第107話 気腫性腎盂腎炎の思い出、経験。

 気腫性腎盂腎炎は、腎盂腎炎の中でも重症の部類に入るもので、ガス産生菌(とはいえ、通常の腎盂腎炎でもよくある大腸菌やクレブシエラなど)が腎臓に感染し、ガスを産生、腎組織を破壊し、重症化した場合には敗血症で命を落とすものである。教科書的には気腫化した腎臓を摘出しなければならないことが多い、とされている。基礎疾患としてはコントロール不良の糖尿病が最も多い。


 頻度としては極めてまれな疾患だが、初めてその病名を聞いたのは初期研修1年目、内科ローテート中であった。総合内科が立ち上がる前だったので、一般内科・呼吸器内科に所属していたが、そこには2つのチームがあり、1ヶ月ずつ交代で研修を受けていた。私のチームとは別のチームの後期研修医、岸村先生が、ある日「腎臓がない!腎臓がない!」と大騒ぎで医局に戻ってこられた。お話を伺うと、前日尿路感染症の疑いで入院されたコントロール不良の糖尿病がある患者さん、前日から抗生剤を開始し、その日、腹部エコーで閉塞機転がないかどうか評価しようとしたところ、エコー室から「腎臓が見えません」と連絡があったとのこと。そばにいた師匠が、すぐにKUBと腹部単純CTを撮影するよう岸村先生に指示を出し、結果が出たところで、一般内科メンバーで症例検討会。師匠が「これは気腫性腎盂腎炎だよ」と診断。疾患について簡単にレクチャーをしてくださり、「腎臓を取ることも考えて、泌尿器科にもコンサルトしてください」と指示が出た。岸村先生が泌尿器科にコンサルトに行なったが、全身状態、糖尿病のコントロールの状態が悪く、現時点では手術のリスクが高いので、保存的治療を続けてください、との返答だった。ショックバイタルにもなっており、ICUで管理され、何とか救命。炎症反応も落ち着き、「状態も落ち着いたので、腎摘は不要だろう」という結論になったが、モザイク状になっていた腎臓は完全に瘢痕化していた。

 岸村先生はその1週間後にも、同様に気腫性腎盂腎炎の患者さんが受診され、師匠は「すごいねぇ、こんな短期間に気腫性腎盂腎炎を2例も経験するなんてすごい引きだよ」と声をかけていた。こちらの方も腎摘することはなく、保存的に治療されたが、こちらの方は治療中に別の血液疾患を発症され、永眠された。


 3例目は私がチーフレジデントをしていた時である。以前にも書いたが、朝の総合内科振り分けカンファレンスで主治医を決定すればよい、と判断された患者さんは、診察医が翌日まで(休日を挟むなら休日明けまで)の指示を入力し、主治医名を「内科医師」で入院させれば、翌日の総合内科カンファレンスで主治医を決定する、というルールになっていた。緊急性が高い患者さんの場合はすぐに介入するので総合内科に連絡、ということになっていた。


 患者さんは発熱を主訴に午前の外来を受診。尿路感染症との診断で「内科医師」を主治医として入院となっており、その日には総合内科のメンバーには連絡はなかった。乳がん術後で、未治療のDM(HbA1C 13.8%)が今回の受診で見つかっていた。尿路系閉塞機転の評価目的で、同日に腹部CTが撮影されていた。尿路系の閉塞機転はなかったが両側の腎盂にガス像、腎実質にも両側とも数個、点状のガス像を認めていた。


 翌朝の総合内科振り分けで、その患者さんの画像を開けた途端、

 「わっ!これ、気腫性腎盂腎炎やわ」

 と思わず私が叫んでしまった。これはまずい。重症である。このような症例を初期研修医に渡すわけにはいかない、ということで、チーフレジデントである私が主治医を買って出た。


 振り分けカンファレンス終了後、すぐ患者さんのところに向かい、主治医になることの挨拶もそこそこに、腎盂腎炎の状態について説明。気腫性腎盂腎炎という厄介な病態になっており、その時点でのバイタルもプレショックに近い状態となっていたため、

 「しばらくICUで管理させてください」

 とご本人に説明。ICUに移動した。入院を上げてくださった先生には、

 「前日のCTで診ていただいたのでご存知だとは思いますが気腫性腎盂腎炎でした。重症症例ならすぐに対応しますで、遠慮せず、総合内科に連絡をください」

 とお伝えした。患者さんは強化インスリン療法+スライディングスケールで適切なインスリン量のtitration、血糖値の正常化を目指すとともに、あまり使いたくない薬ではあったが、カルバペネム系抗生剤を十分に使い、血圧はDOAを使ってコントロールを行なった。患者さんは経過中、意識は清明であり、回診時にはいろいろと雑談をさせてもらった。2日ほどICUで管理し、血圧はカテコラミンなしでも安定、尿量も十分に得られており、血糖コントロールも改善。FollowのCTでは気腫は残存していたが、やや軽快しており、経過良好と判断し、一般病棟に転床してもらった。採血データを見ながら抗生剤を継続、インスリン量も強化療法のままで微調整。2週間ほどで炎症反応は陰性化した。FollowのCTではわずかに気腫像は残存していたが、炎症反応は陰性化、バイタルも安定しており、問題はないだろうと判断。強化インスリン療法は継続していたが、まじめな方で、きっちりと1日4回、インスリンを接種できていた。

 状態は安定したと判断し、抗生剤を内服に切り替え、軽快退院とした。この患者さんは、食事療法もきっちりされ、外来ではHbA1c 5.9%程度と、良好な血糖コントロールを維持できていた。体重も少し減量され、私が退職するまで、お元気で過ごされていた。


 余談ではあるが、その後、糖尿病の新薬として、DPP-4阻害薬が開発され、その勉強会も兼ねて、地域の病院が合同で行なっている糖尿病勉強会に参加させてもらったことがある。症例検討会もあり、いくつかの症例が提示され、その時に気腫性腎盂腎炎の話が出た。この街には3病院が高次医療機関として存在していたが、九田記念病院では気腫性腎盂腎炎の症例はどうですか、と司会から振られ、

 「はい、私が把握しているこの6年間で3症例、うち1症例は私が主治医をさせてもらいました。併存する血液疾患で亡くなられた方が1名、軽快退院された方は2名、どなたも腎摘はしていません」

 と報告すると、座長は

 「えっ、そんなに来られているのですか?」

 と驚いておられた。市民病院からは、成人発症劇症型Ⅰ型糖尿病の症例提示もあったが、九田記念病院では年に2名ほど成人発症劇症型Ⅰ型糖尿病によるDKAで搬送されているので、そこまでレアな症例ではない印象があった。これについても、座長の先生から振られたので、

 「コンスタントに、年に2例ほど救急搬送されてきます」

 と答えると、また大変驚かれていた。DKAなど重症糖尿病は、日中の入院なら、DMを中心に診ておられる寺岡先生にまず連絡が行き、夜勤帯の入院では当直内科医がICUでDKAの治療を行なっていた。普通にいけば12時間ほどで全身状態が安定化するので、多くの場合は翌朝、状態が安定した状態で、やはり寺岡先生(寺岡先生は女性でお子さんもおられるので夜診、当直は免除となっている)が診られるので、私が言うことではなかったか、出しゃばりすぎたか、と反省した。



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