第3話 井の中の蛙の小さな幸せで良かったのに……
「ほいっ、《ヒール》っ!!」
ゴツいおっちゃんの怪我した二の腕に回復魔法をかける。結構深い裂傷だったが、みるみるうちに傷が塞がり、血を拭えば白っぽい傷跡だけが残った。
「ありがとうな、エルザ嬢ちゃん。ちっちゃいのに大したもんだ」
ゴツいおっちゃん……村によく来てくれる冒険者のフェルナンデスさんが褒めてくれる。ゴツいのに優雅な名前のおっちゃんだ。
「どういたしまして。これも仕事だから」
そう。これが私のこの村での仕事だ。
ド田舎の村だから使えるもんは子供だろうとなんだろうと使われるが、流石にきっつい野良仕事やらなんやらは勘弁願いたいので、回復魔法を覚えて村の移動保健室を自分の仕事にしたのだ。
魔法使いはそれなりに貴重で、回復魔法はこの村では私を含めて三人しか居ない。なのでちょくちょく呼ばれてはあっちで擦り傷、こっちで切り傷と回復に歩き回っている。
おかげで、子どもたちには尊敬され、大人たちにも一目置かれるようになった。
「やっぱりレリアさんの娘だな。たった七歳でもう熟練の貫禄じゃないか」
「ふへへ。これでも努力してるからね」
ちっちゃな胸を張り、子供らしく偉ぶってみた。
レリアというのは私の母さん……育ての母だ。このど田舎の村に居着くまでは父さんと一緒に冒険者をやっていたらしい。ちなみに、この村で三人しか居ない回復魔法の使い手の一人だ。
本人たちはあまり自慢するタイプじゃないので詳しくは聞き出せていないが、両親はけっこう有名人だったらしい。フェルナンデスさんをはじめ、この村にやってきた冒険者たちが、
『ドルフさんとレリアさんの子供か……やっぱり獅子の子は獅子なんだな」
なんて言って感心したりする。
うーん、気になるけど、あまり突っ込むのもなぁ……下手に過去を詮索して、私が実の子じゃないって話が出てくるのも嫌だし。
前世持ちでこの世界への帰属意識が曖昧な私にとって、両親の愛は重要な拠り所だ。私はあの人達の子供で誇らしいし、いまさら生まれのことで気まずい思いはしたくない。
「おーい、エリザちゃん。ウチの爺さんが鎌で指を切っちゃってね。お願いできるかい?」
「分かったわ、お婆ちゃん。じゃあ、フェルナンデスさん。私は次の仕事に行くね?」
「ああ。頑張ってな」
フェルナンデスさんにペコリとお辞儀し、私を呼びに来た村のお婆ちゃんに着いて行く。
さぁ、お仕事お仕事!
※ ※ ※
「……生まれは誤魔化せないか……」
まだ十に満たない小さな女の子がピンク色の髪を揺らして駆けていくのを、フェルナンデスは感慨深げに見送った。
村の冒険者ギルド出張所を兼ねる宿屋の軒先のベンチから腰を上げると、少女に治癒してもらった二の腕を擦りながら歩き出した。
フェルナンデスが向かったのは、村から少し外れた家だった。軒先にはなめした獣の皮が干されていたり、作りかけの矢が積まれていたりする。猟師の家と言った具合だ。
フェルナンデスが玄関のドアを叩くと、栗色の髪の巨漢と、金色の髪の女性が出迎えた。
「ご無沙汰しております、ドルフ様。相変わらず逞しいお身体ですね。レリア様もお久しぶりです。相変わらずお美しい」
「いらっしゃいませ、フェルナンデス卿。さ、入ってください」
ほっそりとした佳人のレリアに促され、フェルナンデスは家の中に招かれて、今の椅子を勧められた。彼の向かいにレリアと、むっつりと口をつぐんだドルフが座る。
「男爵家の騎士が冒険者の格好をしてご苦労さまね」
「いえ。主家のお嬢様のご様子を見守る重要な任務ですから」
フェルナンデスがそう言うと、むっつり黙り込んだドルフが目つきを鋭くした。嫋やかな雰囲気のレリアも、その美しい顔を不機嫌そうに顰める。
「……エルザは……あの子は私達の子です。私達はそのつもりであの子を引き取り、あなた方もそうしてくれと言った。なのに何でいまさら男爵様の血筋を持ち出すのかしら?」
「……先程、エルザ様に傷を治癒していただきました……」
右の二の腕を擦り、フェルナンデスは言った。
「素晴らしい回復魔法です。たった七歳の子供の《ヒール》とは思えない……よほど教師が優秀なのですな。さすがは『白き御手』のレリア様です」
「……優秀、ね」
レリアは苦笑した。フェルナンデスの賛辞をよく受け取らなかったようだ。
「そう、優秀だわ……弱い七歳にして《エリア・ハイヒール》に加え、《オール・アンチドーテ》まで習得するのだから」
「な、なんですって!?」
フェルナンデスは声を裏返らせた。
七歳の子供が《ヒール》を完全に習得するのも驚きだったが、レリアの言葉は驚天動地だった。
