京都らしく、間口が狭く奥に長い店です。
「ここのタルト・タタンが食べたくてさ」
友人は無邪気に笑います。マンション前での暴言が嘘のようです。そんな友人を横目に、わたしはガトー・オペラとコーヒーを注文しました。
アンティーク調の店内には小さく音楽が流れています。タルト・タタンに掛けられたヨーグルトソースをフォークで伸ばしながら、友人は「さっきの話」と小声で言いました。
「気にならない?」
「ならない」即答します。「気にしない。わたしの信条は『危ないモノには近づかない』。どっからどう聞いたって厄ネタ確定案件には絶対にかかわらない!」
はは、と友人が声を上げて笑いました。あまりにも大きな笑い声だったので店員さんがギョッとこちらを向いたくらいです。
「あ、すみません」と友人は素早く謝りました。まるで常識人の対応です。
わたしは舌打ちを耐えます。
どう考えても、目の前に座る友人こそが厄ネタそのものなのです。この友人との付き合いを続けているくせに『厄ネタにはかかわらない』と言うわたしは、自分の矛盾と滑稽さに気がついています。
嘆息して、「気にしないけど」と白旗をあげます。
「話したいなら、聞いてやらなくもない」
友人によると、その部屋に住んでいるのは元医師の老婆だそうです。現役を引退して、ひとり暮らしをしているといいます。
金庫に当座のちょっとした現金と宝石を入れている、という情報を得て、男ふたりが宅配業者を装って押し入ったのです。
男たちは粘着テープで老婆を拘束し、寝室に置いてある金庫を見つけます。
ダイヤル錠の解除番号を聞き出そうとして、男たちは間抜けにも老婆の口をテープで塞いでしまっていたことに気がつきました。
ひとりが老婆のテープを剥がそうとしますが、髪の毛を巻き込んでしまっていてうまくいきません。ナイフだハサミだ、と四苦八苦しているうちに、もうひとりの男は手持ち無沙汰で室内を物色し始めました。
リビング・ダイニングの食器棚から『新聞代』と書かれた封筒に入った現金を見つけて懐に入れたとき、ふと違和感を覚えたといいます。
事前情報では、この部屋は3LDKということでした。
玄関を入ってすぐ右手に書斎として使われている一室が、左手に風呂とトイレがあります。短い廊下を抜けると左手にキッチンがあり、広いリビング・ダイニングです。テープで巻かれた老婆が転がり、仲間の男がハサミを駆使して老婆の口を自由にしようとしています。
リビングの奥は金庫のある寝室です。
一室足りない。
食器棚の前で立ち尽くした男は、はっと気づいて横を見ました。
「いや」と思わず声が出たといいます。「食器棚の横に洋服ダンスて、おかしぃやろぉが」
仲間の男が「あ?」と振り返りました。男は得意げに自分の気づきを語ります。
部屋が一室足りないこと、食器棚の真横に置かれた洋服ダンスのこと。
「これ、タンスで部屋の入り口塞いでんにゃで」
「なんでそないなことせんなんねん」
仲間の男は呆れた様子で取り合いませんでしたが、途端に老婆の顔がこわばったといいます。
男は壁からタンスを引き剥がすべく、手がかりを求めて身を屈めました。そのとき。
老婆が絶叫しました。テープで口を塞がれているために不明瞭ではありましたが、確かに「やめて」と聞こえたといいます。
「そこを開けるなら、わたしを殺してからにして」と懇願し始めました。
その狼狽ぶりに、仲間も態度を変えました。きっとタンスの奥にとんでもない隠し事があるのです。
ふたりは嬉々としてタンスに手を掛けました。力業でズリズリと引っ張ります。
ゴンッ! とものすごい音が玄関からしました。
驚いて振り返れば、床に転がっていたはずの老婆の姿がありません。
ゴンッ! と玄関の鉄扉を叩く音が響きます。
見れば、手足をテープで巻かれた老婆が玄関扉に頭を打ち付けていました。頭を割らんばかりの勢いに、男たちは戦きました。
そして、その音で誰かが駆けつけてくることを危惧しました。
ふたりは老婆を押し退けて、逃げ出したというのです。新聞代の四千円少々だけが稼ぎだったといいます。
老婆はその一件を通報もせず、今もその部屋でひとり暮らしを続けているのです。
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