五 誤謬

 着いたのは、俺の住む街とそう変わらない景色の住宅地。アイツの家の玄関には張り紙がされている。忘れ物対策らしいが、普通は中に張るだろ。

 車は少し離れたコンビニの駐車場に停めてきた。

 まだLEDに変わってない、蛾のたかる街灯の道を歩く。

 人を感知するセンサーに反応して、玄関の色んな電気が点いた。

 そんな玄関の一つが、貼り紙をセロハンテープでぶら下げていた。恐らくここであってる。張り紙の内容は『弁当』だの『卵二パック』だの……くだらない。

 火、つけてやろうか。

 インターホンは鳴らさず、家の側面から庭にまわる。

 道すがらに、側面の窓を全て確認したが、どの奥にも電気は点いていなかった。寝ているのか、外出しているのか。まぁ、どうでもいいんだが。

 ――奇怪きかいだ。

 俺は被害者なのに、たった数歩、加害者の敷地に踏み入った瞬間から、その立場が逆転したような罪悪感に襲われてる。この感覚は、恐怖とも高揚ともつかない。

 ただ、何も起こさずに帰ることはない、という確信はある。

 風と、自分の足音だけが聞こえる。

 庭に着いた。

 恐怖と興奮が背筋を這って、背骨を貫いて心臓に染みる。

 夏なのに、鳥肌と寒気が止まらない。

 芝生の敷き詰められた庭。

 辺りを見まわしても、植木鉢や庭の雑草が、ぼんやり分かる程度だ。

 家のほうを振り返る。

 すると、思わず腰を抜かしかけた。

 家の中につづく大きなガラス戸の手前からの、大きな鳴き声。

 野生か、ペットか。

 恐らくネコだ。

 これに、続けて鳴かれては困る。どうすれば黙る。

 そうこうしているうちに、またそれが鳴く。

 こうなっては。

 心のおもむくまま思いきり、その音源を蹴り飛ばした。

 向こうも蹴られると思ってなかったらしい。「ググッ」って声を漏らして、避けもせずに直撃してくれた。すると声をあげなくなった。きっと死んでくれたんだろう。それでいい。これが奴のペットなら、なおいい。

 明日、このネコのことは直接聞いてやる。


 玄関まで戻って家を振り返る。そこに、さっきまでの不安の残像はなかった。あったのは、敵の所有する動物を殺してやった高揚感だけ。

 命の破壊に高揚してしまった自分への恐れも、今や無い。

 その後、親戚の家に誰もいなくて入れなかったという理由で、警察署で仮眠をとった。

 翌日、まだ事情聴取も行われないということで、家から着替えなどを取らせてもらって出社することになった。昨日は三隅から一時間離れているだけで恐怖が募っていたが、今日はなんの恐れもなかった。

 いつものオフィス。

 罪を犯した後なのに、時間通りに会社にやって来て、それでいて平然としているのは、俺も三隅も同じだ。

 この三隅の様子を見るに、あれはただの野良だったのだろうか。それとも、動揺をひた隠しにしてるのか。いずれにせよ、コイツの癖を使えば、質問一つで明らかになる。

「お前、ネコ飼ってたよな」

 俺は自信満々で聞いた。三隅の一文字に結ばれた口が、とてもゆっくりと開いた。

「まさか君か」

「どうした。ネコに何かあったのか。そういえば、俺もこの前な――」

 三隅が話を遮る。

「君が僕のネコを殺したんだろう! どうした、何が目的なんだ! 」

 いつもは感情的にならないヤツなだけに、この反応は意外だった。

「そんなわけないだろ。落ち着け」

「なら、その悪趣味な真似を止めてくれ、今すぐ! 」

 何を言ってるんだコイツは。真似、とはなんだ。しかも、悪趣味とは。

 その意味にはすぐに気がついた。

 気づいてしまうと、

 右手から目が離せなかった、というのは、俺の右手が、俺の首筋をかいていたんだ。それは、まさしく三隅の癖だった。癖がうつるというのはあるかもしれないが、こんなろくでもなく、忌々しい癖が、そう簡単にうつってたまるか。

 とにかく、三隅はペットの死で相当なショックを受けている。けれど、それで俺の気は晴れない。俺は嫁まで殺されてる。

「お前も俺の家族を殺しただろ。それでもいっぱしにショックを受けるのか」

「なんだよそれ……いい加減にしろよ……」

 そう言った三隅は癖を出さなかった。本来なら、ここで首をかくはずだ。犯人なのだから。だが、かかない。コイツは遂に、癖を制御できるようになったのか? いや、今まで治らなかったものが、昨日の今日でキレイになくなるものか。もし本当に殺してないとして、晴美とマサハルは誰に殺されたんだ。


 ――コイツの癖は、全ての嘘に表れるとは限らないのか?


 癖の定義が間違いだったのか? 嘘をついた時に首筋をかくが、首筋をかかない時に嘘をついてないわけじゃない。首をかいてない時にも、さらに嘘をついていることだってありえるのか。

 ……となれば、コイツへの復讐を止める理由は無い。

 涙で顔を濡らしてうなだれる三隅をほうっておいて、俺は誰にも言わずに会社を後にした。そうだ。奴の家に行くのは、なにも夜に限らなくていい。奴は晴美を日中殺してみせた。なら、俺にも何かできる。

 できるに決まっている。

 はっきりと見た三隅の家の全容は、朝だというのに異様な暗さが漂っている。

 玄関のインターホンを鳴らす。

 間もなくして、三隅の妻が出てきた。

 その目つきの悪さは、やってきた客に対するものとは思えない。化粧もしていないようだ。目元のクマが酷く目立っている。





◆  続く

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