第87話 チーフレジデントの終わりに

 チーフレジデントをさせてもらった5年次もあわただしく過ぎていった。非常に不思議な感覚であるが、1年次~4年次まで、さまざまな症例を経験し、恥ずかしい思い、つらい思いを繰り返し、一生懸命に様々な文献を読んだり、耳学問で上級の先生から指導されたことを身に着けていった。自分自身の内科医としての成長を実感し、4年次の終わりころにはある程度内科の世界を把握したような感じになっていた。どのような症例が来ても、内科的に評価でき、適切に対応、あるいは適切に紹介ができるように感じていた。


 しかし、チーフレジデントを担当した5年次から、なんだか、内科がわからなくなってきた。もちろん、患者さんを対応し、ミスをすることはほとんどなく、適切に診療を行ない、元気になられて退院される方もいれば、命にかかわる病態で治療の甲斐なく亡くなっていく方もおられた。自分が間違ったことをしている、ということは全くないのだが、それまで自信満々で、「これはこうだろう」と思っていたことが、「本当にこれでいいのかなぁ」と不安になってきた。たまたま、師匠と雑談をしていた時に、自分自身のそのような不安感を師匠に相談した。師匠は一言、

 「先生も内科医として、ワンランクアップした、ということですよ」

 と。あの頃から10年以上が経っているが、今も、内科学についてはわかったようなわからないような、モヤモヤした思いは残っている。それは内科学に対して、自分自身が傲慢になっていない、謙虚な姿勢をどこかで持っている、ということなのかもしれない。


 さて、3月には、2年次研修医の初期研修終了と、メンバーがいれば後期研修医修了の時期であり、チーフレジデントも交代の時期である。3月に研修医を中心に宿泊で研修会を開き、もちろん診断学など、様々な研修を行なうと同時に、研修を終えるメンバーや任期を終えるチーフレジデントの修了式も行なわれた。毎年のチーフレジデントは終了時に盾をもらい、その盾には、師匠の選んだ言葉が刻まれている。前年のチーフレジデントである大山先生の盾には、スティーブ・ジョブズの言葉“Stay Hungry, Stay Foolish!”と記載されていた。私の盾には、当時流行していた「チーズはどこへ行った」から言葉を引用していただいた。英文は今すぐにはわからないが、日本語では

 「小さな変化に気づかなければ、大きな変化に飲み込まれるよ」

 という言葉であった。医療を行なっていくうえで、重症化の初期はほんのわずかな変化である。そこに気づかなければ、急変した状態で大慌てすることになる、ということを師匠は私に伝えたかったのだろうか?


 現在の職場には私物を置くスペースがないので、盾を飾ってはいないが、師匠の下さった言葉は、今も心にとどめている。



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