不動産奇譚・京都編
藍内 友紀
201号室
第1話 201号室 〈1〉
不動産をやっている友人から妙な相談をされることがあります。
夜な夜な井戸から男の人のうめき声が聞こえる。夜になると天井裏から足音が聞こえてくる。誰もいないのに窓が叩かれる。などなど。
一度「どうして、
友人は鼻で笑ってから「だって」と答えました。
「オカルト案件なんていくらでも壺だの水晶玉だのを売りつけられるのに、いつも現実的なアドバイスをしてくるから」
確かにわたしは友人に怪しいブツを売りつけたことはありませんでした。売りつけるブツすら持ち合わせていません。そもそも、そんなものは必要ないのです。
前述の井戸は素人が雑に埋めたせいで上下水道と共鳴していただけです。業者に頼んで正しく埋め直してもらい、以降はなんの問題もなく暮らせているそうです。
天井裏の足音はアライグマの侵入だったので、これも業者を手配しました。住人曰く「アライグマがこんなに大きな足音を立てるデブだとは思わなかった」とのことでした。
窓が叩かれた件については、ご近所トラブルだったので弁護士を紹介して終りです。
不思議なことは大抵、冷静になれば不思議でもなんでもないのです。心のどこかで超常現象を期待しているがゆえの早とちりなのです。
けれど、それで解決できないことも確かに存在します。
友人から相談されたアパートは、鴨川にかかる三条大橋からずっと東に行き、山を越えたところにありました。薬科大が近いこともあり、学生向けのワンルームです。
相談──というよりクレーム──は202号室の住人から寄せられたといいます。曰く。
「深夜に201号室の住人が大きな声で歌っている」と。
相談者がやたらと「音痴のくせに」と悪態をつくのが気になったほかは、よくあるクレームだということでした。
「で、これもよくあることなんだけど」と友人は面倒くさそうに前置きしました。「201号室、二ヶ月前から空き部屋なんだよね。そんでクレームが来始めたのは一月半くらい前」
事故物件なのかと確認したのですが、返答はNOでした。
「事故物件になるほど古くないんだよ。築三年で、前の住人は新築のときから入っていて、今空き部屋なのも、その住人が出たから。アパートを建てる前は駐車場で、その前は民家。民家時代だって嫁姑問題すらなかったよ」
友人がやけに自信満々に断言したのは、わたしに相談する前に一通り調べたからだということでした。
「202号室の住人、結構神経質らしくって騒音問題が解決しないなら出ていくって言い張るんだよね。退去のとき慰謝料とか言われたらたまんない」
金一封出すから、とわりと本末転倒な誘い文句を告げて、友人はわたしを現地に連れて行ったのです。
地下鉄の駅から徒歩5分ほどの距離にある、学生向けのアパートでした。大通りから少し入ったところにあり、周囲は民家と田畑という静かな立地です。
通りから隠れたところにある外階段を上がって廊下のどん突き、201号室に案内されます。
狭い玄関には靴箱を置くスペースすらありません。上がってすぐ右手に風呂とトイレを押し込めたユニットバスがあり、左手にはコンロひとつでいっぱいになるキッチンが据えられています。その奥にフローリングのワンルームがありました。カーテンのない掃き出し窓から入ってくる西日で目が眩みます。
備え付けのエアコン以外はなにもない空っぽの部屋でした。
真っ先に電気がつくかを確認しました。部屋の電灯はもちろんのこと、エアコンのコンセントも抜かれています。
掃き出し窓の鍵は閉まっていました。鍵を開けて、表通りを見下ろすベランダを確認します。エアコンの室外機と物干し竿があるだけです。一面にうっすらと白い土埃が積もっていました。
「ここ、ライフライン全部停めてるの?」
「電気とガスは止まってるけど水道代は家賃に含まれてるから、外の元栓開けたら出るよ」
友人は靴も脱がずに玄関三和土に立っていました。
ベランダの窓を閉めて、キッチンにとって返します。レバー式の蛇口を上げて、水が出ないことを確かめます。シンクは水垢もなく銀色に輝いていました。
次いで風呂の水も同じように確認してから、天井にある点検口を開けます。排気ダクトが入り組んだ天井裏も埃でいっぱいでした。
人が住んでいる気配は──室内にも天井裏にもありません。
不法侵入者の生活音でないならば、と鞄から携帯型の盗聴器発見装置を取り出します。とはいえ家具もない部屋です。よく使用される受信周波数を試すだけで事足りました。
「クロ?」友人が玄関から訊きます。
「シロ」と明るい室内から答えました。「人の侵入した形跡もナシ。まあ、夜に帰宅してくるのかもしれないけど」
うへ、と変な声を漏らした友人は玄関扉を開けると「じゃあ、夜に」と言って出て行きます。
夜に再度集合して朝まで見張るコースで、という意味でしょう。その一言でそう理解する程度には、わたしと友人との付き合いは長いものでした。
結局、友人と再び合流したのは夜の十時を過ぎたころでした。
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