第42話 一瞬の出来事で

 師匠から引き継いで、訪問診療を行なうようになったが、訪問診療を受けるのは、必ずしも高齢の方だけではなかった。もちろん、大学6年生の時に某生協病院で小児科のクリニカル・クラークシップを受けさせてもらった際も、小児の先天疾患で通院できない重介護が必要な患者さんの往診に付き添わせてもらったことがあるが、多くの小児先天性疾患の方は、長じて成人となっても主治医とご本人、ご家族のつながりが強く、そのまま小児科の先生が訪問診療を続ける場合も多い。ただ転居などの都合で内科医に往診医が変わることもある。


 また、経緯はよく知らないのだが、継続して師匠が訪問診療をされた方の中に、小児先天性心疾患でEisenmenger症候群(本来は肺循環の血圧は20mmHg程度、体循環の血圧は120mmHg程度と肺循環血圧<<体循環の血圧なのだが、肺高血圧症などが原因で肺循環の血圧が上がり、肺循環血圧>体循環血圧となった状態)を呈している患者さんがおられた。阪大の第一外科(心臓血管外科)への定期受診と、師匠の訪問診療を受けておられ、第一外科の2代前の教授が研修医のころから診ておられた(私が訪問診療に参入した時点で、その教授は退官直後だったと記憶している)と師匠から聞いた。年齢は私と同じくらいの年齢で、長期間師匠の訪問診療も受けておられたので、おそらく訪問診療が開始されたのは、患者さんが成人する前だと推測される。時々師匠の代理で、その患者さんの訪問診療を行なうことがあったのだが、正常な状態でもSpO2 75%程度で、病態もよく分からず、何をしていいのかもさっぱりわからなかった。とりあえず、落ち着いているようであれば、定期処方薬を処方しておしまい、という状態だった。


 一度師匠に、この患者さんの病態について尋ねたことがあったが、

 「私もよく分かりません。できることは在宅酸素療法を行い、肺胞に酸素を送り込んで肺の毛細血管を拡張させ、肺高血圧を軽減させることだけです」

 とのことだった。実際、Eisenmenger症候群を来している方の根治術は、心肺同時移植以外にはないので、師匠がわからない、というのも無理のないことなのだろう。私の愛読書「ブラック・ジャック」でも、某国のエリート空軍パイロットが、Eisenmenger症候群を呈した心奇形の息子の手術をお願いするために、某国および日本のレーダー網をかいくぐってブラックジャックのもとに辿り着き、手術をお願いするのだが、あのブラックジャックさえ、

 「アイゼンメンゲル複合(Eisenmengerのドイツ語読みで、英語ではアイゼンメンジャーと呼ぶ)を起こしていたら、助けられるのは心肺同時移植しかないが、それをしようとしても肺が手術中にダメになってしまうのでどうしても助けてあげられない!」

 と懊悩する話がある。現在は、ドナーが見つかれば、心肺同時移植を行なうことのできる施設があり、ブラックジャックの絶望を考えると隔世の感がある。


 閑話休題。ずいぶん脱線したのだが、私の担当患者さんも3人(以前に書いた神経難病のご兄弟を合わせると5人)、若年の患者さんがおられた。一人は中学生時代、体育の授業でマラソン中に致死性不整脈を起こして心肺停止、救急搬送され心拍は再開したが、心肺停止による低酸素脳症で遷延性意識障害となった20代後半の方、あとの二人は交通外傷で脳に強いダメージを呈し、遷延性意識障害となった20代前半の方であった。交通事故の二人は気管切開、胃瘻造設しており、マラソン中に倒れた方は胃瘻造設していた。


 親が倒れるのと、子供が倒れるのではどうしても愛情のかけ方に違いが出るのだろう。枕元には元気だった時の写真などが飾られていて、それが却って切なく感じられた。


 マラソン中に倒れられた方は、定期follow中に、体液の増加しない低ナトリウム血症を呈し、食塩を追加した程度で、8年近く診察したが入院することはなかった。あとの二人のうち、一人は私が2年次研修医の時に、ひどいネフローゼ症候群を呈し、一生懸命勉強し、治療した方であった。訪問診療の経過中、時々肺炎を起こしたり、一度シクロスポリン(商品名ネオーラル)によると思われる肝障害を起こしたりとちょこちょこ入院されている。もう一人の方は、誤嚥性肺炎で入院したり、症候性てんかんの重積発作でICUでバルビツール系麻酔薬で鎮静をかけ、けいれん発作のコントロールをしたりした。余談ではあるが、気管切開術後で気切チューブをつけておられる方は、そこに人工呼吸器を繋げることができるので、人工呼吸器を装着しやすい(健康な方は気管内挿管をしなければならない)。


 自分より若い人たちの訪問診療をするのは、やはり切ないものがある。本来であれば青春を謳歌しているはずなのに、一瞬の出来事でこのような状態になる、あるいはこの状態でも命を落としてしまうことに比べれば、ご家族にとっては幸せなのかもしれないが、やはり神様は時にひどいいたずらをするものだなぁ、と思った次第である。

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