《ヒール》の上位魔法である《ハイヒール》は、回復魔法と言うよりは復元魔法と言った方が良い。部分欠損も修復する上級魔法なのだ。
そんな上級魔法を広範囲で発動するとなれば、技量はもちろんだが、どれほどの魔力量が必要になるか……。
解毒魔法である《アンチドーテ》も同様だ。解毒魔法を行うには毒の種類を特定し、毒の働きを体得する必要がある。つまりは、自分で毒を味合うことで体得可能な魔法なのだ。
それだって、一度飲めば済むというわけではない。何度も弱毒を摂取して身体を慣らしながら、毒の働きを自分の身体で知っていく必要がある。
それが、ほぼすべて……少なくとも十種類以上の毒を一度に解毒する《オール・アンチドーテ》を習得しているとは……。
「……とんでもない才能ですな……」
「ええ。十歳までには、あの子はわたしの回復魔法をすべて習得してしまうでしょうね。才能もあるけれど、理解力が凄まじいわ。魔法を操るイマジネーションも飛び抜けている。あの子は天才よ。それもただの天才じゃない。百万人に一人、千年に一人の逸材よ」
「……とんだ皮肉ですな」
ふぅぅっ、とフェルナンデスは深く息を吐いた。
レリアはそれを見て、さらに表情を険しくする。
「……あの子の姉……いえ、男爵様のご息女は、そんなに……?」
「はい……生まれからして虚弱ではありましたが、より目立つようになりました……」
「皮肉ね。双子のうちでより弱々しい方を家から出したのに……エルザも、小さい頃は病弱だったけれど、いまではまったくの健康体だし……」
「魔力循環を行っているのだろう」
これまで石像のように腕を組んで黙っていたドルフが、重々しく口を開いた。
「魔力循環による強化は、筋力や反射神経だけではない。身体機能全般の強化だ。無論、内臓機能も強化される」
「魔力循環……ドルフ様が教えられたのですか?」
「あの子は三歳になる頃には自然に体得していた。俺はそれをほんの少し調整してやっただけだ」
「……なんともはや……」
もはや言葉もないという風に、フェルナンデスは頭を振った。
「……男爵様がエルザ様のことを知れば、家に戻そうとするかもしれません……」
「あの子はわたし達の子です!」
ばんっ、とレリアがテーブルを叩いた。
「捨てておいて、いまさら戻すと? 厚顔にもほどがあるわ!」
「……ただの村娘なら、捨て置かれたでしょう。しかしこれほどの才を示されては……」
「あの子の才能は、あの子の為のものよ。男爵家のために鍛えたものではないわ。あの子になんの支援もしなかった男爵家が、いまさら才能を家のために捧げろだなんて言う権利はないわ」
「レリア様、あなたも元は貴族の出だ。おわかりでしょう? 綺麗事だけで家を守ることは……」
「それが嫌で私は平民になったのよ! そしてエルザも平民だわ。貴族の義務になんて巻き込まないで!」
「…………」
フェルナンデスは黙ってレリアの視線を受け止める。
下手なことを言えば、彼女はエリザを守るために出奔しかねない。それは二重三重に話をややこしくする。
かと言って、主に対して虚偽の報告も出来ない。
どうしたものかと、フェルナンデスは悲しい中間管理職として実務と情理の間で雁字搦めになっていた。
「……いまさら、エリザをただの村娘には戻せまい。あの子は自分の力を試したがっている」
にらみ合う二人を取り持つようにドルフが言った。
熊のような巨躯の男だが、思慮深さはこの場において一番のようである。
「ただの村娘なら見逃してもらった。ただの村娘でないのなら見過ごしてもらえない……なら、選択肢は一つだ。あの子の才能をもっと伸ばしてやろう。男爵家ごときが手を出すのを躊躇ってしまうほどに、な」
「あなた、それは……」
「レリア、あの子の自由を守りたいのは分かる。だが、自由というものは自分の手で守るものだ。そうだろう?」
「…………そうね。そうだったわ」
「親として俺たちに出来るのは、あの子に自由を維持する力を持たせてやることだ。その後のことは、あの子自身に決めさせてやるべきだ」
「……ドルフ殿?」
「エリザをミーシャに預けようと思う」
「ミーシャ……『赫炎の魔導師』! 『灰燼のミーシャ』ですかっ!?」
「ああ。あいつは確か今、ウィンバート公爵家の家庭教師をしているらしい。上手くすれば、公爵家と友誼も結べるだろう。まさか男爵も、公爵家と関係のある魔導師を自由には出来まい?」
こうして。
本人のあずかり知らぬところで。『悪役令嬢』との邂逅のフラグが立つことになったのだった。
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