4.律――夏の友達
バックパックの鈴。それは紅葉模様の塗装が禿げて、鈍い金色が覗いている。
これは、『マコト』からもらった物だ。
マコト――俺が水白学園に入った理由、そのものである。
小学三年生の夏休み。百舌鳥谷西公園で、俺は一人でバスケットボールのシュートの練習をしていた。俺は当時、地域のチーム内では上手だったので、ミニバスケットボールのゴールだったら練習時に外すことはほとんどなかった。暇を持て余し、ついでに良い気になっていた俺は、中高生や大人も使う方のゴールで練習してみようと思いつき、何本かやってみた。しかし小学三年生と言えばたかが知れている。距離が長くなるのだから、当然ミニバスケットボールのゴールよりも入れにくい。
「つまんない」
そう言いながらベンチに腰掛けるとその瞬間、冷たい指で肩をつつかれた。
「ぎゃあぁ――っ!!」
思わず叫ぶと、後ろから男の子が出てきた。
「驚かせちゃった? さっき小さい方のゴールでもやってたでしょ。バスケ、上手なんだね」
「……ありがと」
同じぐらいの年に見える彼は日焼けなんてしていなくて、制服らしきものを着ていた。なんだか『良いとこのお坊ちゃん』っぽい。
「つまらなく、なかったよ」
俺の隣に腰掛けて、さらに男の子は話す。
「秋にね、体育でバスケかバレーやるんだ。三年生だから、選択種目なんだってさ。僕迷ってる。二年生のときは授業でやらなかったから良く分からないし」
「バスケにしなよ」
「なんで?」
「楽しいから」
至極子どもらしい会話。
「じゃあルール教えてよ」
「良いよ。でも」
ベンチを立ち上がってその子の手をつかみ、コートへ引っ張る。
「実際にやったほうが覚えられるから!」
なぜ子どもは打ち解けるのが速いのだろう。
簡単に動きを説明すると、その子はすぐに理解してしまった。でも投げるのは慣れていないみたいで、ちょっと大変そうだった。
「パスに何かコツある?」
水飲み場で顔を洗う俺に、その子は聞いてきた。
「何回も練習するしかないけど」
もう一回顔を水にうずめ、また上げる。
「名前を呼べば絶対気づいてもらえるから、最悪相手も動きを工夫してくれるかも」
だいたいの場合は目線で気づくものなので、ミニバスケットボールのチーム内では必ず呼んでいるわけではない。でも名前を呼んで損はしないだろう。
「そっか。チームでやるスポーツだもんね」
いや、実力も磨くべきなんだけどな……。
顔からしたたる水を拭い落とすと、風で頬がスースーする。
すると彼は言った。
「教えて?」
「何を?」
「名前。パスするとき、呼ぶんでしょ」
そう言われてやっと気づく。そういえばまだお互い名乗っていなかった。
「そういうことか。リツだよ」
「リツ。かっこいい」
白い歯を見せてニカッと笑う姿を見ると、『お坊ちゃん』っぽいこの子だって同じ小学三年生じゃないか、と実感する。
「僕はね、マコト」
その夏休み、俺とマコトは会う約束をしては、何回も練習をした。だんだんとマコトは上手くなり、パスするときに手元が狂うことはなくなった。
あと一週間ぐらいで、夏休みが終わるという日のことだ。
「上手になったと思うよ」
プシュー。サイダーを開ける音。
「そう!?」
ぱああ、とマコトの表情が明るくなる。
「僕、体育の授業好きじゃなかったけど、バスケだけは楽しみかも」
「運動が好きじゃないってこと?」
「ううん。体動かすのは好き。休日は家族でサイクリングすることもあるよ」
マコトは続ける。
「『二人組つくれ』とか『三人組つくれ』とか言われるから嫌なんだ。僕のクラス、二十九人で、ソスウだから誰か余っちゃうんだよ」
ソスウ? 小学三年生の俺には、何のことだか分からない。でも質問するのも野暮な気がして、話をそのまま聞く。
「僕、いっつもその『余り』になるんだよね。他のグループに入れさせてもらうと、あんまり良い顔されない」
マコトがあまりにも寂しそうに笑うので、俺は何も言えなかった。マコトはまた口を開く。
