第11話 メンターとその弟子 The Mentor And The Apprentice

 女性兵士のネイルや口紅は、いち早く二十一世紀に解禁されている。

 今では任務に支障がない範囲で自由に髪型を選べる時代になったが、パイロットという任務柄、ビアンカはいつも伝統的なシニヨンにまとめていた。


 フィストフェス決勝戦の数時間前、駅の化粧室に入ったビアンカは、自走プログラムを起動したロボティック・マウスを、換気口の中に納めてカバーを元に戻した。

 シニヨンを解いて髪を整え、スーツケースから取り出したビジネススーツに着替え、黒っぽい地味なホログラスを展開した。

 スーツケースの内側を探って何やら操作すると、プシューと空気が噴き出した。見る見るうちにサイズダウンする。

 中に納めた私服もコンパクトに圧縮される仕組みだ。

 旅行用手提げカバンに早変わりしたスーツケースをぶら下げ、化粧室の出入り口からそっと外を窺がった。

 何やら騒騒しい叫び声が聞こえてきたのである。


「こらァ~ッ!人の足踏んで、なんやー?すんまへんのひと言もないんか~、このガキゃ~!」


 こっそり覗くと、さきほどの少女が、地元のチンピラとにらみ合っている。

 チンピラ特有の舌を丸めた発声で凄みを効かせ口汚く罵る男が、堅気の人間ではないと悟った通行人たちは、見て見ぬふりを決めこんで遠回しに通り過ぎて行く。

 ところが、少女は負けてはいなかった。


 フードの陰から黒目がちな目でチンピラをにらんで罵り返した。アクセントからして地元の人間ではない。

「ちょっとぶつかっただけじゃん!大声出してウザいんだよ、おっさんッ!」

 地元のラガマフィンは、おっさん呼ばわりにいたく傷ついた。小太りの体型のせいで老けて見える、と密かに悩んでいたのである。

 ムッとして喚き散らした。

「お、おっさんってなんやねんッ!兄ちゃんて呼ばんかい!まだ、二十三やで~、わい・・・そ、そないなことはどうでもええッ!ひとこと謝らんかいッ!」

 

「わかった・・・じゃあ、謝る」

 意外にも少女はふてくされて言うなり、つかつかと男に歩み寄った。

 と、思いきや、いきなり男の腕を握って金切声で叫び出した。

「キャア―、なにすんのよ~ッ!みなさんッ、このひと、痴漢で~す!痴漢ですよ~ッ!」


 チンピラは泡を食った。

 事なかれ主義の通行人たちも、チラチラと視線を送ってくる。ホログラスでひそかに撮影している者もいるはずだ。

 警備ロボットも騒ぎを察知して、エコー音を発しながら近づいて来るではないか。


「こ、このくそアマっ、覚えとれよッ!」

 捨て台詞を吐いて、脱兎のごとく逃げ出した。と言っても、日頃から不摂生を決めこんだ運動不足のチンピラは、小太りの身体を揺すって懸命に走る。

 あかん!逃げるが勝ちや・・・

 痴漢となると、切った張ったの喧嘩沙汰とはまるで勝手が違う。

 とてつもなく、バツが悪いのである。濡れ衣とわかっていても、仲間からさんざんからかわれるに決まっていた。


「待て~、この痴漢ヤロ~ッ!」

 少女はよく通る声で叫びながら、チンピラの後を追って駆け出し、二人の姿はたちまち駅の雑踏に紛れて消えた。


「あーあ、わたしの尾行をおっぽり出して、後で大目玉を食うわ、あのラガマフィン」

 一部始終を見届けたビアンカはクスっと笑って、旅行カバンを下げて化粧室を出た。



 メガロポリスの中心街とスラム街の境にある広い公園で、ビアンカは少女と落ち会った。

 日はとっぶりと暮れ、街灯の灯りが所在無げに冷え冷えとした公園のほころびかけた梅の花を照らしている。


「どこからどう見ても、高校の英語教師に見えるわ」

 ビアンカと向き合って座る少女が、流暢な英語で切り出した。

 そう言う少女はフード付きのロングコートを脱いで、この寒空に長袖の制服姿で平然としている。


「あなたも真面目な女子高生そのものね。あの魔術師みたいなコートの下が、ピンクの セーラー服とはね~。イメージ狂っちゃう!」

 ちょっと見は、日本の田舎の「ガール・ネクストドア」で、どこにでもいそうな純朴そのものの女子高生だ。

 しかし、ビアンカはこの少女の異能力を、いまだに計りかねている。


「あのデバイス、助かったわ!最新型でしょう?さすがね、大企業の最高責任者だから当然だけど」

「暗号メールを見てすぐ手配したの。ところで、タクシー会社のドライバーじゃないと、どうやって見抜いたの?」

 先ほどまでのふてくされた態度と打って変わり、少女は黒目勝ちの目でビアンカを見つめて尋ねた。

 見る者が見れば、この純和風の顔立ちをした純朴そうな少女が秘めた、底知れぬ知恵と知性を感じ取れるはずだ。

 ビアンカが闊達に答えた。

「この三年、休暇で日本に来るといつもイワクニ基地でしょう?これまでのドライバーは皆、黒いビジネスシューズを履いていた。今日の男は作業靴だったもの。きっとサイズが合わなかったのね・・・でも、あのデバイスをこの街のギャングに渡してもいいの?」