「あーあ、リツが転校してきたら良いのにな。そしたら僕、もう余らなくてすむ」
少し前から気になっていたことを聞いてみた。
「マコトってどこの小学校なの?」
「小学校じゃないよ。水白学園の初等部」
マコトはぐいっとサイダーを呷った。
今日で夏休みは終わる。むっとした草いきれも、青い葉の匂いも、もう残っていなかった。
「特訓してくれてありがと」
そう言いながら俺の手に握らせたのは、オレンジ色の鈴だった。よく見ると、紅葉の絵が描かれている。
「どうしたの、これ?」
「バスケ教えてくれた、お礼」
「なんだ、大袈裟な。でも、ありがとう」
俺はその場で、バスケットシューズのケースにそのストラップを取り付ける。
チリン。少し早い秋風が、鈴を揺らす。
「きっと……いや、絶対またバスケやろう?」
マコトは前と同じく、歯を見せて言った。
けれど、それ以降マコトとは会えなかった。
ミニバスケットボールの練習がない日は公園へ足を運んだのだが、マコトはいなかった。
マコトと会えなくなって、しばらく経ってから、俺はあることに気がついた。マコトについて、ほとんど知らないじゃないか。
名字も知らない、漢字も知らない。マコトなんて名前は世にあふれている。
学校名なら知っていたから、学区が分かるかもしれない。一縷の望みにかけたが、水白学園というのは私立で、小中高一貫の学校なのだという。私立の学校では、住んでいる場所だって分からない。
そして年月は過ぎ、俺は中学三年生になった。十月は進学先についてだいたい決める時期だ。学力はごく普通だし、特にやりたいことがあるわけではない。バスケットボールは中学二年生のときにやめていた。膝を酷使しすぎていると医者に忠告されたのもあるのだが、主な理由は、上には上があると痛感したからだ。俺より上手い輩なんぞ腐るほどいる。
そんな中、廊下に掲示されているポスターが目にとまる。
「水白学園――高等部編入試験?」
消去法的だが、ここ以外に入りたいと思える高校なんてない。なんと馬鹿げた理由だろうか? 『六年前の友人に会いたいから』だなんて。
それから――適当な理由で親を説得し、足りない学力分の勉強をし、俺は晴れて編入試験に合格したのだ。
俺はその間、あの鈴だけはずっと手放さなかった。
朝は眠い。目をこすりつつ、教室に向かう。今日はおそらく、千乃さんから腕時計を受け取るのだが……昨日の出来事のせいで、上手く話せる自信がない。顔を合わせるだけで気まずいかもしれない。何か、良い話題は……。そうだ、マコトのことを聞いてみてもいいかもしれない。交友関係が広いから、知っている可能性がある。
ごちゃごちゃ考えていると、いつのまにか教室についてしまった。
「おはよ、日野君。昨日はごめんね。これ、時計。今回のお代はいらないってさ。初回サービスだってお父さんが言ってた」
千乃さんから話しかけられる。
「ありがとう。お父さんによろしく言っておいて……」
他に何を話したらいいのだろう? 昨日のことの心配をするべきなのか?
マコトの話ぐらいしかネタがない。会話の流れはおかしいが、他にすべはない。
「ごめん、全然関係のない話なんだけど、同じ学年にマコトって人、いる? 初等部には在籍してたらしいんだけど」
「何でマコトのこと……?」
明らかに当惑している。微かに戸惑いを帯びる声色。千乃さんの表情は昨日に戻っていた。
どうしてマコトの話でこうなるんだ?
すると学級委員が千乃さんに近づいてきた。
「ねえ千乃? この前言ってた話なんだけど……って、どしたの!?」
「あ、はるか。……何でもないよ」
千乃さんは学級委員の元に行ってしまった。何がまずかったのだろう。
この数ヶ月間、本当に人付き合いが悪かったのだと痛感する。バイトで接客するスキルと、友人として関わるスキル。同じ『対人スキル』というカテゴリーなのだろうが、ちっとも似てやしないじゃないか。
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