 少女が忍ばせたメモの指示に従ったが、最新機器をむざむざ裏組織にくれてやるのは惜しい。

「ロボティックマウスには他にも使い道があるの。三日月刀を探し出すには、メガロポリスの犯罪組織の情報が必要だから」

 少女はビアンカの懸念を一蹴した。

 いつもながら先の先を読んでいるのね・・・

 ビアンカは今さら驚かなかったが、三日月刀と聞いて顔色が変わった。

「三日月刀って、まさかサウロンの?あれがこの街にあるの?」(*)

「まだわからない。だから、あのデバイスを前もって手に入れておいたの。莫大な値がつくから、プラウドは闇市場で売り飛ばそうとする。そこが狙い目なの」

 少女は、いたって淡々とした口調で言った。


 ビアンカは。いったいどんな計画だろうと頭を傾げたが、敢えて尋ねはしない。

 この新人類のメンターは、必要最小限の情報しか教えてくれない、と長年の経験で身に染みていたのである。

 決まってわたしたちを追いこんで、自ら道を切り拓かせる・・・


「あなたの話を聞かせて頂戴。あのミッションとアキラのことでしょう?」

 少女がビアンカを促した。

 ビアンカは小さくため息をついて口を開いた。

「わたし、アキラと寝たの・・・バンカーバスターを使ったショックに耐えられなくて。翌朝、記憶を消すつもりだった・・・でも、できなかった!なぜって、わたしたちの過去生を思い出してしまったからよ。わたしと匠はオパル以来、ただの一度も出会っていないのに、アキラとは何度も再会していたの!」


 取り乱したビアンカが泣き出すまいと唇を噛むと、少女はビアンカの懊悩を感じ取って、つと白いこじんまりした両手を伸ばした。

 木製のテーブル越しに、ビアンカの手を握る。


(あなたに謝らなければならない・・・アキラとの過去生を今まで思い出せなかったのは私のせいなの)

 ビアンカはハシバミ色の目を大きく見開いて、瞬きを繰り返した。接触型のテレパシーで応答を返した。

(あなたが?・・・どうして、わたしの記憶を封印したの!?)

(わかるでしょう?)

 少女の穏やかなバイブレーションが、ダイレクトにビアンカの意識に伝わって、乱れた心が癒され気持ちがやすらかに落ち着いてくる・・・

(そうね・・・匠の覚醒の時が迫っている。わたしと匠が再会して、ノヴァが誕生するからね?)

 運命だもの・・・千年前のアトレイア公爵との至福の生活も思い出す。

 でも、どうして?と思う。


(あなたが封印したアキラとの過去生を、なぜ、わたしは突然、思い出したの?思い出さない方が、ミレニアム計画にはプラスでしょ?)

 ビアンカがぶつけた疑問に、少女は珍しく沈黙した。しばらく間をおいてから、テレパシーを切って口を開いた。

「私にもわからない。ただ、アキラの母親は第二世代で、貴美の母親の実の姉なの。貴美の伯母よ」

 やっぱり・・・貴美とアキラには接点があったのね!

 ビアンカは胸でつぶやいた。


「ビアンカ、アキラはオパル公国であなたの側近だった。プロスペロ宰相の息子だったわね?」

「ええ、そうよ。それがどうかしたの?」

「私はオパル王家には二度しか・・・」

と、言いかけて、少女はなぜか口をつぐんだ。


 もしやとダニエル・プロスペロの間に何かあったのでは、と思いついたからである。

 はトリニティの中で、ただひとりの先天的な第三世代で、サウロン同様、この少女にも理解できない存在である。けれども、今はまだ胸に秘めておかなければならなかった。


「アキラには私たちが知らない謎があるわ。でも、彼はあなたの恋人で、私たちの味方と見て間違いなさそうね・・・ビアンカ。今はアキラについて詮索せず、二人の時間を大切にしてほしいの」

 話を振った少女はにっこり笑うと、力づけるようにビアンカの両手ををしっかり握った。


(ありがとう。気持ちが楽になったわ!わたし、匠との再会もアキラとの関係もとりあえず流れに任せようと思う。それより差し当たっての問題は、今回のミッションなの!)

 ビアンカは少女の手を握り返して、接触型テレパシーに切り替えた。



* 「青い月の王宮」第49話「王の願い」



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